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『ちょっと思い出しただけ』

奇跡のようなことは私の日常にも訪れると、安心できるそんな映画だった

「ちょっと思い出しただけ」という言い訳。でも確かに起こること。
日常の細部には私の記憶の中の誰かがいるということ。
例えば近所のコンビニとか、昔流行ってたカフェとか、今まで乗ったことのなかったローカル線とか。
見るだけで、必ず誰かがそこにいる。
そんな記憶が私を作っている。

”ドラマの世界の話”と片付けることがよくあるけれど、日常は奇跡と偶然の積み重ねなのかもしれない。と最近よく思うのだ。

だって母と父が出会わなかったらそもそも私はこの世に存在していないし、自分で歩んできた数々の選択を一つでも違うものにしていたら、周りにいる人も環境も違っていたかもしれない。

偶然が重なって、それが自分の中の大切になって、毎日を生きているということをこの映画は教えてくれた。

「もしああしていたら」という後に残る負の感情の後悔をこの映画からはあまり感じなかった。そうなることは決まっていて、二人はそれを選択しただけ。だから”ちょっと”思い出す。その思い出は、二人にとって誰にも理解されなくていい、二人だけのもの。そんな二人での全ての思い出がそれぞれを”ちょっと”でも多分確かにふたりを支えている。

みんな心に、特別な誰かを抱えているんだろうか。

なんて事のない日々ほどよく思い出してしまう。思い出に残る盛大な日も特別だけれど、日常で思い出すのは「なんてことない」ほうだ。なんてことない、を実感すると愛おしすぎてたまらなく寂しくなることがある。この時間には終わりが来てしまうことを知っているから。抱きしめていたいけれど、解けてしまう瞬間を分かっているから。
でもだからこそそんななんてことない日々を、大事に大事に生きていきたいと思う。なんて事ないけれど大切な時間は、時に私を幸せに、切なく、寂しく、楽しくさせてくれるから。

きっと二人も、なんてことない日々をちょっと思い出しただけ、なんだと思う。


↓この映画を見た日の、思い出の記録🌕
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夜遅くに大好きな映画に出会って、両想いの人と映画を見るってこんな感じなんだって思った。小さい言い争いをしながら、2人で同じ家に帰って、一緒にお酒を飲んで眠った。

白線だけ踏んで横断歩道を渡ったり、帰り道缶ビールを飲みながら帰ったり。そういう些細だけど当たり前じゃないことを「ドラマみたい」って思えるだけで、日々を少しだけ楽しく生きれる気がする。

俺らみたいだね、って言われたのと同じくらい、わたしたちみたいだねって思ってた。思ってる。

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