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さよなら青春トレイン

 春は別れの季節である。

 2021年3月12日、別れを惜しむ人々がJR東京駅9,10番線ホームを埋め尽くしていた。

 主役は185系特急電車だ。40年近く活躍していた車両で、翌13日のダイヤ改正で、担当した特急「踊り子」はすべて後継車両E257系特急電車に、「湘南ライナー」は特急「湘南」に生まれ変わりこちらもE257系に置き換えられることになっていた。合わせて、「湘南ライナー」用に生まれた総2階建ての異色の車両、215系電車も引退が決まっていた。

 185系、215系ともに、茅ヶ崎で生まれ育った私にとってはなじみ深い車両だ。185系の「踊り子」は東海道線の数少ない特急電車で伊豆方面の旅行ではお世話になっていたし、215系が「快速アクティー」を担当していた時の2階は憧れで、親に乗りたいとせがんだ。長じてからも仕事が忙しい時は「湘南ライナー」に乗って通勤時間を貴重な睡眠時間に変えてもらっいた。

 しかし、私が別れを惜しんでいたのはこの車両たちではない。

 私を感傷的にしていたのは「通勤快速」である。同日のダイヤ改正で設定がなくなることになっていた。使用されているのはE231系電車と弟分のE233系電車。首都圏のJRはほとんどがこのどちらかだ。何の変哲もないただの通勤電車だが、私にはちょっと特別な電車だった。

 この「通勤快速」は19時50分、20時50分、21時50分に東京駅を出発し、品川発車後は鎌倉市の大船駅まで30分近くノンストップ。すべての特急が停車する横浜駅すら高速で通過していく。ディズニーランド帰りの慣れないお客さんが、降りたい駅で降りれず戸惑っていることも珍しくなかった。

 また、16年には上野東京ラインが開業し、東京駅の東海道線は始発ではなくなってしまったから、東京始発の通勤快速は、追加料金を払わずに座れる貴重な電車になっていた。

 学生時代の私は、21時20分に大学の図書館を出て、東京駅10番ホームで通勤快速用の列の先頭に並んでいた。42分発の普通電車が出発した後、上野方面からやってくる暗い回送電車は駅員のアナウンスとともに照明が付き、通勤快速になる。私は14号車に乗り込むとボックス席に陣取って本を開いたり、タブレットを眺めたりしていた。ぐんぐん加速して巨大なターミナルすら飛ばしていく通勤快速は、毎日の帰り道で旅行気分を味合わせてくれ、また遠距離客を少しでも早く家に帰そうと頑張る心意気を感じさせてくれる存在だった。

 2021年3月12日21時50分、185系電車と215系電車を撮ろうとするお客さんや整理の駅員さんたちで大混雑する東京駅10番線を、通勤快速は静かに走り出した。最後の発車であることを伝えるアナウンスと控えめな拍手を受けながら、いつもと変わらず家路を急ぐ通勤、通学客を送り届けるのだった。


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