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会社クビになったけど、気づいたらライターになって海辺で暮らしてた。怖いけど1年を振り返ってみる


「明日から無職か。いっそのこと、海辺の街にでも逃げてしまおうか」

冷たい会議室。整理が追いつかない脳みその端っこで、そんな考えががフワッとよぎったのはただの現実逃避から生まれた妄想に過ぎなかったけど。

今考えると、会社をクビになったあの日からすべては始まっていたのかもしれないね。


「人生終わった」と思ったあの日が「第二章の始まりだった」と、いつかそう言えるように。


はじめてのnoteで、私はこう書きました。願いも込めて。

あれから1年と少し経ち、やっぱりあの日は終わりじゃなくて始まりだったのかも。少しずつ、やっと、そう思えるようになってきました。

ライターになって、海辺の街に引っ越してきました。





noteをサボり続けて数ヶ月。状況、肩書き、生き方、気がつけばいろんなことが変わっていました。

私にとって、noteは自分と向き合う場。毎日にしがみつくことに必死で、立ち止まって振り返る時間を後回しにしてしまっていました。

いや、違う。本当は怖かった。

振り返って、思ったより進んでなかったらどうしようとか。間違いに気がついたらどうしようとか。臆病な私は、あえて答え合わせをしなかった。「間違ってないはず」と言い聞かせて、生きてきたんだと思います。

でも、ずっとそうは言ってられない。勇気を出して、この1年のことを振り返ってみたいと思います。


1年前。2022年春、社会復帰。働けることが嬉しかった


2022年4月、約9ヶ月ぶりの社会復帰。

2021年の夏に突然会社をクビになり、気がつけば無職のまま年が明けていました。さすがに何かしなきゃ……でも何がしたいのかも、どこを目指したいのかもまだハッキリ描けない。

失業保険も切れるし、とりあえず何かしなきゃの一心で今できる範囲のことからしてみようと仕事探しを開始。4月から、お仕事の再スタートが決まりました。

通勤電車に揺られることも、オフィスビルのエレベーターに乗ることも、久しぶりでソワソワくすぐったい感覚。

みんなと同じように働いている、という事実がなんだか嬉しくて。


新しく就いたお仕事は、ポータルサイトの原稿制作と運用サポートのような業務。どうすればクライアントの魅力が伝わる文章になるか?を考えることは、言葉が好きな私にとって面白いお仕事でした。



新しい変化を求めて動き出した夏


私、やっぱりライターになりたい

2022年夏。いろいろなことがまたガラッと動き出したのがこの頃。

お仕事にも慣れてきて、改めてこれからどうしていきたいかを考える時間が増えてきました。その中で芽生えた気持ち。

「ライターとして、胸を張って仕事がしたい!」

4月から就いたお仕事も、「ライター」と言えばそうだったのだけれど、こなしていくうちに自分が求めるものの輪郭が見え出してきて。

もっと、ひとつひとつの記事に責任と重みを持ちながら書きたい。そして「わたし」の名前で記事を書きたい。


そんな想いが膨らんできた時にちょうど見つけた、SHElikesでのエッセイコンペ。やってみるか!と挑戦で書いてみたこの記事が、私の気持ちに火をつけるきっかけにもなりました。


コンペで入賞できたことももちろんですが、いただいたフィードバックが本当に嬉しくて。自分の紡いだ言葉が、誰かの心に残ることが、何かのきっかけになることが本当に嬉しくて。

副業でもライターのお仕事を頑張ってみようと決めました。


突如シェアハウスに入居

私生活でも大きな変化が。24年住んだ実家を離れ、シェアハウスに入居。7月末に思い立って、そのまま内覧→8月初旬には気づいたら住んでいました。

なんか7〜8月の私、イケイケドンドンだ。どうしたんだろう。たぶん、動かなきゃ変わるもんも変わらんぞということに気づいたのでしょうね。いいなって思ってるだけじゃ同じだもんね。なんでシェアハウスに?って話もよく聞かれるので、またnoteでも書きたいな。

実家を出てはじめての暮らし。何もなかった真っ白なD2号室を自分の色に染めていくことにワクワクが止まらなくて。

「この部屋の家賃は自分で払うんだ」

社会人ならそれくらいみんな普通にしてる。そう言われるかもしれない。でも、働くこともできず実家を出ることなんて考えられなかった数ヶ月前までの自分にとっては、大きすぎる変化。

笑われるかもしれないけど、大人になれたみたいで嬉しくて。

シェアメイトとは、一人だと食べきれないコストコのご飯をみんなでシェアしたり、眠れない夜はリビングで遅くまで話し込んだり。

たまたま同じ屋根の下に集まった十数人との暮らし、という非日常。

それぞれの暮らしが交差するにぎやかなこの場所が、いつしか私にとっての日常になっていました。


初めての記名記事は苦しかった

それから、副業としてのお仕事も徐々にスタートしていきました。

ひとつは、ライターのお仕事。初めての記名記事は、SHElikesのコンペをきっかけに取り組むことになった記事でした。ひとつの夢だった、“自分の名前が載る”記事。そう思うと、なんだか怖くてなかなか筆が進まなくて。

やってみたかったお仕事なのに、なかなか進まない自分が嫌で。始まったばかりなのに「向いてないのかな」と何度もへこみながら、それでも「絶対にいいものを作りたい」という気持ちは1ミリも消えなくて。そう思える自分がいたことが嬉しかった。

向いてるか向いてないかは分からない、でもやっぱり私は書く仕事に全力で向き合える人間なんだなあ、って。

結局、締切ギリギリまでパソコンと向き合いました。


書くことが、やっぱり楽しい。

書くことが、言葉を選ぶことが、考えることが、私にとって何よりも苦しくて、そして何よりも楽しい。

やっぱりこの感覚だけは、本気でコピーライターになりたかった大学生の頃から変わっていませんでした。


キャリアプランナー

もうひとつは、SHElikesのキャリアプランナーのお仕事。私を変えてくれたSHEで私も働いてみたい。次は、私が誰かの背中を押す番だ。そう思い始めたキャリアプランナーのお仕事だけど、目の前で一歩踏み出そうとしている人の姿を見ていると、気がつけば私の方が背中を押されているんです。

もっと私も頑張らなきゃ。

新しい一歩を踏み出すのは怖いけど、結局踏み出さなきゃ変わらない。

もっと、もっと。私も、もっと人生に貪欲になってみたい。


もっと遠くに。背伸びしてでも、飛び出してみたい


まだ早いかもしれない。そんな考えも何度もよぎりました。いまだに、これで合ってたのかな?って考えます。

それでも、今やってみたくて。フリーランスになりました。

フリーランスでやってみようと思った理由は大きく2つありました。

一つ目は、心からやりたいと思う仕事にもっと全力で向き合いたかったから。副業で始めたライターの仕事がやっぱり楽しくて。もっとこの道を極める私になりたいと思いました。

ふんわり宙に浮いてた想いをかき集めて、言葉を通して輪郭を描けた時。心が震えるような表現に出会えた時。形にしたものを「これが言いたかったんです!」と喜んでもらえた時。何度でも心がぎゅっと掴まれるような感覚になります。

心が踊るお仕事を、全力で頑張りたいと思いました。


二つ目は、人生をもっと自由にデザインしてみる経験をしたかったから。「やりたいことはやる、行きたい場所には行く」を実現できる軽やかさが欲しかったのです。

頭の片隅にずっとあった夢。妄想。

「一度でいいから、大好きな湘南で暮らしてみたいなあ」

SHEの初回コーチングから、ドリームマップの端っこにずっと書いてありました。大学生の頃から、ことあるごとに「湘南住みたーい」と何の重みもなく口癖のように言っていました。

でも、本気で叶えたいというよりは、「こんなこといいな、できたらいいな」ぐらいの、“叶う予感のない夢”というような感覚でした。

でも。ゆっくりだけど、「昨日よりも今日、今日よりも明日」って進んでこれた私だから、もう少し欲張ってみてもいいかもしれないといつの間にか思えるようになっていたんだと思います。

シーメイトさん、シェアメイト、友達。周りにも、自分の人生ややりたいことに真っ直ぐな人がたくさんいました。

そんな人たちがそばにいてくれたからこそ、背伸びしてでも私も飛び出してみたいと、やりたいことはやってもいいと、思えるようになりました。


2021年の夏、突然会社を追い出されてどうしようもなくなった日。電車に乗ることも人に会うことも、この先を考えることも何もかも全部ダメで、人生ドン底だった日々。

縋るような思いでSHEに入った私。せめて前みたいに平凡な日々に戻れるようにと、立ち止まりながらも前を向いて歩いてきました。

マイナスをゼロに戻せるようにと願っていた私が、気がついたらゼロからプラスへ、想像の1歩も2歩も前を目指して歩けるようになりました。


私をクビにした上司に会ったら言いたい。あの日をきっかけに、私の人生は少しずつ動き出したのかもしれないですと。




ライターになって、海辺の街に引っ越してきました。



駆け出しのライター、そしてフリーランス。大好きな大阪を離れ、湘南へ移住。

正直、今の私には少し背伸びをした選択だなあと思っています。これで大丈夫かなあ、これからうまくやっていけるかなあと1日に何度も不安になります。

ずっとぶかぶかの洋服を着ているような感覚です。

まさに今は、第二章の始まりでもがいているところなのかもしれない。新しい始まりの、マジックアワー。



でも、そんな今でも逃げるんじゃなくて、等身大のまま味わって、楽しみたいと思えています。

この先どう転んだとしても、おばあちゃんになった時に「ああ、あんな日々もあったなあ。楽しかったなあ」と愛おしく今を振り返られるような気がしているんです。それは、ちゃんと自分の足で歩いてきて、自分の意思で選べた道だから


この生き方で、自分がどう感じるのか。どんな経験をして、この後何をしたくなるのか。

楽しさも、怖さも、希望も、不安も、全部あじわいながら、自分の最適解を探し続けていけたらいいな。


これから起こること、全部不安だけど、全部楽しみだ。



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