20240408 目的が分からないと言われて

昨年2023年のM-1グランプリの3回戦の全ネタ動画は当時YouTubeにUPされていた。
総勢256組分をすべてを見ることは不可能だったが、気になっていた組のネタをたくさん見ることができた。
その中で、今でも印象に残っている言葉がある。
「こんな『お笑い』をやっている人間が読書が嫌いなわけがない」という言葉だ。
ワタナベエンターテインメントの“らくちんぺくちん”というコンビの、ボケのいしむらさんがネタ中に言っていた台詞だ。
何ネタか見た中で異様に印象に残っていて、配信が終わる前に3回ほど見にいった。

いしむらさんの言い回しをかりて、こんな心の掃き溜めのような文章を書いている時点で、言葉へのこだわりが無いわけがないというのが今回の提起だ。
私は、役者の中ではかなり思想が弱めだと思う。
自分なりの解釈はあるが、演出で言われたことにはできるだけ従うし、自分の解釈に近づけるよりも演出で言われたことを形にするためにはどうしたら良いかを強く考える。
それは、新人だからということもあるが、日常生活における自分自身の「他人とのズレ」を感じる瞬間が多いため、自分よりも人が考えたもののほうが、より多くの人の共感を得やすいはずだからだ。
だからといって、自分の芝居が無いというわけではない。
私はとにかく言葉選びへのこだわりが強い。
この文章だって、何度校正しているか分からないくらい読み返している。
はじめにそれに気づいたのは、初めて役者としての自己PRを考えたときだ。
自分自身が考えた台本通り、一言一句を覚えて場に立ちたかったが、練習やオーディションで毎回伝えたいことのニュアンスが変わり、少しの言葉の変化ができるたびにセルフ反省会を開く始末で思い悩んだ。
そして最近、そのこだわりによる影響について思うことは、台本の言葉ひとつひとつを拾うことで、大きな目的への意識が伝わりづらいということだ。

私はインプット時にはマクロ的な視点が強く、「これを一般的に置き換えたらこういうことか」という理論的な物の見方をするが、アウトプット時には上記のようなミクロ的な視点が人よりも強く「おおまかなイメージより細かい言葉のニュアンス」に気を取られている。
それゆえか、私の芝居へのダメ出しで良く言われることは「目的は何?」ということであった。

考えてみれば、これは圧倒的な主人公を演じるためには向いていないスタイルで、とてつもなくクセ強の脇役じゃないか。
もっとも、私が演じたい役柄は、主人公よりクセ強の脇役であることが多いため、理にはかなっているのか……?

私の持っているこの「クセ」を捨てようとも思わなければ悪いこととも思わないけれど、高みを目指すために今必要なことは、細かく目を配ることよりも、なんとなくどうなりたいのかを考えることなのかもしれない。

PS: 愉快な人にたくさん出会ういしむらさんのTikTokが面白くて好きです。
あと衣装もかわいい。
ハイトーンの髪も似合ってて最高です。(コメント欄……?)

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