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ブロックする勇気より

耳鳴りが酷い、あまりの精神ダメージに鼓膜まで罅が入ったのだろうか。

何にダメージを食らったのか、一番は4人でいて1人後ろを歩き孤立した瞬間だと思う、そう思い込むことにする。本当はそこまで辛くないけど、そう思わないと今にもどうかしてしまいそうで
最近は自己防衛にブロックを使えるようにはなってきた、やはりこのインターネットで耐える選択を選び続けていたら、いつの日か唯一の逃げ場のネットからもは逃げて命を断つと思うから。だが会話したことのある人をブロックするのは、中々機会も無いしもしその時が来たならば、私はケーブルをぶち切りして新しいネットの命に転生することだろう。こんなに恥ずかしがってサブ垢に閉じこもってる人に新しい友達なんて出来るのかがとても怪しい所だが、親しかった人をブロックする勇気よりは今の私にはハードルが低い。

一度、仲の良かった方にブロックされた事がある。あれからそろそろ1年がたつ。もう理由を聞くことも出来ないが、多分私の当時のツイート内容がストレスだったのだと思う。2年ほどの仲でしたが凄く楽しくて私はその人のことをとても好いていました。そんな普通の日々にいきなりのブロック画面、始めての画面、消えた会話、私は思わず泣いた。今までもこれからも何度も思う事を泣きながら願っていました、時間が戻ればなんて、知らない人で全然話したこともない人なら何も思わなかったであろう感情と思考、それが知ってる人で話したことのある人というだけでここまで悲しくそして辛い気持ちになるのかと。
ブロックされた時の後悔と悲しさ、言葉に出来ないほどの感情を私にブロックされた事によって誰かに体験してほしくないというエゴ的思想でインターネットの中での私は出来てて、そして立ち回ってる。誰も嫌いにならないように。

現実なら嫌いな人であろうと、なんやかんやで話さなければならない時や協力しないといけない時があるが、ネットなら嫌いな人を完全にシャットアウトする事が出来るのが良いところで悪いところ。

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