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1999年生まれの僕ら

京浜東北線の先頭車両、横浜駅から約5分。少しカーブのかかった高架橋の駅に着くと、僕は胸の高まりを抑えることが出来なかった。

父親を急かすようにシウマイ弁当を2つ買って、流されるように信号を渡る。そして人の波はY字の照明で照らされた巨大スタジアムへと吸い込まれていく。

ゲートをくぐると僕は思わず言葉を奪われてしまった。初めて見る野球、スタジアムと歓声の大きさ。そして初めて見たホームラン。

その全てを鮮明に思い出すことが出来るのは、僕だけではないはずだ。

2008年、ベイスボール・横浜銀行

地元の人間ですらそのチームを応援する人は少なかった。当時小学生だった僕もその1人だ。

それもそのはず。最下位が指定席、内川の打率より低い勝率。地元の金券ショップに行けばネット裏の席でさえ叩き売りされていたし、当日席だって簡単に手に入る様な有り様であった。

野球に関心がない友達にもこの事実は知られていて、体育の授業のチーム対抗戦で最下位になったチームは「ベイスターズ!」なんて呼ばれていた(ファンの子は怒ってたなあ...)。


地元であることに加え容易にチケットが手に入ることも相まって、当時は何度も父親に横浜スタジアムへと連れて行ってもらった。

平日夜の不人気カードともなればスタジアムは閑散としていて、相手のエース級(カープのルイスとか中日のチェンなんかは天敵である)がアナウンスされると、スタジアムのあちらこちらから溜め息が漏れていた。

そして案の定、直ぐに打ち崩されるベイスターズの先発ピッチャー。出てきては打たれる中継ぎ。相手のエースが降板した後、追いつかない程度の反撃を見せて負ける。

こんな試合を何回見たことだろう。


ただ人間というのは不思議なもので、ここまで一方的な試合を見せられ続けると弱い方を応援したくなってしまう。僕はいつからかジャイアンツを応援しながらも、ベイスターズの試合結果を追うようになっていった(なんかアンダードッグ効果という名前があるらしい)。

2017年、夢を打ち砕く内川

そんなこんなで度重なる身売り報道の末、2012年に『DeNAベイスターズ』は誕生した(モバゲーベイスターズにならなくてよかった...)。

監督には絶好調男・中畑清が就任。1年目は散々な結果に終わり、阪神金本の引退試合では「監督の方が目立っているようじゃダメ」なんて叱責を受けてしまったが、親会社の企業努力もあって年々人気と成績は向上していった。

2016年には初のクライマックスシリーズへ進出。昔は簡単に手に入れることが出来たチケットも、この頃には争奪戦となっていた。


そして迎えた2017年。ベイスターズはレギュラーシーズンを3位で終えると、大雨の甲子園、そして圧倒的アウェーであるズムスタでの戦いを制し、日本シリーズへとコマを進めた。

日本シリーズの相手はソフトバンク。3連敗で王手をかけられた所から2連勝、昔にはなかった驚異の粘りをみせるベイスターズ。

そして迎えた第6戦、あと3アウトで逆王手。思わずジャイアンツファン、そして受験生という立場を忘れ、マウンド上の山崎康晃を応援していた。

まずは1アウト。そして僕に生まれて初めてホームランを見せてくれた男が、あの時とは違うユニフォームを着て打席へと向かう。

その後の結果は言わずもがな。こうしてベイスターズの2017年は終わった(そして僕の受験浪人も決まったのである)。

2021年、

今でも僕はジャイアンツファンだ。これだけベイスターズについて語っておいても、「何処の球団を贔屓にしているか」と聞かれたら「ジャイアンツファン」と答えてしまうのだ。

それでもベイスターズの試合結果を追ってしまうし、心のどこかで応援している自分もいる。常勝球団に足を一歩踏み入れた今でも、時々現れる目も当てられないお粗末プレイや、継投ミスで勝ち試合を落とす術はもはや様式美と言ってもいい。ただそれを愛さずにはいられないのだ。

1999年、ベイスターズが優勝した後に僕らは生まれた。見たくないようで、見てみたい。生まれて初めて目にするベイスターズの優勝は、もうすぐなのかもしれない。

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