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いみのないこと

結局わたしは、生きることと死ぬことを考えるのが好きなんだと思う。

ねえ、わたしたちどうして生きてるんだろう。こういうことを考えるのって、幼稚なのかな。生きてる意味なんてない、人生にハッピーエンドは用意されてない。それでも何かしら仮定して、仮定して、仮定して、それを繰り返して生きてる。というか、そうしないと生きていけない。……本当にそうかな?

ひとりで考え込んで、わたしは心根の暗い人間なので、だいたいはじめじめとしていて、それをいちいち人に話すとうっとうしいかなあって。だから物語を読んでる。いや、日記でも短い言葉でもいいんだけど。突き詰めて、たどり着いた言葉に触れると涙が出る。ああ、生きててよかったね。

でもさ、どんな話でも結局は生きるか死ぬかの話でしょう。みんなの今日の晩ごはんはなに? これは生きるってことだね。近所のひまわりが枯れて、コスモスが育ってきてる。これも生きるってことかも。ねむったまま目覚めたくない。これはどっちだと思う? いまのわたしは、なにが悲しいのかわからないまま、泣きながらこれを打っています。

100年後にはすべて消えているわたしへ。それでも生きる意味ってなんだろう。「他人を羨むな。自分の人生を歩め」と言われたけどわたし羨んでたのか。たしかに自分には何もないとは思っていたけどさ。ということは、何者かになれると思っていたのかな。おさない心の万能感よ、かなしい子どもね。

どれも生と死を同じ分量で選択できる者のたわごと。いや本当は、同じでもないね。ねえわたし、死んでいたいのか生きていたいのか分かんないよ。だから生きるんだね。生きてる人間に死ぬことなんて分からないんだし、これからも間違いだらけで生きていこう。わたしの葬式には明るい音楽をかけて。

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