落下の解剖学を大解剖!(?)

落下の解剖学、ビジュアルポスターとタイトルでずっと気になってた+オスカーで賞も取ったということで見に行った。

雪が積もった自宅の外で転落死している夫が発見され、その嫌疑がかけられたのは彼の妻。法廷では事件の解明が連日行われる。
というストーリー。

率直な感想

また、やってしまった
私は、また同じことを繰り返してしまった

去年の夏に「怪物」を見た時と同じことを繰り返してしまったと思った。「怪物」では、ある事件について複数の人物の視点から語られるという形式で、私は映画を見ながら人物の視点が変わるたびに「この人が犯人だ!」「いややっぱりあの人だ!」と勝手に探偵の役を担っていた。一人一人、それぞれの語りだけを聞いて、且つ視点から見て、犯人を決めようとする小賢しい自分に気づいたのである。

そして私はまた「落下の解剖学」を見ながら小賢しく頭を働かせていた。「彼女は殺した。」「いや、彼女は殺していない。」「子どもが怪しい」
澱みなく溢れ出るフランス語から変換されたカクカクした象形文字由来の母国語の字幕を見ながら、情報を必死にかき集めては事件の行末を探偵目線で考察していた。

でも、法廷以外の場面にシーンが切り替わった時のこと。
短いながらも法廷以外での彼らの苦悩や心の機微、決断を描いたそのシーンはこの物語を語るのに映画というフォーマットを選んだ所以を静かながらも雄弁に語っていた。
実を言うと私は映画を見ながら
「これならフィクションをドキュメンタリーにしただけなのでは」
などと、映画であることの意義のようなバカデカテーマをふてぶてしく考えながら見ていた。

でも、法廷の外の人の営み、つまりフランス映画で何度も何度も描かれてきた「生活」というテーマがこの映画でも全体を貫く背骨のような役割をして、尚且つこの映画をドキュメンタリー性をもちながらドキュメンタリーとは別のものにしていた。

法廷で出される答えはただひとつ。
だけどその結論は、苦悩して衝突してもがくなどした当事者の気持ちや辿ってきた道のりの全てを表すわけではない。
たったひとつの判決の裏側にある、有象無象の人の営みを確かに描いた作品だった。

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