救い

散歩に出かけた。
図書館とスーパーまでの往復、いつもより多め。
断片的な考えで頭の中が埋め尽くされた。
いま、ハイで、同時にロー。春だ。

人からの誘いと、過去の人からの勧めと、いまの気分。これらが目の前に揃ったから、物語を書いてみることにした。書き切れる気は1ミリもしない。書けたとして、私みたいな頭が足りなくて素直すぎる人間が書くものがおもしろくなるはずがない。
けれどもう、書く、と言ってしまった。
言ってしまった以上、書く方向で身体は動いている。
一応。

このハイもどうせまたすぐ終わる。そう思ってため息を吐き続けている。サイレントで。眉間にこもる力も、できるだけ緩めて。
なぜか。
「ため息ついたらその分吸い込め。じゃないと不幸になる」小さいとき聞いたそんなまやかしが今でも自分を縛っているから。
あと、外でそんな風にしていたら宗教とマルチに見つかってしまう。

お薬カレンダーに貼っつけたハチワレのシール。「なるゾ…強く…!」と言っている。
なれねーよ、強くなんて。
元気・根気・負けん気?知るか。



物語を書くなら、自分みたいな人間が救われる話を書きたいと思った。
自分みたいな、というのはどういう人間か。
アラサー・女・無職、躁鬱気質あり。
家庭円満ではなかったし美人でもない。スタイルもよくない。学力は悪くないが特別よくもない。要領悪い。コミュ力なし。趣味特技スキルなし。センスなし。自信なし。気力なし。お金なし。つまらない。
ないない尽くめと思っているが同時に、十分恵まれていることも分かっている。頭では。
両親や友人からは愛されてきた。頼りないが愛嬌がある。信頼できるパートナーもいる。家事はできる。場を和ませることもできる。人の話を聞ける。

それでも、どこで何をしていれば楽になれるのか。考えあぐねて疲れている。命を絶とうとまでは思わない。でも、自分の存在が最初からなかったことになれば楽だと思っている。
そういう人。

「救われる」と書いたけれど、別に主人公が何かに成功したり取り巻く環境がぐんと好転する必要はない。
ただ、どこまで行っても自分は自分でしかないということに気づいて、苦しみながらもまた淡々と生きていくほかないと、腹が決まる。それが私にとっての救いだ。



自分の生活を面白がっていたい。
好きなことだけしていたいとは言わない。大げさな贅沢もしなくていい。
ただ、道端にポツンと置かれた石ころを、信号が点滅して急かされてる柴犬を、毎日同じ場所で鳩にパンくずをやるおじさんを、面白がって見つめていたい。
つくしの後のスギナの群生を見やりながら、ふと思った。

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