妖怪のこと(あるいはポスト真実について)
僕は妖怪を信じている。
でも、周りに妖怪を信じてる人ってあんまりいなくて(なんなら鼻で笑われて)、いっつも不思議に思う。
例えば初めて見た動物を妖怪だと思ったり、山びこを妖怪の仕業だと噂したり、つむじ風を妖怪の存在と結びつけたり、そんなこんなをしながら昔の人は「人間がわからないもの」を妖怪として捉えて付き合ってきた。
そのあと、「わからないもの」をなくそうと、科学を発達させたりやデータを蓄積してみたり、そしてそれらの共有を進め、僕たちは真実に辿り着いたつもりになっていった。すると、妖怪のような「知識の余白」はなくなった。
印刷技術と運送事業の発達や、インターネットの発達によって、何でも調べられる世の中になった。そして、誰でもひとつの真実を手に入れられるようになったと、僕たちは勘違いしてしまった。
けれど、科学の発達やインターネットをはじめとするメディア、つまり何でも計量可能にする思考法とそれらの拡散がもたらしたのは、知識の余白がないほどの完璧な真実ではなかった。
みんながそれぞれ集めた真実が、計測不可能なレベルで満ち溢れている「ポスト真実」の時代をもたらしただけだった。
妖怪はいなくなって、真実や事実が蔓延しはじめた。
先日、茂木健一郎がオフィシャルブログでポスト真実というのは「マルチ真実」と言い換えることができると述べていた。僕はその意見はかなり的を射ていると思う。
(URL: https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8394248.html)
つまり、僕たちは主観に基づいてインターネットから都合の良いデータだけもってきて、各々の「真実」を作り出せるようになったのだ。
それらは各々の主観を立脚点にしているから、当然、各々が気にいるものしか認めることができない。様々な人の間で分断が生まれて、自分が所属している考え以外のものは「理解できないなにか」として放置されていく。
僕たちが新しい時代を、つまりポスト真実の時代の向こう側を覗いてみたいのなら、「わからないもの」と向き合っていく必要があると思う。
それはちょうど、「わからないもの」を妖怪と呼んで共存してきた人々のように。
妖怪を追いやった結果、今度はそのせいで新しい「わからないもの」がたくさん登場した。きっとそれらに対する僕たちの感情は、昔の人が妖怪に対して抱いていたものと同じだとおもう。わからなくって、恐ろしくって、自分に害を加えるかもしれないし、幸運を運んでくるかもしれない存在。
まずは、それらを認めるところから新しい時代は始まる。もちろん、ハリボテの妖怪やお化け屋敷を本物だと躍起になる必要はどこにもないのだけれど。
きっと妖怪はいる。僕たちの近くにたくさんいる。認めなきゃ、仲良くなんてなれないだろう。
妖怪に会うためには山奥だったり心霊スポットに行く必要なんて全然ない。各々が真実を抱いていて「わからない」存在なのであれば、電車で隣り合わせた人だって、僕たちの親だって、きっとあなたの好きな人だって、みんなみんな妖怪なのだ。
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