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すごいことは素晴らしいことだけど、すごくなきゃいけないなんてことはない

定期投稿37本目
どうも、大学生のryoseiです。


去年の末、私は旧友と会う機会が複数あり、たくさんの旧友と会ってきました。
卒業後初の高校の学年全体の同窓会もありました。(20歳の時はコロナ禍でありませんでした。)

とにかく楽しかったです!
思い出話や近況報告だけでなく、くだらない話やとりとめもないような話で盛り上がり笑い合い、ただただ楽しい時間を過ごせました。

早くまた皆で集まりたい。幹事の方にまた同窓会を開いてほしい
と既に思っている僕ですが、一つ心配な点があります。

それは、次会う時は皆のライフステージや環境が大きく異なっているということです。


昨年末は、皆学生で共通点も多くて比較されるようなこともそこまでない状態で再会しましたが、次会う時は職業もバラバラ、結婚している人や子育て中の人もいるかもしれない、そんな風に境遇が人によって様々になります。
(高校は進学校のため、ほとんどが大学に行きました。YouTuberやっている人はいたけど笑)

ある程度の年齢になると、同窓会は社会的地位や経済的地位のお披露目会だとか、マウント合戦が繰り広げられるとか聞きます。
今回みたいなただただ楽しい同窓会はもう存在しないのか…なんて思ったりします。

僕の仲のよい友達は嫌味な人たちではないですが、30代とか40代とかになると、悪意はなくともそうなってしまうことも仕方ないかもしれませんね。

ということで、これに関連して僕のひとつの価値観を紹介しますね。
(もうすでに記事のタイトルに出ていると思いますが…)

すごいことは素晴らしい事だけれど、すごくなきゃいけないことはない

です。
僕も昔、それなりに劣等感に苦しんだり、比べる必要のないことまで他人と比べて生きるのに疲れたりした経験が一応あります。
そんな時に自分を休め、労わる中で持った考え方です。

すごくなくても当然生きる権利はありますし、人より優秀でなくても正直問題はないのかもしれません。
すごくなくたって、堂々と図太く生きて良いはずです。
僕だって、文才もコンテンツ力もないですが、何も気にせず書きたい時に書きたいことを書きたいように書いています。(定期投稿の目標は掲げています)

すごいことは確かに素晴らしい事。だけど、すごくなきゃいけないなんてことはない。

この考え方が追いつめられた誰かの気持ちを軽くする手助けになればいいなと思います。


もちろん、すごいことはいいことであり、すごくなろうと努力することは忘れてはいけません。自分のためにも。特に仕事とかは大事かもしれませんね。

向上心を持って努力することは忘れずに。
しかし、強い劣等感や優越感に気持ちを侵食されることはないように気を付けたいですね。



数年後、きっとまた同窓会などを通して普段は会えない旧友と会うことになると思います。
忙しくて来れないとかはしょうがないですが、マウントの取り合いとかを嫌がって参加しないという人がいないといいな…。僕自身を含めて。

平和ボケした甘い考えかもしれませんが、参考程度に頭に留めておいてもらえたらなと思います。
特に今は、SNSで他人の生活やステータスを無意識に意識してしまう世の中なので。



今日も向上心を持って努力はしつつ、"自分のすごくない一面"や"他者のすごくない一面"が存在することも認めていきたいと思います。


こんな感じで人生や生き方について考えたことを書いた記事のマガジンを作っているので、よかったら読んでみてください!


今日の記事はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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それではまた別の記事でお会いしましょう!





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