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#NFTアートのステートメント を考え始めてみようという会:第2回議事録

導入

加藤:この「#NFTアートのステートメント を考え始めてみようという会」は、2021年11月19日に開催した「〈NFTアート〉の可能性と課題」というイベントから派生しました。いま、いろいろな〈NFTアート〉が生まれ、「〈NFTアート〉は詐欺だ」などいろいろなことが言われています。そうした中で、アーティストやクリエーター側としてのステートメントがあると、一つの指標になるのではないかということで話を始めています。今日はスタートバーンでの同僚でもある、Open Art Consortiumの伊東謙介さんをお招きしました。伊東さんはブロックチェーンとアートについて昔から考えている方なので、いろんな面白いお話を伺えるのではないか、また〈NFTアート〉のステートメントに対してどういうお考えがあるのかを聞いてみたいと思いました。今日は、最初に伊東さんから話題提供をいただいた後、小林さんが書いた〈NFTアート〉のステートメント草案の読み合わせみたいなことをしながら議論に移っていければなと思っております。よろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。

小林:情報科学芸術大学院大学[IAMAS]の小林です。今年の11月19日に「〈NFTアート〉の可能性と課題」というイベントを開催し、それをきっかけにこの〈NFTアート〉のステートメントを考え始めてみています。今日は叩き台を用意しましたので、後半でご紹介したいと思います。どうぞよろしくお願いします。

高尾:普段はクリエイティブコーダーとしてプログラミングに関する表現の活動をやっています。今年の8月に〈NFTアート〉のプロジェクトで《Generativemasks》という、プログラミングによってグラフィックを生成する技術を使ったアートをNFTとして販売しました。ありがたいことにそれが話題になり、作品が流通している状況になりました。僕自身、コミュニティとか関わりながら活動していますので、今回は〈NFTアート〉の可能性と課題のうち、課題についてステートメントでより良いものにするというところに何かしら関わって情報発信をしていけたらと思って参加しています。今日はよろしくお願いします。

高瀬:株式会社TARTの高瀬俊明と申します。私は日頃クリエイターやアーティストのみなさんとご一緒させていただいて創作をご支援するという中で、NFTの技術周りを中心に、アーティストの皆さんから多くの示唆していただいております。直近ですと、高尾さんと《Generativemasks》でご一緒させていただいていおりまして、〈NFTアート〉のステートメントにも非常に関心があるので、皆さんとよき議論をできればと思っております。よろしくお願いします。

加藤:あらためまして自己紹介です。加藤明洋といいます。情報科学芸術大学院大学[IAMAS]を小林先生のもとで卒業しまして、いまはスタートバーン株式会社というところで伊東さん達と一緒にアートのブロックチェーンの接続をしております。あとは自分でも《WAN NYAN WARS》という〈NFTアート〉の作品を作っています。では、早速伊東さんからお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

話題提供

伊東:こういう場に招待していただきありがとうございます。自分がやってることや、この 「〈NFTアート〉のステートメント」について、自分の意見をフランクにお話できればと思います。加藤さんからお話があったように、いまはスタートバーン株式会社におります。社長の(施井)泰平さんとは、会社を立ち上げる前の2014年から一緒に活動しています。同時に、大学院の博士課程に在籍していて、今年の10月に博士号を取りました。いまは大学でブロックチェーンに関する研究をやりつつ、スタートバーンにもリサーチャーとして在籍しています。中学生の頃から現代アート、特にマーケットに興味があり、美大に行こうかどうか迷った結果、いまやるならマーケットに切り込んでいきたいということで、経済学部に進みました。一方でアートとの接点は作ろうということで、学部の頃は村上隆さんのカイカイキキでアルバイトをしていました。学部を卒業する頃、泰平さんがスタートバーンのアイデアをWebページに公開してたんですね。それを見て面白いと思い、立ち上げに関わらせてくださいと連絡をしたところ、「それは嬉しいけど、君の将来に責任を持てないから、とりあえず自分がいる大学院に入ってくれ」と言われたので、大学院の修士課程に入ると同時にスタートバーンを始めました。ブロックチェーン自体は、修士2年生の頃にビットコインの仕組みを知って面白いなと思ったところがきっかけで、会社も徐々にブロックチェーンをやるようになり、いまに至ります。

あらためて、なぜ自分はアートのマーケットやビットコインの設計に興味があるのかなと見つめ直すと、管理する人がいなくてもうまく機能するという、ブロックチェーンの合意形成のインセンティブの設計にすごい興味があるんだということに気づいたんですね。アートのマーケットには、アーティストになりたい人、お金を持ってるような人などいろんなプレーヤーがいて、だけどなかなかお金が動かないし、なかなか新しい技術の潮流を日本から世界に発信できてない。だから、どこを変えればそれが変わってお金が動くようになるのかなというような設計のところに興味があるというところが共通点だと思います。美術史を勉強していくと、ある作品の価値を誰が決めるのかという話は、現代美術、特にコンセプチュアルアートの文脈でよく扱われていることがわかりました。自分がやりたいことを一言でいえば、コンセプチュアルアートをいまの時代にもう1回やることなんだと思います。ブロックチェーンに関して研究することと、アートのマーケットを作ること、あるいはそれに関連して何か作品を作ることは、バラバラの興味ではなく、コンセプチュアルアートを復興させることなんだ、と考えると自分の中では納得がいきました。〈NFTアート〉に関しては、NFTの分散的に合意を取るような設計などにすごくアートとしての可能性を感じています。現代アートとして成立させるんだったらコンセプチュアルアートの文脈と繋げて、何か制作をしたり、モデルを作ったりしてみたいなと思っています。今回の〈NFTアート〉のステートメントに関しては、皆さんがやっている観点とは少し違うかもしれません。そういった立場でいろいろと意見や発言をしてみたいなと思っています。

加藤:僕自身はそんなにコンセプチュアルアートのバックグラウンドはないのですが、構造的なアートが面白いと感じるので、興味の部分ってのはきっと一緒なんだろうなと思います。《WAN NYAN WARS》もそうなんすけど、アーティスト自身が物を作ってしまうと、合意形成っていうか割とトップダウンになると思うんですよね。どういうふうに合意形成を〈NFTアート〉と絡めようとしてるかというところを聞かせてください。

伊東:いろんなやりようはあると思います。いまは論文で自分の意見を出してるレベルにとどまっているんですけど、NFTというよりはプロトコルの設計について書いています。実際につくるとしたら、多分イーサリアムの上でアプリケーションとして何かをつくり、それ自体がアートだと言い張るということになるのかなと思います。NFTと絡めていえば、世の中にたくさんあるNFTの中で、何が良くて何が悪いものかを決めるのに、いろいろな決め方があると思います。シンプルに、いくらで売れた、プロジェクトの出来高がどのぐらいか、といった指標がありますが、それに対してちょっと違う評価軸を作ることは、一つのやり方にやりようになるんじゃないかと思います。GoodとBadに分類するレピュテーションシステムみたいなので数値化するとか、NFTの引用関係のネットワーク構造でスコアリングしてみたりとか。NFTの価値をどうやって決めればいいのかという問題に対して、いまある評価軸とは違う評価軸を提案してみる、その行為やその設計自体をアートなんです、ということも考えられるのかなと思っています。

加藤:伊東さんが論文で書かれていたのは、インセンティブ設計がないから関係性の中でその論文を評価するかどうかとかが決まっている現状に対して、論文の評価にインセンティブ設計を入れられないかということでしたよね。

伊東:そうですね。博士論文もまさにそういうテーマで、分散的にみんなで決めましょう、どうやってそのインセンティブを参加者に与えるか、といったことを扱っていたので一貫した興味でもありますね。

加藤:今回のステートメントは態度を示すというところにこれまでの議論では行ってたような気がしています。一方でその伊東さんのお話を伺うと、プロトコルは強力ですよね。評価軸を合意するとなったら、プログラム的な、構造が法であるという感じの描きかたになってしまうと思います。何かご意見ありますか?

小林:合意形成という言葉が何を意味するのかは、特にブロックチェーンに関して議論するときには整理した方がいいんじゃないかなと思うんですね。というのは、ブロックチェーンの中における合意形成と、人の社会における合意形成はだいぶ違うと思うんです。ブロックチェーンを繋いでいくときの合意形成は、プロトコル的な話で全部完結していると思います。それに対して、人の社会における合意形成ってめちゃめちゃ複雑なところがあると思うんですよね。例えば、プロトコルを決めて、ルール通りに決まりました、ってなっても「一応賛成はしてるけどそれには従わない」みたいなことが平気で起きるというのが人の社会だと思います。ブロックチェーンの合意形成という言葉はすごくよさそうに聞こえてしまうんですけど、それが担当しているレイヤーと、人の意思決定が行われるレイヤーの違いみたいなところは整理した上で議論した方がいいのかなとは思います。伊東さんや加藤さんはブロックチェーンの合意形成という仕組みでどこまでいけると思っていらっしゃいますか?

加藤:以前作った《TRUSTLESS LIFE》という作品は、ブロックチェーンが社会に浸透して信用度をみんなで決め合うという社会を体験するゲームです。ブロックチェーンの合意形成は信用度を記録してしまえば良いし、記録する仕組みを作ってしまえば何かおそらくできると思います。ただ、本当にその記録をするかどうかは別だと思います。例えば、家族の中での「勝手にプリンを食ったのを記録してやるからな!」みたいなことって起こらないと思うんですよね。そういう描けない部分って絶対出てくるなとは思っていて、人の社会の複雑さみたいなところをステートメントでは書くべきなのかな、と思いました。

伊東:どこまでできるかについて結論からいうと、いろんな既存の評価軸に対して、何か個別の評価軸を示すっていうところまでになると思うんですね。その評価軸が絶対だというよりは、数値化で基準を出すことができるんじゃないの?っていうことが言えるくらいになると思います。現代美術に関していえば、何がいい作品なのかを決めるときにいろんな評価軸があると思います。単純にオークションで高い値段がついて売れたらOKという側面もあれば、美術史を専門的に研究してる人がいいって言ったらいいみたいな要素もあったり、合わせ技で価格が決まっているっていう側面があると思います。それに対して、新しい評価軸を示すことくらいはできるのかなと思っています。その評価軸の作り方について、ビットコインが示した決め方はインスピレーションくれるものだなと思っています。もちろんおっしゃるように、ビットコインの合意形成っていうのは、言ってみれば台帳の記録の正しさなので、全然質も違うものではあるんです。それを拡張して、主観的な内容に関しても分散的に合意形成を取れないかという議論は、イーサリアム上でアプリケーションを作るときの分散型オラクルなどで議論されています。管理する人がいない中で、みんなでどうやって決めるか、というところの設計の仕方は、既にそこそこ議論されているので、それを使いつつ、 NFTや芸術作品の評価も、いままでの仕組みとは違う軸というものを世の中に出すっていうことくらいはできるのかなと僕は考えています。

加藤:何か一つの軸で評価できないよねっていうのが社会だと思うので、いくつもの評価軸を出して組み合わせで評価していく、記録そのものを意味づけていくところかもしれませんね。

伊東:ステートメントに関しては、位置づけがなかなか難しいところではありますよね。これが〈NFTアート〉だという定義をを強制することもできないだろうし、かといって、いろんな考えあるよねというフワッとした感じで終わらせてしまっても意味がないものになってしまう。みなさんがやられている理念もわかるし共感する一方で、その難しさがあるから、何ができるのかということに明確な答えは正直まだ出てないところではありますね。

加藤:草案の読み合わせ会みたいなことをしながら後半に行ければと思うんですけど、いかがでしょうか?

小林:草案の話に行く前に、伊東さんのコメントへのコメントを。おっしゃる通り、特定の評論家が価値を決める、市場の価格が価値を決めるという二つの中で、いまは後者の割合がかなり大きくなってきていると思います。それとは違う価値の決めかたが出てくると、それら三つのバランスが生み出せるのかもしれませんね。正直にいうと、いまのアートワールドが素晴らしい世界かといえばそんなことないと思うんですよね。元々そんなに特別なものじゃなかったのに、ルネサンス後期くらいから徐々にいまの地位を築いたってことはすごいと思うんですけど、本当に特別な文化なのかとそうでもないと思ってるんですね。〈NFTアート〉に関して、〈NFTアート〉と言ってしまうことによって、その狭いワールドの中に引き込まれちゃうのはむしろ勿体ないんじゃないかという議論を同僚としたことがあるんです。ただ、〈NFTアート〉とあえて呼ぶことによって、アートを拡張しようというような活動になるんだったら、すごく面白いなと思うんですね。だから、伊東さんがおっしゃったように、ブロックチェーンの合意形成にインスピレーションを得て、新たな価値の決め方を作ってしまおうというのは、すごいチャレンジングだと思いますけど、できたらとても面白いなと思います。それをどうやったらできるのかというところを伺ってみたいと思いました。

伊東:論文では、課題はまだたくさんあるという書き方になっています。例えば、先ほど話したオラクルの話だと、主観的な内容について決めましょうというときに、トークンを持ってる人がトークンを投票に使ったり賭けたりして、多数派になった選択肢が合意形成の結果とみなすということもやられてはいるんですが、それにも課題があります。例えば、いわゆる「美人投票問題」が出てくるんですね。つまり、自分が本当にこれだと思う信念をいうよりも、多分これが多数派になるんだろうなというところに投票してしまう。そうなってくると、どの選択肢も均衡になりうると言われているんですね。だからトークンを賭けるというアイデアで本当に投票する人の正直な心に引き出せるのか?というような議論があります。そういった議論をまだ自分は追求しているところで、現実にどこまでできるかについてはまだまだ課題は正直多いですね。

小林:面白いですね。合意形成するとき、みんなが全体最適を考えて意思決定するのが理想的ですが、それぞれ自分の目の前にあることしか見ていないのが現実です。正直に意思を表明しさえすれば、全体としてまあまあいい感じになるというプロトコルができたら、それが一番現実的なのかなとは思います。ブロックチェーン的なインスピレーションにも繋がるのかなと思いました。例えば、投票に関して多数決よりもマシなルールだと言われているものにボルダルールがあります。でも、ボルダールールの方がいいということをみんなが信用してないとうまくいかない、ということをある組織で試したときに実感したんです。このルール自体は結構いいんだという信頼が醸成された上で、その上手くいっているルールをこちらに使いましょう、という進め方をしたら、合意形成がうまくいくかもしれないなと思いました。

伊東:ありがとうございます。これを一般化して考えと、最近流行ってるDAOの考えかそのままなんですよね。アートに使うのであれば、DAOの議論に専門家的の意見を加えないといけないのかな、など考えることは本当に多いですね。冒頭で話したように、本心を言えば、自分はコンセプチュアルアートなんだっていうふうに見せたいんです。だけど、そもそもコンセプチュアルアート自体がマイナーでかつ小難しいという印象があると思うので、どう世の中にわかりやすく伝えていくかで悩んでいますね。

小林:ステートメント草案の背後にある考え方にも繋げていくと、11月19日や前回のお話を伺って分かってきたのは、これは想像上の話とか、いまの社会は駄目だからユートピアを作るのだととかそういう話ではなく、イーサリアムやビットコインを経由して現実の世界とかなり密接に繋がっている活動なんですよね。だから、イーサリアム上でやろうとすると、コンセプチュアルにはなりきれないところが面白いなと思ったんです。なりきれないというのは悪い意味で言ってるわけではなくて、最初からみんなの欲望と繋がってしまうというか。だから前回のとき、加藤さんが社会実装を最初から考えてやりたいんだということを話していたと思うんですけど、まさにそうならざるを得ないというか。だからこそ、「コンセプチュアルなんだけどリアル」みたいなものになるというところが、〈NFTアート〉の面白いところなんじゃないかと思うようになりました。

加藤:ビットコインやイーサリアムが出てきた瞬間だったら、おそらく現実と繋がっていないというかいわゆるコンセプチュアルアートだったと思うんですけど、みんなの幻想から現実に接続できて「デジタルなんだけど現実」みたいな感じになってきています。もはやそれが社会実装されているという前提で、それに対する態度がステートメント版にあるべきなんだろうと思ったのをつぶやきました。所有権や著作権の話が強く出ているのも、ルールが醸成されて一般化されたら、そのルール自体が信用されて、そこで評価が生まれるみたいな。いま〈NFTアート〉がいろんな議論を呼んでいるのも、だんだんその感覚ができていって社会実装されていると感じている人もいるし、その感覚がまだあまりわからないと思ってる人は胡散臭さを感じている、そうした隔たりが出てきているのかなっていう気がしていました。

ステートメント草案に関する議論

小林:どんな考え方で草案を書いたのか、簡単に説明してみます。〈NFTアート〉とは何かを定義するのは、どう考えても難しく、どう解釈するか自体にみなさんのクリエイティビティが出てくると思いましたので素直に諦めました。その代わりに、〈NFTアート〉に関わってる人たちの中でこのあたりは共通の認識ではないかということを、私の観察できている範囲から抽出することを試みました。第1段落では〈NFTアート〉が注目されている現状を、第2段落では所有権や著作権に関する認識と、未成熟であるという認識を示しました。第3段落では、自分たちが努めることと第三者に求めることを、盗用や剽窃などに対する態度も含めて提示しました。本当にたたき台のつもりで書きましたので、ぜひ率直なご意見とかご感想を伺いたいなと思います。よろしくお願いします。

加藤:高尾さんや高瀬さんは、剽窃の件が最近大変そうでしたね。ご意見をいただけますか。

高尾:《Generativemasks》 が公開されて以降、ライセンスに違反するような形でのコピー作品が流通することが起きました。直近では、イーサリアムとは別のTezosというブロックチェーン上のマーケットプレイス「fxhash」で、自分を含めた日本のジェネラティブアートコミュニティの人たちの作品がコピーされて流通するという状況がありました。僕自身は、コミュニティの活動を追いかけてるので、これは盗用だよという注意喚起をしているところです。ジェネラティブアートに関しては、作品のコードが公開されている場合には、容易に剽窃や盗用ができます。個人的には、〈NFTアート〉に関わる人に対して、参照はしてもいいけど盗用はしてはいけない、といった倫理感みたいなものを求めたいなと思っていて、今回こういうステートメントの起案に関わりたいなと思っているところです。高瀬さん何かありますか?

高瀬:草案ありがとうございます。内容としては特に大きな異論はありません。いま高尾さんおっしゃった盗用とかの問題は、《Generativemasks》を出した瞬間に偽者が同時多発的に出てきて、それを消すような作業に高尾さんが日々追われてたり、ジェネラティブアートのコミュニティの方々がそれに苦慮されてるのを見ながら、心がすごく痛いなと思ってるところです。ブロックチェーンの技術上、マーケットプレイス側から削除や非表示にすることができたとしても、盗用された作品は残り続けて、発行者や購入者の手元にも残り続け、それを消す術が第三者側からはありません。一度偽物が流通してしまうと消しにくいというのは画像でも起きますが、NFTだとさらにそれが難しいため、この辺は関わってる人たちにしっかりと理解をしていただいて、〈NFTアート〉に関わるのであればそれに伴う責任を明確に理解をしましょうということはそれなりにかなり強い態度として見せてもいいんじゃないかと感じました。特にこの最後の、「以下のことを求める」というところは、別に強くないというか、むしろそれぐらいの感じで向き合っていったらいいのかなと感じました。あと、冒頭で伊東さんの考えを拝聴しながら自分の中で考えを巡らせてしまっていて発言ができてなかったんですけど、この草案に絡めてコメントします。〈NFTアート〉とはそもそも何であるかの定義がないので、〈NFTアート〉が何であるかということに合意できている状態で買えているのだろうか?と考えました。第三者に権利が譲渡された瞬間に他のNFTが消える、2個持ったら1個は消える、2個持ったら1個生まれるなど、「コントラクト芸」と呼ばれるスマートコントラクトの書きようによっては、一口にNFTといっても多様です。また、最近NFTが定義される以前に生まれてNFTと言われてるようなものの中には、ほとんど NFTの体を成していないのに高額で流通してるものもあります。そうした中で、明確にこの〈NFTアート〉においてはどういうことが行われるのか、その購入によりNFTを擬似的に所有できる人たちにはどういう権利が付帯されているのかをしっかりと示すという意味で、所有権および著作権に関する条件を明示することは、盗用されないために自分たちのライセンスを示していくっていうことも必要だし、買っていただくとか持っていただくような人たちに対しても、どういう定義というか NFTなんだよってことを示してあげるということも同時に必要なんだろうなというふうにも思いました。ですので、この1文はとても大事だと思います。

加藤:NFTのコントラクト芸もそうなんですけど、例えばイーサリアムがハードフォークしたらどうなるんだろう、ということもありますよね。NFTは唯一のものだと言われてますけど、唯一ではなくなることもあるかもしれませ。そうなってくると、所有権という考え方は違うと思えてきて、オーナーシップの意味をもっと理解すべきだと思いました。だから、オーナーシップは権利だけでなく責任を伴うことを理解するというのは必要だと思います。

高瀬:もう1点、「コミュニティと誠実に向き合う」という部分について、コミュニティというと大勢という感覚がありますけど、一対一でも同じようなことなのかなと思います。関わった人たちと、その発行者側が向き合い続けるという態度が、先ほど加藤さんがおっしゃったみたいにハードフォークしたらどうするのかとか、唯一だと思ったけど唯一じゃなかったなど、技術の発展や変化によって様々なことが起きうる、まだ途中のものだと思います。だから、保有者側も、発行者側も、誠実さを持って向き合っていきましょうねっていうことしか、最終的には言えないと思います。お互いに責任を持ってちゃんと考えていきましょう、理解をしていきましょう、というしかないのかなとも思いますね。

加藤:「他の人々の権利を尊重する」の意図をもう少し詳しく聞かせていただけますか?

小林:ここで想定していたのは、剽窃や盗用をしないという項目の裏側というか、皆さんにも求めると同時に自分たちもそれはしないということですね。ちょうど、この草稿を書いていた時、Twitterに剽窃や盗用に関する高尾さんのツイートが流れてきたのに影響されてるところがあります。剽窃とか盗用は主に著作権に関わる話ですけど、それ以外の権利についてもあり得ると思うので、それらも含めてこのような表現になっています。でも、この項目を含めるべきかどうかは考え直した方がいいかもなと思います。何かに対して物申すとき、他の人の権利のことをばかり考えるとできないこともあるのかなと。「他の人々の権利」は広すぎるのでもっと限定して、剽窃とか盗用をしないということに限定した書き方にした方がいいかもしれないなと思いました。

伊東:実をいうと、みなさんと僕は結構意見が違うんです。というのも、剽窃や盗用をしないというのは普通に考えたらそれはそうなんですけど、アートとしてやるときってあえて何か剽窃みたいなことをやって、それがアートだってと言い張るようなこともありうると思うんですよね。だから結局のところ、何をやってはいけませんと抽象的に書いたとしても、後に続く人が何か破ろうとすると思うんですよ。そういう意味では、ステートメントとしてまとめるときに、私達はこういうことを務めますっていうことすらも書けないような気がして。なので突き詰めて考えると、何か皆さんが〈NFTアート〉をやる上でいろんな側面があると思うのですが、私はこういうところを追求していきたいと思うという意見を述べることしか結局できないのではないか、と正直思っています。でも一方で、だから剽窃や盗用をしてもいいんだとも思わないので、そういう話はステートメントではなくライセンスでカバーするべきなのではないかと思います。例えば、クリエイティブコモンズのようなもので、自分の作品のコードを使いたかったらちゃんと出典を明記してくださいとか、そういったことは言えると思うので。既にあるクリエイティブコモンズライセンスを〈NFTアート〉の現状に合わせてアップデートしてカバーするべき話だと思うんですよ。何かをステートメントで言っても、あまり効果がないような気がするというのが正直なところです。

加藤:おっしゃることは確かにわかるんですけど、先程の人の社会における合意形成とブロックチェーン上における合意形成は違うという話題での、スマートコントラクト上でコードで書けないようなものをライセンスで書くべき、というのは確かにそうなんです。だけど、ステートメントに強制力があるかどうかというより、こういう態度でやってのだということを示すのが重要だとも思います。何かルールのルールに対する信頼が醸成され、DAOみたいなものできたら現実と繋がるみたいな話がこれまであった中で、そういうのを作るときにはライセンスの話でもいいし、ステートメントの話でもいいと思うんですけどどうなんだろう…とちょっとわかんなくなってきました…。

伊東:そもそもステートメントをやる目的みたいなとこにも関わってくると思うんで、根本からそれを否定するようなことをちょっと言ってしまったかなと思って、反省してるんですけど…。

高尾:いや、そんなことはないです。反省とかは全然大丈夫だと思います。

伊東:すごいフランクに言ってしまうとですね、なんかアートをやってる人って、かっこつけたステートメントをよく出すんですよ。でもそれが自己満足というか、結局問題を解決しようとしてないというか、かっこいいことを言って満足しちゃったようなことが多いと、正直僕はもどかしいと僕は思ってるので。ステートメントでできることはここまでで、ここから先はライセンスでやることで、と書き分けることでどこまでできるのかは、考えたいなとは思うところでした。

高尾:それでいうと、この剽窃や盗用みたいなのはほぼ僕の周りというか、ジェネラティブアートのNFTが主に直面している問題です。クリエイティブコモンズのライセンスを付与して非商用では使わないでねということを明記したり、NFTの中に記載していたりするので、OpenSeaなどのプラットフォーム側に連絡して消してもらうことはできるんです。でもやっぱり売れた後の事後的対応になってしまい、先程言ったようにNFTそのものは残ってしまって、どうすることもできないというか、そういう問題に何らかの形でアクションするっていう一つのやり方として、このステートメントを考えています。もちろんそれ以外にも、先ほど言われたような、システム上の実装とかの可能性や、コード自体を照らし合わせていくみたいな仕組みなんかももしかしたらできるかもしれないとは思うし、そういうところに《Generativemasks》の継続的な収益をうまく使っていくというのは、可能性としては全然あるかなと思ってます。

伊東:ちょっと理想主義的なことを言い過ぎたなと思って…。現実にそういう問題が発生しているという問題を考えていかなければと思いましたね。

高尾:いやいやいやいや。その辺りのことは当事者だからわかる問題って気もしますし、全然そんな責任とか感じないでいいと思います。もちろん、ステートメントでどれぐらい問題を解決できるのか、本当に効力があるのか、という疑問はあると思います。少なくとも、2021年の<NFTアート> に関わる人間として、意思表明したりとか、残すこと自体はそれなりに何か、この時代にこういうことをやっていたとかって意味ではあるかなと。それ以上の、万能な盾になるかというと、剽窃する人はこれを読まないでパクッちゃったりする場合もあると思うんで(効果は不明です)。ただ、社会的なアクションとして、こういうことを考えてる日本人がいるんだなみたいなところは、伝わっていくといいなと思いますね。伝えていかなきゃいけないなというか…。そんな感じです。

伊東:ありがとうございます。なるほど理解しました。

高瀬:社会でステートメント自体に実効性を持たせるとか、同じようにやってねっというよりもより、〈NFTアート〉にまつわる怪しさみたいなものや、盗用が横行してる中で、もう本当にただの怪しい金儲けの手段みたいに収まっていって結果的に〈NFTアート〉が持っている可能性が損なわれていくっていうことが非常に残念だなと思っています。アートの表現として何らかのちょっと尖った表現をしてくる人たちが出てきたときに、批判もありつつ議論が適切に生まれて、アートとして認められていくことになっていくと思います。そういうある種のイリーガルさはアートにはあるんだろうなと思いつつも、〈NFTアート〉をやってる当事者としては、別に社会悪になろうとするわけではなくて、むしろ新しい可能性を育むために真面目にやってますよちゃんとやろうねっていうのを何か言いたい、それをみんなと一緒に共有したいみたいなモチベーションが個人的にはあります。そういう意味で、いま伊東さんがおっしゃったみたいな議論ってすごい良いポイントだったなと思うんですけど、個人的なモチベーションとしてはそういうところにありますね。

小林:今、永井さんがツイッターで書いてくださってるコメントを読んでいました。確かに、最後の「全ての人々に、以下のことを求めます」という部分はなくてもいいのかもしれないと思えますね…。伊東さんがおっしゃったように、何か起きた時にアーティストが問題提起だと言ってかっこいいステートメントをどんどん出す、みたいなことは過去にもたくさん起きてますが、実際にそれがどのくらい有効なのかっていうのは疑問ではあります。ですけど、その時こういうふうに考えてたんだっていう記録としてはしっかり残っていくものになると思うんですよね。そう思うと、この2021年ってかなり大きな変化が起きて、正解がまだわからない中でどう考えていたんだっけ、というのを記録して表明するっていうところまでの効力にはとどまるとは思うんですね。ガイドラインではないですし、〈NFTアート〉をやる人は皆さんこうしてくださいねっていう話でも全然ないですし、〈NFTアート〉をやる人向けのライセンスっていうものでもないんで、そういう意味で法的な力は全然ないと思ってるんです。ただ、こういう考え方で何かやってたんだよねっていう一つの記録としてというところですかね…。なんかだんだんと弱い感じになってきましたけど(笑)。

加藤:わざとそれを欺こうとする人が本当にクリティカルな欺きをできるのであれば、それは何らかの別のアート的な視点になるかもしんないすけど…。さっきも小林さんがおっしゃってたように、今の時代にこういうことを考えていて、こういう態度でやってるんだなっていうことを伝えるためのものにはなると思います。ちょっと思い出したのは、最近『ウマ娘』っていう実際の競走馬を擬人化して走らせるようなゲームがあるんです。実際の競走馬の名前を使ってるから、(R18など)よくない絵とかを描かないでねみたいなことを公式が宣言しています。(それを破ってしまうと)コミュニティ的に割と冷ややかな目で見られるということがあります。そういうのって、結局ステートメントというか、態度を明らかにしたことで、困る人たちがいること、全体にとってよくないからやらないでねみたいなことを、強制力があるわけじゃないけど態度として出しておく、というようなことはあるのかなと思いました。すいませんちょっと『ウマ娘』の話はちょっとわかりづらいかもしれないです。

こちらのコメントが来ています。どうやって決めていきましょうか?

小林:当初思っていたのは、ステートメントと呼んでいるものを起案してみようという人たちで完成したと思えるところまで来たら、それに賛同する人がサインするという形式です。だから、多数決で一定数が賛成したからこれは有効です、ということは全然考えてないです。というのは、過去に自分自身も末席で関わったものにオープンソース・ハードウェアに関する基準書と定義があったんですけど、侃々諤々の議論を経て、みんなおおよそ合意できるものができた後に、それを支持する人がどんどんサインするみたいな方法をとり、少なくともこの何百人かの人たちはこれを支持してますという表明をしたんですね。だから例えば、いま〈NFTアート〉というものに取り組んでる人たちに呼びかけて投票しましょう、みたいなことではなく、こういうものを書いたんですけど賛同する人いたらどうぞ、みたいなものかなと思うんですね。そのときに、おおよそ賛同できるけどここの部分は駄目だっていう人がいたら、forkしてバリエーションを作ってそっちにサインするみたいなこととかができてもいいのかなと思います。どう進めるかは非常に重要ですね。

加藤:僕も、こういう意見に賛同しますっていうのがあれば署名するみたいな気持ちで考えてたので、投票で一つに決めるというよりは分散的なものがいいなと。

小林:そうですね。11月19日のイベントをきっかけに、そこに参加した人たちはきっとこんな感じで考えてるだろうなっていうのを抽出したようなものですので、〈NFTアート〉に関わるすべての人々が合意するのは無理だろうなと。そんなことができるくらいなら、世の中もっとシンプルだろうなと思いますので。

今後の進め方に関する議論

加藤:いまの草案を基にGitHubか何かでページを作って、フォームか何かで賛同する人たちが署名していくみたいな段階が次になるでしょうか?出した瞬間からforkするみたいなこともあるかもしれませんし。

小林:やっぱりGitHubがいいのでしょうか?

加藤:僕はGitHubは全然ありだと思うんですね。でも、世間一般の人にはGitHubに馴染みのない人もいるというのは、課題ですかね。でも、forkの概念はGitHub以外だとないものですし…。

小林:GitHub の場合、アカウントがないとイシュー(Issue)も書けないんですよね?少なくともアカウントは作らないといけないとなると、無料だけど結構なハードルにはなりますよね。インタフェースも日本語をサポートしてないので、そうした意味でも…。

加藤:僕は基本的に全世界の人がGitHub使えばいいのにって思ってる派の人間で、法案とかも全部GitHubでやってほしいなって思うぐらいなんですけど、現状で〈NFTアート〉に関わる方々がどれぐらいアカウントを持ってるかって言われると…。でも、賛同したいと思えば作って署名するみたいな話になるからそこはいいんでしょうか?オープンソースハードウェアの場合は、そもそもオープンソースの文化から来てるので、気にしなくてよかったみたいなところなんですかね。

小林:そうですね。だから、署名というところだけで言えばフォームで募集してもいいのかもしれません。でも、フォームだと他人の名前を騙れてしまうという問題がありますよね。

加藤:そうするとMetaMaskで署名してもらう、署名を集めてトランザクションを投げるのか…とか。高瀬さんは署名のところについてどう思いますか?

高瀬:そうですね。〈NFTアート〉に関わる人は、少なくともウォレット的な概念は把握しているのかなと思いますので、最終的にできたステートメントのファイルにウォレットで署名して、ということ自体は抵抗がないというか、自然なのかなと思います。そのシステム自体はそんなに難しくなくできると思うので、身内で作ったらいいのかなと思ったりしましたね。議論自体はGitHubで賛成です。

加藤:僕もそれに賛成です。署名を集める仕組みはできそうな気がするので。

小林:ウォレットの署名というアイデアは実装するのに若干時間がかかると思うので、まず議論はすぐにでも始めてしまって、署名する部分はその仕組みができてからする、という進め方がいいですかね。

加藤:いい気がします。今日も聞いていただいている方々から違う視点もありましたし、それこそ出した瞬間からforkが始まるかもしれないけど、そういうのも見てみたいですし、そういう署名して態度を明らかにするみたいなことが生まれてくればそれがおそらく、それらがきっと評価軸の合意形成みたいな話になってくるのかなという気はするので。GitHub上で意見をいうほどではないけどちょっと話したいんだ、という方々はDiscordとかですかね。今日は伊東さんの話も面白かったし、途中でのステートメントはそもそもいるのみたいな問題提起から、なるほどと思いつつも態度を示したいというところが明らかになるということもあって楽しかったですね。

伊東:ありがとうございました。こういう機会がなかなか少なくて、いろいろ自分もこう鬱屈したものがあったので、こういう場でできたのが嬉しかったですね。

高尾:いやももっと話してほしいし、出てきてほしいですね。

加藤:伊東さんはコンセプチュアルアートに関するブログや論評をいろいろ書かれているので、ぜひ伊東さんのプロフィールから辿ってください。今日は、コンセプチュアルアートの話に始まり、ブロックチェーンの中の合意形成と人の社会の中の合意形成の違い、評価軸をどう描くか、〈NFTアート〉ってもはや現実と繋がっているからコンセプチュアルになりきれないところもあるんじゃないか、理想と現実とのギャップからステートメントの話になり、オーナーシップとかNFTが何であるかを定義できるのかできないのかとか、技術的にはハードフォークやコントラクト芸によって変わるみたいな話があって、その中でライセンスじゃなくて態度を示したいんだみたいな話があり、ステートメントの内容に関する議論があって、GitHubでっていうところまで流れていった感じですかね。今後も〈NFTアート〉とは何かを決められないというのは絶対あるなと思います。自分たちがあるステートメントを支持すると考えたときに、そこでその人なりの態度が決まるので、そういう中で評価軸の語彙みたいなものができていくのかなっていうところは、ありそうですね。そのあたりがやっぱりオープンソースというかそういう人とGitHubのforkの関係で描かれていくのはきっと面白いだろうなと思うし、そういう世界を僕はよく見てみたいなと思っているので、皆さんもぜひぜひ自分としてどういう態度で向き合ってるのかみたいなのを考えていっていただけたらと。

小林:最後の最後にですが、GitHubでということにはしたのですが、このリポジトリのためにOrganizationを作った方がいいですよね?ひとまず「nft-art-statement」のような名前にして。

加藤:それでいいような気がします。僕の方で、署名の集め方とかページの見え方みたいなのを考え始めようかなと思います。GitHubそのままだと見にくいと思うので、「アジャイルソフトウェア開発宣言」のようなページにするとか。ちょっと、考えてみます。

小林:はい。ありがとうございます。Organizationはこの後すぐに準備を始めたいと思います。2021年の話なので2021年中にやった方がいいと思いますので、今日明日でちょっとがんばります。ありがとうございます。

加藤:では、今日はこのあたりで大丈夫ですかね。1時間程度といいつつ1時間半になってしまいましたが、お聞きくださった皆さまありがとうございました。また #NFTアートのステートメント というハッシュタグを使いながら議論を深め、ステートメントそのものについてはGitHubとかで議論していけたらいいなと思いますので、ぜひぜひ引き続きよろしくお願い致します。どうもありがとうございました。

2021年12月29日に公開したGitHubのリポジトリ


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