がん相談支援センターにて

2023年7月14日(金曜日)
昨日の午後、大学病院の採血と処方は延期になったが、がん相談支援センターに行ってきた。そのために、午前中は買い物や夕食の準備をしていた。

約束の時間は14時だったが、電車の都合上13:45着。相談室に入り、担当の看護師さん(以下N)と話をすることに(以下長文)。

私「どこから話したら良いでしょうか?」
N「話してみたら整理できることもありますから、何からでも話せることからどうぞ。」
私「もうすぐ45歳という時に、子宮筋腫の手術をしました。その後更年期の症状が出てきたので、ホルモン補充療法を始めて、婦人科の医師からマンモの検診を受けるように言われました。それでパート先の乳腺外科でマンモとエコーをしてもらっていました。
一昨年9月のエコーで右C領域の細胞診をしclass2、去年8月に同じ部位の針生検をしたところ、9月上旬に悪性で免疫染色追加になったと連絡を受けました。それで手術を近くの中核病院でするか大学病院でするか、通いやすさから行くとこの二択となりました。放射線治療になった場合は大学病院でしか出来ないということで、通いやすさからも大学病院に決めました。医師の評判も加味して考えれば良かったのですが…。
9月中旬に夫も付き添い初めての受診。実母を卵巣がんで亡くしていることは紹介状にも書いてあっただろうし、遺伝子検査の話もあるだろうと覚悟はしていましたが、HBOC検査のパンフレットが『乳がんと診断された方へ』というパンフレットと共に机の上に置いてあって嫌な思いをしました。主治医はこれを絶対に話さなければと思っていたのでしょうが。
その後数日かけて術前検査をして、10月に術前説明。部分切除を提案されたけれども、私は放射線技師でマンモを撮影する側なので、できれば放射線治療は避けたいこと、部分切除後の乳房をマンモ撮影されるのも嫌だったこと、2人の子どもが大学と高校の受験だったので、傷が治っていけば少しずつ普通の生活に戻っていける全摘を望みました。
それで11月に右胸全摘し、トレーに摘出標本を載せて、手術室近くの廊下で主治医から夫に簡単な説明があったそうです(せめて部屋じゃないのか…)。手術の説明の際、『月曜入院で水曜手術して、翌週月曜に退院できますよ。』とおっしゃったので、『全摘でもですか?』と確認したら『はい。』との答え。本当はドレーンの排液量が少なくなってからだったと後から知りました。夫は言われた通りに月曜日に有休を取ってくれていたので、その辺りを週末に確認していたところ、月曜日の朝『じゃあドレーン抜きましょう。』と言われて抜いてもらったのですが、まだ抜くには早かったようで、漿液がたまりました。しばらく経って徐々に吸収されていきましたが、『早くドレーンを抜いてしまうと漿液が溜まるから、もう少しドレーンをつけておいて退院を伸ばすか、溜まってきた時に来てもらったら抜きますよ。』といった説明は何もなかったです(もし説明があったならば、もう少し入院していたと思う)。
12月上旬に結果説明で受診したら、『まだ結果が出揃っていない。』と主治医に言われて、(化学療法の上乗せ効果を判定する)オンコタイプの検査が追加になりました。
12月下旬の説明で、浸潤性小葉がんが1.7cmでその周りに非浸潤性小葉がんが6.5cmあって、全摘しておいて良かったと思いました。化学療法の追加もなく、今は(女性ホルモンを下げる)タモキシフェンの処方だけとなりました。最初は1か月、それから3か月おきに処方されています。
今年の1月に受診した際、右手の指を動かす時に痛みがあり整形外科で調べてもらったら手根骨の一つが折れて割れたままになっていると話したら、主治医が『整形外科のことはわかりません。』と突き放されたように感じました。
4月の受診時は、主治医から『お薬(タモキシフェン)飲めていますか?』と聞かれたので、『はい。』と答えたけれどこれが、『お薬飲んで何か困っていることはないですか?』という質問だったら、目の焦点が合いにくいとか、相変わらず手の関節が痛むことがあるとか言えたと思います。『あと先生、保湿剤を何か処方してもらったりできませんか?』と尋ねたところ、『市販薬使ってもらって構いませんよ。』との答え。大学病院で処方できなくてごめんねとか、具体的な商品名を挙げてもらうとかは全くなく、手術痕の確認も12月上旬からありませんでした。
その時の主治医の態度のせいか、その後ものすごく気持ちが不安になり落ち込んだ日が続き、一度がん相談支援センターに電話して、主治医に対する不満を話しました。
もしかしたらタモキシフェンの副作用かもと調べたらビンゴ。そこでかかりつけの内科で漢方薬を処方してもらったら、少し良くなりました。」
N「あなたの主治医への不信感とか、主治医の言葉の足らなさとかがまず問題なのですね。私も外科外来にいたことがあるので、その医師のことは少しはわかります。カルテはきちっと書いてあるんですけどね。ちょっとそっけないですよね。」
というまさかの援護射撃。

私「子ども達には、『この前のマンモとエコーで右乳房に小さながんが見つかったから、全部取ってもらってくるね。ママがそういう状態でも、あなた達はちゃんと志望校に合格できるようにしてほしい。ママは卒業式や入学式に出られるように頑張ってくるからね。』と話しました。
次に何かあるのは再発とか転移だろうと(勝手に)思っていたところ、5月に受けた健康診断で甲状腺に2cmのしこりを指摘され、紹介先の病院で針生検したところ甲状腺乳頭がんの診断を受けました。偶然の産物でサイズも小さくラッキーなことだと思う一方で、母は52歳で亡くなったのでその年まで大丈夫だろうかとか(現在50歳)、またほかの部位にもがんが見つかってしまうのではとか、不安の波がやってきてしまうんです。子ども達の前ではなるだけ深刻そうにはしないようにしているんですがね...。
7月20日に甲状腺左葉切除+左傍気管リンパ節郭清をする事になり、子ども達には『この前受けた健康診断で甲状腺のしこりが見つかって、7月の連休明けに手術してもらってくるね。入院は1週間くらいになると思う。』と話しました。
さすがに2か所目のがんが見つかりショックで、信頼できる友達数名に話をしました。
退院後落ち着いたらランチに行く約束をしていて、小さな楽しい目標を設定していこうと思っています。」
N「タモキシフェンの影響もあり、今回のことで不安が大きく、また不安の波がありますね。患者会とか行ったことありますか?」
私「(乳がんの)あけぼの会には入っています。そこで他の医師の話とか聞くと、すごく羨ましく感じます。甲状腺の方は患者会はないんですか?」
と聞いてみたところ、調べるため看護師さん退出。
N「甲状腺の患者会は無さそうですね。その代わり、がん体験者の集いに行ってみるのはどうでしょうか?来月にありますよ。」
とパンフレットをもらう。

大学病院の主治医のことは嫌なのだが、画像検査(特に骨シンチ)が出来る病院が限られるし、まだ1年も経っていないので転院を考えるほどでもない。それに、HBOCやオンコタイプの検査は大学病院だからできたとも思う。

次回の診察日(8月3日)に来院できるのかはわからないが、主治医に尋ねたいことや話したいことをメモに書き出すことを勧められる。声も出にくいだろうし。今後の見通しがわかれば安心するのでは、と言われる。
確かにホルモン療法は5年から10年としか言われていない。ずっとタモキシフェンが良いと思っているが、リュープリンを追加されたり、骨粗鬆症になるアロマターゼ阻害剤に変更もありうる。

長々と話を聞いてもらい、時間制限もなく、さらに無料。
少しだけすっきりした気がする。

N「また何か話したいことがありましたら、お電話でも次回の診察後でも構いませんから、お待ちしていますね。」
その看護師さんが、女神に見えた。

やっぱり話をじっくり聞いてほしかったんだ、私。


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