目標、宣言、変換

何かあるたびに、目標を立てましょう、っていうのが苦手すぎる。昔から何か達成した記憶なんて微塵もありません。何が原因かわからず、飽きたか自分に甘いのか、忘れてしまうのか、腰が重いのか。とにかく今まで目標を立てずで悔しかったことはあっても、生きては来れたので、目標を立てるという行為を最近諦めていた。

でも私も行動にせずとも頭の中では色々考える人間なので、目標を立てるだけならね、できるんですよ。だからこそ何度も、三日坊主になってきた(期間は空けども、Noteを続けてることは唯一の目標達成かも)。

この突発的に何かしたくなる感情の行き場を、どうすればいいのか。そう思って私は目標というのをやめて、”宣言”と呼ぶことにしました。

そして早速”宣言”を彼氏と母親にしてきました。それぞれ別のことなんだけど、今まで頭の片隅にずーっとあったこと。”宣言”は”言霊”とも似ているし、”強制力”も働く。目標という言葉に対して苦手意識が強すぎるから、こうやって言い換えて自分を震わせる。実際は似ていることなのかもしれないけど、私からすれば全然違うのよ。

世の中結構こんな言い換えが大事なのかも。昨日snsで流れてきたホームレスの動画で、
目に見えない人が”目が見えないのでお金をください”って書いてもお金は集まらないけど、”この世は美しい景色で広がっている、けれど私は目が見えません”って書いたらいろんな人が募金する
っていう動画を見た。その動画自体は明らかにやらせ動画だったので、実際それでうまく行くかはわからないけど、でもそういう”変換” って大事だと思う。

そう言えば今日実体験があった。仕事の昼休憩、友だちとスタバのあげあいっこをした。自分で買うと、あーまた無駄に買っちゃった、、地味に高いんよな、、とか思っちゃうけど、お互いのために買うと、全然そんなマイナスの感情は浮かばない。それは”行動の変換”だよな。

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