舞台PSYCHO-PASS Virtue and Viceについて(※ネタバレあり)

内容について個人的に考えたことを書いているので、容赦なくネタバレ。
でも、これだけを読んでもたぶんどういう舞台だったかはわからない。
もう終わってますが、気になった方はぜひ公式サイトをご覧ください。

用語や人物について

この舞台の内容で重要なのは、【哲学的ゾンビ】と【中国語の部屋】という用語。
【哲学的ゾンビ】とは、表面的には普通の人間と変わらないように見えるけど、自由意志が無い存在。
【中国語の部屋】とは、中国語を理解できない人を外から見えない小部屋に入れて、紙に中国語で指示を書くと、本当はマニュアルに従って行動しただけでも、指示を理解して実行したように見えるという思考実験のこと。
この舞台では、公安局の幹部クラスしか知りえない、とある機密の暗号名としても使われていて、局長は開発中であるシビュラシステムの廉価版で、電波暗室で起動させなければならないと言っていた。

三係に所属しているのは、九泉、嘉納という二人の監視官と井口、蘭具、相田、大城という四人の執行官。
九泉はシビュラに偽の記憶を植え付けられ、自分が勤務初日に母親をドミネーターで撃ったと思っている。潜在犯を悪とすることで偽の記憶に整理をつけている様子が見られ、執行官とは慣れ合わない。
嘉納は執行官から監視官になったという経歴の持ち主。しかし、実はシビュラにより犯罪係数の数値が改ざんされており、本来なら監視官にはなれない。大城とは執行官時代からの知り合いで慕われている。

嘉納とヒューマニスト

舞台のストーリーで発生したナンバリング事件は、ヒューマニストという元警察の子孫を母体とした組織が、サイコハザードを起こすためにやったこと。彼らはシビュラ以前の体制への回帰を望んでおり、嘉納はシビュラ社会を壊すという利害が一致していたために、捜査情報をリーク、公安局の回線へ細工していた。嘉納だけが『中国語の部屋』が盗まれたことをすぐに言えたのも、ヒューマニストの犯行を知っていたからじゃないかな。
ヒューマニスト側には、舞台上で『哲学的ゾンビ』であることが断言されている後藤田という男がいる。犯行の内容や裏付け捜査からも彼が哲学的ゾンビであることは疑いようがない。
その後藤田が、ヒューマニストのリーダーである三島から『哲学的ゾンビ』には見えないと言われ、「その自覚はないが、誰に従うべきかはわかっている」と答えている。
ここで誰かは言っていないし、死に際には「ヒューマニストは頼みましたよ、嘉納さん」と言い残している。

嘉納の苦しみ

嘉納は監視官になるにあたり、自分の犯罪係数が下がっていると思い込まされていた。しかし、それはシビュラによって数値を改ざんされていただけだった。
自分が本当は潜在犯でありながらそのことを誰にも打ち明けられず、執行官にも戻れない。心休まることのない地獄の日々を生きていたのだろうなと思う。九泉に認められないことで監視官としての矜持を保てず、大城からは上司・人生の希望として見られて執行官時代の気安い関係性には戻れない。
「人は同じところにはいられない」として、嘉納はどこへ行けたのだろう。

的外れかもしれないが、相田は嘉納の犯罪係数が高いことに薄々気づいていたのではないかと思う。相田の台詞で、犯罪係数が一番高いと疑われた時の語尾が断定でないことやその後に台詞が続かないことが気になった。気づいていたとしたら、当然嘉納を疑っていたはず。
事件が解決したらみんなで海に行きたいと言うのも、嘉納に思いとどまってほしいという思いがあったのではないかと想像してしまう。

嘉納が九泉に求めたもの

彼にとって九泉は、シビュラによって人生を狂わされた対の存在。本当に嘉納のことを理解し、共感できるのは、真実を知った九泉しかいない。
嘉納が言った、「いつか気持ちが通じると信じている」というのは、九泉が同じ思いを抱いて(どこにも行けない自分と同じところまで落ちてきて)くれるのではないかと期待していると捉えることもできる台詞。
九泉にしか求められないものがあったから、嘉納は九泉が不用意に真実を知らないように、彼が死なないようにしているように見えた。だからこそ、思い通りのタイミングでない状況で三島が九泉に話してしまったのは許しがたかっただろう。
人生がシステムにいじられていたと知り、『哲学的ゾンビ』の状態から抜け出せば、自分と同じようにシステムを憎んでくれると思っていた。それが嘉納の希望だった。
しかし、それは叶えられなかった。

嘉納の役割

シビュラが隠していた『人工監視官育成計画』を知った嘉納は、自分もその一部だと言っている。
① 九泉とは別アプローチで監視官を作り出すための実験対象
② 対局の存在として九泉に影響を与えるツール
あたりではないかと考えている。
数値偽装のアプローチでうまくいくならば、人間らしさを保持したまま潜在犯を監視官に仕立てることができる。しかし、真実を知った嘉納はとてもそんな状態ではなくなってしまった。
そこで、シビュラは本格的に九泉を完成させるツールとして使うこととした。電波暗室で『中国語の部屋』を起動させるとは、嘉納にマニュアルを仕込み、九泉に対峙させることを表しているのだと思う。
彼が表情をなくしていくのは、電波暗室で起動される『中国語の部屋』の影響が回数を増すたびに強くなっているからじゃないだろうか。後藤田もあまり表情を変えなかった。
テロリストだと九泉に言われたとき、そんなつもりはないのにそうなのか、と言いたげな表情をしていたので、自覚なく仕込まれたマニュアルに従っていた結果=シビュラの思惑どおりなのだと思う。
嘉納との対峙によって九泉が人間らしさを獲得し、潜在犯でありながら監視官としての仕事を為す。シビュラシステムが監視官に人間らしさを求めているとすれば、この展開こそ計画に必要な段階。
九泉が局長に『中国語の部屋』について尋ねたとき、局長は少し笑っていた。シビュラの望む展開へ近づく中、彼がそれを尋ねる状況がおかしかったんじゃないだろうか。
最後にドミネーターを向け合ったシーンでは、どちらの犯罪係数もオーバー300が宣告されている。数値の偽装をやめたことは実験終了の段階を示し、電波暗室の解除によってドミネーターが使えるようになれば、シビュラにとって不要な実験対象が排除できる。
ヒューマニストという反シビュラ勢力も一掃できた。シビュラの計画は成功したと言っていいのかもしれない。

九泉の選択

時間が進むにつれて執行官への考え方を変える九泉と、表情をなくしていく嘉納の対比が印象的だった。
九泉は『哲学的ゾンビ』から自由意志を持つ人間へ。
嘉納は自由意志を持った人間から『哲学的ゾンビ』へ。
マニュアル=シビュラシステムの考えに従う九泉が、井口に助けられたことで執行官への認識を改め、物語の中でだんだんと偏見から解き放たれていく。執行官と楽しげに捜査している場面は、シビュラの手出しがなければ執行官として輪に混ざっていただろう姿を想像させるし、相田と蘭具が死んだ時の「いい部下を持った」という台詞からも、彼らを認めていることがわかる。
執行官という生き方を制限された彼らの姿勢が、死が、九泉を変えた。
“潜在犯は人ではないの?”の答えは見つかったのだと思う。だから、自分が潜在犯だとわかっても、九泉は刑事として生きることを決められた。

電波暗室が解除されたとき、ドミネーターを向け合った二人。
『中国語の部屋』から解放された状態なら、嘉納が九泉に向ける理由は、彼が監視官としての意識を持っていたことを示すと思いたい。
エリミネーターはどちらも放たれたのか。あるいはどちらかが放ち、どちらかは放たれなかったのか。
少なくとも、九泉は嘉納を撃ったと思う。
刑事として、執行対象の潜在犯を。

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