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母にライターになると言った日の話

今、私はフリーランスのライターをしている。気がつけばもう1年以上が経った。

フリーランスになる前は、会社員として本業を持ちながら、副業としてライターをしていた。その前は、会社をクビになって以来社会が怖くなってしばらく仕事から離れていた。

改めて直接話したことはないのだけれど、家族にはたくさん心配をかけただろうなあと、振り返る度にそう思う。



2022年の冬が始まった頃。ちょうど年末で会社を辞め、フリーランスになることを決めたタイミングだった。実家を離れて暮らしていた私は、母と梅田で遊ぶ約束をしていた。

「そういえば、会社。年末年始はいつまで休みなん?」

他愛のない話をしながら食事をしていたとき、母が何気なく私に聞いた。会社を辞めること、いつ言おうかとタイミングを伺っていた。それだけに、先に切り出されてしまったことに少しの気まずさと緊張が走る。だってなんか、隠してたみたいじゃん。

「言ってなかったけど、年末で辞めるねん。今、副業でライターしてる。会社辞めて、自分でやっていこうと思ってるんよ。」


母はきっと否定しない。分かってた。でも、やっぱり口に出してみると少し怖くなって、話しながら語尾が弱くなる。

想像通り、母は驚いていた。あまりピンと来ていない顔もしていた。それから母は、それってどうやって働くのとかどんなことしてるのとか根掘り葉掘り聞きながら、「へえ、色んな世界があるんやな……」と理解できたようなできていないような顔をしていた。

なんて思うかな、びっくりしてるかな。心配かけるかな。そう思う私をよそに、母は明るく言った。

「やりたかったんやろ?あんた、そういう仕事したいって思ってたんやん、ずっと。」

びっくりした。今まで、ライターになりたいとかそんな話は直接母にしたことがなかったと思う。それなのに、当たり前かのように言うからびっくりした。

なんで、母は全部知っているのだろう。

コピーライターになりたくて宣伝会議賞や広告代理店のインターンに参加しまくっていたとき。それに夢破れて凹んでいたとき。社会人になって、やっぱり言葉を使った仕事をしたいとまた勉強をし始めたとき。

直接話したことはなかったけど、母はそんな私に気づいていたんだろうか。良いときも悪いときも、全部気づいて知ってくれていたんだろうか。……何も言わずに、全部全部見てくれていたんだ。

母は続けて言った。

「良かった。」

ずっと働けず家にいることしかできなかったとき、母は急かす言葉もむやみに励ます言葉もかけてこなかった。会社をクビになった次の日、とりあえず気分転換にと連れてこられたカフェで、涙が止まらない私に気がつかないフリをして「このパフェ美味しいなぁ」なんて一人で呑気に話し続けてくれていた。

いつも何も言わないから、たまに忘れてしまうけど。たくさん、たくさん心配をかけてきた。

「良かった」のその一言の奥深くに、母がどれだけ私を見てくれていたのか、心配していたのかが詰まっている気がした。きっと、何かを言いたくなったときもあったはず。それでも、何も言わずにそっと見守り続けてくれたんだ。


いつの日か、母に言われたことがあった。

「あんたは自分でちゃんと考えられる子やから」

信じてくれていたのかなとも思う。


今、ずっとやりたかった書くことや言葉を仕事にして、大好きな湘南で暮らしている。その道を歩き始めて1年以上が経った。ちゃんと、自分で決めて歩いてきた道だ。

今も、母に特別何かを言われることはない。でも、今も変わらず見守ってくれているんだと思う。今の私を見て、母は何を思うのだろうか。少しでも安心してくれていたらいいなと思う。

そしてこれからも、見守っていてほしいと思う。母の力は不思議だ。それだけでなぜだか、頑張ろうと思えるから。


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