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大森靖子とサイテーな僕

大森靖子のベスト盤が出たので聞いていたら、『絶対絶望絶好調』を東京スカパラダイスオーケストラがプロデュースした『絶対絶望絶好調 Sound Produced by 東京スカパラダイスオーケストラ』なる曲が収録されていた。聞いてたらなんだか泣けてきてしまった。

僕が初めて聞いた大森靖子の曲は、何を隠そう『絶対絶望絶好調』だ。2014年の冬、僕はサイテーな時期を過ごしていた。受験勉強で追い込まれ、人間関係ですり減って、クソ寒い中塾と家を往復していた。今ではきっかけがさっぱり思い出せないのだけれど、何かの拍子に『絶対絶望絶好調』を聞いた。この曲が本当にサイコーで、この曲を聞いて初めて自分のサイテーを愛そうと思った。体が弱くて頭も悪くて見た目も悪くて運動もロクにできなくて、挙げ句の果てに受験期でコンディションは最悪な僕を、初めて肯定しようと思えた。自分のことが大嫌いでそれでも自分を肯定したくって、そんな僕はなんて中途半端でなんて惨めだ
…と思ってたら、そんな感情をサイコーの曲に乗せて吹っ飛ばしてくれる大森靖子に出会った。エモいなんて言ったってなんにも解決しなくって、ハム速ばっか見てて、綺麗なものは手に入らないから嫌いになってて、うじうじそんな生活を送る僕がどんどん嫌になっていた。けれど、大森靖子はそんな僕を包み込みながらぶん殴ってくれた。

明るい曲調に絶好調の絶望を乗せて叫んでくれて、その声がどん底絶望最低男だった僕を貫いた。絶望だって、目をそらさずに自分の言葉にして歌にしたら、美しいのだと知って興奮して、夜11時くらいに興奮しながら近所の生垣の葉っぱをぶん殴りながら帰路を歩いた。

それ以来、もちろん恐ろしいものだと思いながらも、絶望とできるだけ向かい合うようにしている。それのせいで精神やられている時期もあったけれど、僕の絶望は僕自身のものなのだ。誰にも押し付けてはいけない、というよりも、絶望を決して手放したくなくなった。なぜなら、その絶望を愛せるのはきっと、他の誰でもない僕だけなのだ。僕が絶望している僕を愛さずに、誰が絶望している僕を愛してくれよう?

そんな訳で大森靖子に人生を救われて今ものうのうと生きている。

そして今日、ベストアルバムの新しい『絶対絶望絶好調』を聞いて、感動してしまった。もちろんスカパラの演奏もかっこよかった、でもそれだけじゃない。すごく勝手な意見だけれど、僕の人生を変えた『絶対絶望絶好調』を大森靖子がまだ大切にしていてくれたことに感動してしまったのだ。

『絶対絶望絶好調』のおかけで、僕はずいぶん変わったと思う。初めて大森靖子を聞いてから五年が経った。紆余曲折ありながらも、楽しく絶望と向かい合っている。そして、新しい『絶対絶望絶好調』を聞いて、初めて『絶対絶望絶好調』を聞いてから生きてきた五年間を肯定してもらえた気がした。『絶対絶望絶好調』を機に多少生まれ変わった僕の生き様が、当時の僕とは多少なりとも異なるように、新しい『絶対絶望絶好調』もまた当時のそれとは異なっていた。僕は大森靖子のおかげで自分の絶望を大切にできるようになったし日々変わりながら生きている。そして、大森靖子も『絶対絶望絶好調』を大切にしながら、いろいろな曲を作っていることを知って、ちょっと泣いてしまった。大森靖子が『絶対絶望絶好調』を大切にしてくれているということは、僕にとっては大森靖子が僕の生き方も大切にしてくれているということ同義なのだ、自分勝手な話だけれど。

大森靖子はイロモノみたいに見られることもあるけれど、全然そんなことなくって、その根っこにあるのは自己肯定という名の他者肯定で、やさしさなのだ。彼女ほど優しい曲を作る人はなかなかいない。ずっとそう思っていたのだけれど、今日は一層その思いが強くなって駄文を連ねてしまった。