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「元カノ」の話

※1500文字くらい

元カノ①加納氏

諸説ありますが坂東武士の一つである「三浦」の氏の枝葉の一つに「加納氏」がいます。三浦氏もクッソ分家があるのですが、その一つに「加納氏」がいます。これは当時の一族が興った地名に由来するようです。

なお、三浦氏の分家の加納氏にもクッソ分家がおります。有名なのは猪苗代氏でしょうか。野口英世はこの家の出に当たります。それ以外の家は大体は関ケ原の合戦で西軍に与したため、徳川家康に潰されて歴史から名を消しています。

歴史学、研究していると氏族がアホほどいて笑う。増えすぎ。鎌倉時代は「族滅」も多すぎて笑う。鎌倉幕府が滅亡したときとか、北条氏は根絶やしにされていますし。

そんな中、明治まで生き残った加納氏の一族は名前を変えても「元カノ」と言ってもいいんじゃないでしょうか。

こういった氏族の枝別れを調査すると面白いです。どうやら江戸幕府は「昔は名家だった」を集めるのが好きな傾向があり、幕府の旗本として戦国~室町時代に没落した家を抱えていたりします。

というか足利将軍家の末裔も大名として召し抱えており、これを喜連川藩というのですが、参勤交代の義務が無いとか色々と特権も有していました。足利氏としては唯一明治維新以降も存続し、華族に列せられています。

元カノは貴方の隣にもいるかもしれませんし、貴方自身が元カノかもしれません。

元カノ②加納(地名)

「加納」という地名があります。愛知県、滋賀県、兵庫県、福島県、新潟県、富山県、岐阜県、埼玉県、大阪府、和歌山県、宮崎県にあります。市町村合併で村が消えたところもありますが、地名としては残っているところが大半です。

多いな。

西日本~東日本にかけて広範に分布しているので「加納」という言葉ではなく、その音韻的要素にも目が行ってしまいます(※音韻まで踏み込むと本記事の文字数が478329047389文字くらいいくので割愛)。

いや、それでも多いな。

加納城跡

ていうか、城もあった。「加納城」です。残念ながら明治時代の廃城令で潰されてしまいましたが、現代は公園として利用されています。「加納藩」があった証を後世に伝えています。

「加納藩」ってあったのか!?とビビる。

時は安土桃山、関ヶ原の合戦で白黒ついたあの頃、加納藩が成立しました。現代でいう岐阜県です。石高としては10万石ですが、初代の大名が色々とケチくさいことをしたうえに断絶したので5万石になりました。

その後は色々あって6万5000石くらいになりますが、二代目の藩主が「無能」で、酒色に耽るわ、百姓に一揆を起こされるわで、最終的には家臣たちに藩主が幽閉されるという前代未聞の出来事が起こります。

これが幕府にバレて(つまり幕府に内緒で一連の騒動が起こっていた)、藩主は強制引退…つまり隠居させられ、石高も6万5000石から5万石に減封されました。

当たり前ですけど、いちいち藩内のゴタゴタを幕府に報告していたら藩主の首がいくらあっても足りないんで、なるべく藩内で処理していたんですね。

ただ明治維新の際に、時の藩主が新政府の勝ち馬に乗ったので、華族に列せられています。

元カノの話題になったら上記二デッキで煙に巻けば良いかと思われます。

「元カノ」と「元加納」を掛けただけなのですが、なぜ広範に地名があるのか?なぜ岐阜県が本家本元っぽいのか?など疑問が尽きません。

岐阜県のフォロワーの皆様におかれましては、地域の図書館で郷土史研究をされてみてはいかがでしょうか。

次回の研究テーマ:児玉氏

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以上

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