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内面の吐露(要するに自分語り)②

はじめに

前回記事はこれ

主に「Twitterで本腰入れて書くほどでも無いしな〜あと文字数的に連投になっちゃうな〜。じゃあnoteで書きますか」という内容のぶつ切りです。僕自身の思考整理も兼ねて記載していますが、一応「ま〜〜〜た同じこと言ってるよこの痴呆老人。Twitterで散々呟いてただろ」と思われないように、Twitterで呟いていないことを書くようには意識しました。ご興味のある方は最後まで読んでいただければ幸いです。

本編

■吉野家でゼロサムゲーム

独身男性の味方である吉野家へたまに行く。ただ、足を運ぶたびにに思うのだがピッチャーの配置が適当なのが謎すぎる。あっちの席にあってもこっちの席にないというのがザラにある。なんでだよ。これのせいで吉野家店内でゼロサムゲームが発生することが多々ある。俺は毎日6〜9%のチューハイロング缶を4〜5缶飲んでいて朝起きた時には完全に脱水症になっており(30代で死ぬと思う)、そのため朝に大量に水を飲まないと体調がヤバイことになる。そのため必然的にこのゼロサムゲームに「勝ち」に行かないといけないのだが、こんなんチェーンの飲食店で意識する内容じゃないだろ。デスゲームか?ちなみに店員さんに頼めば普通にピッチャー出てきます。俺は面倒臭いので勝手にゼロサムゲームしているだけです。

■ボードゲーム

ゲームといえばボードゲームがした〜い!けどこの望みは叶いそうにない。なぜボードゲームをしたいかは、最近俺が『ジャンケットバンク』というギャンブル漫画にハマっているのもあるのだが、それはさておき、ボードゲームを遊ぶハードルが高すぎる。①全員だいたい共通の知り合いの4〜5人の集まりで、②全員遊ぶゲームのルールを事前に理解し、③休日の予定が半日は合う、というのが前提条件にある。俺は4人以上の集まりを構成するスキルを大学に置いてきたので。これをお読みの方は「じゃあボードゲームの社会人サークルとか参加すれば?」などと思うかもしれないが、いきなり全員知らん人のコミュニティに参加して「みなさんよろしくお願いします!」とヘコヘコするのを俺ができるわけない。あと男女のグループなら絶対に揉めごとがあってそれに巻き込まれるのも嫌だ。こうやって「出来ない・やらない理由」を書き連ねるの本当に良くないと認識はしているのだが、カスみたいなプライドが邪魔している。老人になったらゲートボールの輪に入れずに一人で野鳥観察とかしてるタイプですね。

■「Twitterのアカウント教えて」

こんな感じで基本的に単独行動メインのカスなのでバーにも一人で行く。基本はカウンターの端っこに座って息を潜め、猫背でひたすらTwitterを見ているかマスターと他愛もない雑談をするのだが、最低限の社交性は持ち合わせているので他の客から声を掛けられたら受け答えをして日常会話に発展させている。そうやって会話をしていくうちに「ところでTwitterやってますか?」と聞かれることがそこそこあるのだが、これを聞かれるたびに毎回「あぁ…相容れないタイプだな」と思ってしまう。そもそも初手でTwitterのアカウント聞いてくるか?そこLINEだろ。その人の呟きが俺に合わなかったとしてもブロ解とか出来ないし、したとしてもそのバーには行きにくくなってしまうから辛い。俺はマジでこいつとは一生関わらんでええわという人間以外に対しては明白な拒絶はしないようにしているので。なのでTwitterアカウントを聞かれたら毎回「やってません」と答えるようにしている。けど相手のアカウントは特定しようとしている。Twitterのアカウント聞いてくる人は大概行ったお店の報告とかリアルタイムでしてる自己顕示欲MAXさんなので(最悪)。

■ Twitterに載せる線引き

上の話と少し繋がるのだが、Twitterで俺が心がけている事がいくつかあって、その中の一つに「飲食店行った報告は時間差」がある。簡潔に言えばメシを食べて店を出て1時間くらい経過した後に「○○食べてる!」「○○たべたあ」とさも今そこで飯食べてますよ〜と呟く感じ。また基本的になんでも報告君なのだが誰かと遊んでいる時はほぼ全て解散後とか翌日に呟いている。呟かないこともある。別に誰かに日常的に追われているとかいう訳ではないのだが…。LINEの着信許可は常にオフにしています。

■マッチングアプリ②

呟いてないといえば、少し前に遊んだ人がマッチングアプリを利用していた。マッチングアプリについては前々から気になったので「どういう男が表示されんの?」と聞いたらスマホごと渡してくれたので、ありがたくお借りし瞬間・女モードになって男を物色してみた。プロフィール写真を見た限りではイケメン大量で驚いた。みんな清潔感もある。「おぉ〜」と感動してしまった。てっきりヤバイ男性の大博覧会と思っていたので。逆にイケメンばっかりで全員怪しい男に見える。そして彼らイケメン達をスワイプで選別していると、俺自身が橋本環奈さんであるかと錯覚してしまう。メッセージのやり取りも素晴らしい。全て向こうがお膳立てをしてくれる。こちらがどれだけ適当な返信をしても、相手は会話を広げようと様々な角度から新規の話題を提供してくれる。そりゃ全員勘違いするわ。カスですね。マッチングアプリ絶対にやりません。別に俺がマッチングアプリを利用したところで「こいつはナシ!」と女性が左スワイプする回数が一回増えるだけだが。ちなみにTinderはロン毛男の需要があるらしいです。

■交際②

マッチングアプリなど使うまでもなく俺に恋愛は無理だし出来る身分ではないと自覚しているし、多分診断されたら何かしらの病名が付くと思う。もう「社会人生活で彼女いたことありません」が俺のアイデンティティの一つになってきている。バケモンだろ。ただこんなことを宣(のたま)って許されるのは20代の間だけと言う自覚もある。30代で「俺って恋人できなくて〜」とか言ってるのはヤバイよ。室町時代なら間違いなく家督争いで真っ先にブチ○されていたと思う。僕はどうすれば良いんでしょうか?救いはあるんでしょうか?…無い、了解。俺が突然この話題を呟かなくなったら察してください。

■カント哲学と演劇

話は一気に変わるが、少し前に「感情」に関する研究の一環でこれに関する論文を片っ端から収集した。その際に見つけたのが"「生の促進」としての演劇━カント美学を手がかりに━"という論文なのだが、これが大変興味深く面白かった。面白かったというのは着眼点の話。内容については正直なところ理解しきれていないし、適当なことも書けないので記載しない。カントが『人間学』で演劇に言及した箇所を抜粋するに留める。初めて出来た彼女が演劇好きだったのを思い出し、連鎖していろんな記憶が蘇っています。余談でした。

演劇(悲劇であれ、喜劇であれ)があるほど人の心を惹きつけるのは何によるのだろうか。その理由は、どんな演劇においても何らかの難局が━希望と喜びの間に不安と苦境が━途中に訪れるので、そのために観客の心は相矛盾する情動の戯れによって大きく揺さぶられることになり、劇の結末に至っては観客は生の促進を覚えるからである。

カントの美学論については『判断力批判』を読んで欲しいのだが、あんな難解なやつ読む気力ねーよといった方にはこの解説がオススメ。

おわりに

こういう日記?エッセイ?の類は「何を書いた」かより「誰が書いた」が重要らしいですね。僕の疎い文章を最後まで読んで頂いた方には感謝しかありません。凄く嬉しいです。これからも末長く、僕を珍獣観察の感覚で見守って頂けないでしょうか。

僕はみなさんの書く文章も読みたいので、ぜひnoteなどで投稿してくださいね。投稿いただけましたらリンクはDMにでもぶち込んでおいてください。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以上

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