見出し画像

【書籍】美術手帖 1015年6月号

タイトルは「ポスト・インターネット」。インターネットが主流となったのちの、ステレオタイプな表現から複数のメディア領域を横断しながら、制作を行っているようなアーティストたちを指す。

インターネットが一般に普及し始めたのが2000年前後。デジカメの性能が一定のクオリティを担保できるようになったのが2010年頃。

FacebookやInstagramといったSNSサービスが開始され、われわれの日常にインターネットがインフラと化し、デジタル中心へと移行した後のアート表現。

デジタル・ネーティブ世代のアーティストたちは、それまでのアート表現と何が異なるのであろうか。

3Dプリンター、ARやVRなど、デバイスは目覚ましい進歩を遂げてきた。デジタルカメラでは、HDRや超高解像度などなど。新しい技術やシステムが構築されることで、アート表現もまた新たな技術を利用することによって、見た目上は新しいかのように見受けられる。

見た目が奇抜なものほど、一見すると目新しい表現であるような印象を受ける。また、最新の技術を利用することは、それだけで「新しい」表現といえるのかもしれない。

しかし、見た目は一般的のように見えて、コンセプトがぶっ飛んでいる方が、私は面白いと思っている。

見た目のヤバい人物が悪事を働いたらやっぱりな、という印象を受ける一方で、見た目が普通であるのに同様の悪事を働いた場合、インパクトは圧倒的に後者の方が大きい。

それを悪事ではなく、アートでやってのける。オラファー・エリアソンがとあるインタビューで述べていたが、「アートであれば、可能となる」。たとえば政治的な内容や、環境破壊など。直接的に言及すれば非難の的になり得るテーマであったとしても、アートであれば提示することができる。

しかし、アート=なんでもアリ、ではない。アートワールドに
蔓延る暗黙のルール上に則っている必要がある。


インターネットが当たり前となった現代。いまや常時オンライン化し、リアルとバーチャルとの境界は曖昧となっている。

シャーロット・コットンが現代写真論(英語版)の最新章で触れているのも、当然の動向なのかもしれない。

よろしければサポートお願いします!今後の制作活動費として利用させていただきます。