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難しい問題

「そろそろ焚き火の季節だねぇ」
なんて2週連続で火を囲んだり、3ヶ月連続でライブに行く予定が出来たりと、少しずつだが日常が戻る足音を感じる今日この頃。

昨年から始めた焚き火だが、グッズを買い揃えたり焚き火メシを試行錯誤したりするのがこれまた楽しい。

この前は某バク宙兄さんにビフテキを振る舞ってもらい、あまりの美味しさにレギュラー化が俺の中で決定。もはや焚き火の域を超えてBBQでは?っていうのは野暮ってもんだ。

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各々で持ち寄った食材で腹が満たされる集いってなんと優しい世界なのだろうか、としみじみ感動。みなさんあの節はどうもありがとう。


そんな感じで友人と遊んだり語らう機会もここ最近じわじわと増えてきた。
お互いに会えなかった空白期間を埋めるように溜まった話を吐き出し合う。

己の近況や子育ての悩み、親の介護、住宅購入の相談などなどコロナ禍で考える時間が増えたせいか比較的重めの話も多い感じ。この半年くらいで離婚した友人が2組いるのはまるで現代の縮図のようだ。

そんな会話の端々に思わず口にしてしまう返答が、

「いやぁ、、それは難しい問題だねぇ‥」

である。
この【良いでもなけりゃ悪いでもない】オトナ特有の曖昧でモヤっとした返答に我ながらいつも辟易している。

どう考えても問題からの逃げであり、思考停止ワードである。
確かに歳を取るにつれて出てくる悩みっていうのは無理難題や時間経過でしか解決できない事が多くなるのも事実。

おそらく相手はやんわりとアドバイスや意見を求めてくれているのに、このワードを放った時点で会話も終了してしまう。


俺の悪いところだと自覚しているが、沈黙がとにかく苦手なので矢継ぎ早に言葉を発してしまう。その性格も相まってか、返答に悩む前にこのワードを口走っている。

段々と年齢が上がるにつれて思考や行動の全てがエコモードというか手抜きになってきている気がする。その結果【難しい問題】という曖昧なワードで物事を片付けているのだろう。
経験則の蓄積による脳の判断だとは思うが、俺としては悪い癖のようにしか思えて仕方ない。

こんな風に生きていたらあっという間に人生は流れていってしまうだろうし、【目の前の物事や問題にしっかり向き合う】という姿勢は人間力を高める為にも必要だと思う。

今後は「難しい問題」というワードは使わないで生きていく!そう心に強く誓った。


そんな事があった数日後、とある事案で家族会議が開かれる。
現在息子は体操教室と音楽教室へ通っているのだが、妻の話だとどうも最近音楽教室へのやる気が落ちているらしい。

そもそもどんな習い事が息子に合っているか確かめる意味も込めて両方通っていたし、いずれはどちらか1つに絞ろうと考えていた。
最終確認も含め息子に意見を聞くことになった。

「ねえ、体操教室楽しい?」
俺が聞くと、
『うん!楽しいよー!』
と息子。

「じゃあ音楽教室は?」
ここで多分微妙な返答をしてくると踏んで聞いてみる。
『うん!こっちも楽しい!!』
うっ、、4歳児の気持ちは秋の空のようだ。

「よし、じゃあどちらか1つだけ通うとしたらどっちが良いかな?」
一か八か聞いてみる。
『どっちも通いたーい!!!』

「いやぁ、、それは難しい問題だねぇ‥」

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