ep.33 どこまでも行く そこに君がいればなお
胸が痛むできごとが夕方あって。泣き出してしまったそのひとを、その場で慰めてあげたいのに、咄嗟になんと声をかければいいかわからなくて。かと言って、気づかないふりも無理があるし、気を遣われていると思ったらきっと負担になってしまうだろうし……不甲斐なくおろおろするので精一杯だった。
せめてチョコの一粒でも渡してあげたかったな。力になれない先輩でごめんね。どうか今夜はあったかくしていい夢見て眠ってほしい、と祈るばかりです。
こんばんは。たまです。世の中の邪気はわたしが追い払っておきます!!!
生活の日記
「さあ、どこまで行きましょうか」
その声がふと聞こえてきたとき、わたしだったらどこへ行きたいんだろう、と真剣に考え始めてしまった。
もしも時間の制約も、経済的限界もなく、今からどこまでも行っていいならば、わたしはどこへ行きたいんだろう。
今日は天気もよいし、鎌倉の小高い道なんかから海を眺めるのもきっといいだろうな。都内の珈琲屋でひとり朝ごはんを食べるのもいい。名前は聞くけど降り立ったことのない、いつも乗る電車やバスの終点に、目的もなく行ってみるのもありだ。ああ、実家で家族とおしゃべりしながら夕飯も食べたい。
海を越えていいならば、すぐにでも韓国に飛んで行きたい。もっと贅沢言えるなら、ウィーンやプラハで音楽を聴こう。
場所に縛られない回答を目指すとしたら、今よりもっとずっとできることの多い人間へ、と申し出たい。たいせつな人たちがこまったときに寄り添えるような、いつも少しの余裕を持ち合わせた自分でありたい。すきなものにときめいていたい。生きているあいだずっと。
駅前のバス停では、運転手がバスを降りて、発車までの時刻をやり過ごしているようだった。そこへ、青いキャップを被りリュックを背負った少年が、不安そうに、しかし勇気を出して、声をかけている。
「さあ、どこまで行きましょうか」
運転手はそう聞いたあと、コンビニのほうを指差して、彼が乗るべきバス乗り場を伝えていた。少年は会釈し、そこへ向かい、乗車を待つ列へ並ぶ。
今日の目的地へ向かう彼らを横目に、わたしは改札を通り電車に乗る。そうして、職場へ向かう。わたしの目的地で、日常を始めるのであった。
今夜の1曲
Simon&GarfunkelのThe Only Living Boy in New Yorkを。
わたしにとってニューヨークもまた、飛んでいきたい憧れの地であるけれど、この歌の主人公にとっては一人さみしく暮らす街。
誰かにとっての目的地は、誰かにとっての現在地なのだ。
映画「さよなら、僕のマンハッタン」で出会ったこの歌。音楽も映画もずっと変わらずお気に入りです。
最後にひとつだけ、小さく威張っても、いいですか。じつは、連休前半戦は、カーテンを新しいものに替えて、コンロと換気扇の掃除もしたんです。連休に!何をしても自由で有名な、あのゴールデンウィークに…!
これがいかに偉業かきっとわかってくださるズボラ族のみなさんには、握手求められちゃうかもしれないね。もちろんです。いつでもお待ちしています。
つきましては、明日まで励んだら、ゆったりまったりだらりな4連休を過ごす所存な5月のはじまりです。
今日もおつかれさまでした。あなたも、わたしも。
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