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日本画家として、言葉の引き算に対する姿勢。


生きている言語はどのような形でも楽しい。
それでいて、悲しい。

どうしてもB♭寄りな人生観から、
私の日本画に対してはせめて、
詩的な媒体でいてほしいと心から思っている。

言葉がない、コミュニティに属さない事は
多幸であるし、技だけは増していく。

然し乍ら、
木、子、孤、来

こ、とは

あなたをよんでいるので、

声がないのは
とても哀しみに満ちる時間に
余りない喜びを浸すには、充分なのだ。

ことば は

向こうから呼びたがるので、
書き留めにして、
ついでに返信用の封筒に不用にてと認めて、
天国の友人に宛てたい。

いや、
友人は私に来いとはいいやしないんだが
昨年より君の色が、
夕陽に変わってからというもの
どうも辟易として、白い血液にでも
なってしまったみたいな純潔さで
君が死んだのは、
毎年送ってた、
塩白梅を遣りそこねたからじゃないかって、
夕暮れの足元のポールスミスを、
履きかえたら、いいんじゃないかって
何とも馬鹿みたいな、一人な、神妙で
夕陽を一瞥する。

君は
祈るような形で、死んでいたそうで
20年、毎日話したのに、
家族より話したのに、
君の最後は誰より遠い冷たいギフトだった。

夜に
君の玄関に、庭の、花を掛けて、

誰も知らないように去りたかったのに
君は、おじさんに、会わせたよね。

私はおじさんを抱いた。

白と黒のノイズみたいになってたおじさん
すごい、静かに私を包んで。

あれ以来きっとおじさんは
私に会いたくないのだよ。

君が夕陽だと知らせたいけれど

最近は
何もしないのが
一番優しいと思う事ばかりで、

今日も君の絵を
夕方に、書く。

きみ、こむ、と。

日本画は、
このような詩的な部分を
削いで描いています。

私は独学ですが、

日本画は、
引き算だと
教えてくれた先生に
愛を捧ぐ。

Kasho.

ありがとうございます! 創造したい!!