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なぜ僕はこんなに不安になるのだろうか

僕は、だいたいいつも不安に感じることを抱えながら暮らしている。
自分でも不思議なくらい、様々なことに不安を感じる。

不安に感じていることのほとんどは杞憂に終わることを、頭では理解しているのに、不安であることをやめられない。
大地震が起きたらどうしよう、日本が戦争に巻き込まれたらどうしよう、などの自分ではコントロールできないスケールの大きなものから、事故にあったらどうしよう、病気になったらどうしようという自身の命に関わるものだったり、家族の健康や仕事のことだったり、とにかく入れ代わり立ち代わり何かを不安に感じている。

ネットニュースをはじめとした不安を掻き立てるような情報からは距離を取ったほうがいい。それもよくわかっている。
例えば、地震が嫌いなので気になって地震関連のネットニュースをよく閲覧してしまう。そうすると、勝手にネット環境がパーソナライズされて地震のニュースが多く表示される。そして、ますます不安になる。
ネットニュースなんて信憑性の無いものも多くて、閲覧数稼ぎの仰々しい見出しだって多いと理解しているのに、悔しい。

ちなみに、「あなたはポジティブかネガティブか」と聞かれれば、際どいところだがおそらくポジティブ側に分類される。
少なくとも会社の同僚は、僕がこんなにも不安を抱えて生きていることは全くわからないはず。(そう信じている)

こんなにも不安が多いのはなぜか考えてみる。
仮説①遺伝子レベルなのだから仕方ない
日本人は不安を感じやすい遺伝子を多くもつ民族らしい。世界トップレベルらしい。
僕は、子どものときから不安を感じやすかった。トイレのドアを開けたら、何か得体のしれない化け物がいるんじゃないかという意味不明な不安を感じることもあった。想像力豊かといえば聞こえはいいが、どちらかというと誇大妄想に近いのだろう。
これも遺伝子のなせる業なのだ、仕方ない。

仮説②メンタルやられたから
20代の中ごろ、はじめてメンタルをやられてしまった。大事には至らなかったものの、それ以前と比べるとやはり不安を強く感じるようになった気がする。
心療内科の医師に「40歳くらいになると落ちついてくることも多いですよ」と言われたことがある。
うーん、たしかにそんな気もする。少しずつ自分を客観視できるようになり、自分を落ちつかせることができるようになってきた気もする。

まぁここまできたら、不安とうまくつきあっていくしかないのだろう。
「少しおとなしくしててくれよ、相棒」
みたいな感じで。

不安への対処、やり過ごし方も少しうまくなってきた。というか、不安を感じづらい過ごし方を見つければいいのだ。

ブルートゥースのワイヤレスイヤホンは、落としたらどうしようという不安に耐えられない。有線のイヤホンにしたら落ちついた。
それでも外でイヤホンをしていると、まわりで異変が起きないか心配すぎて落ちつかないので、イヤホンをするのはほんとに落ちつける空間(自宅やカフェなど)だけにしている。
移動しながら音楽を聴くのはなかなかハードルが高い。

そんな今日は凪良ゆうさんの「滅びの前のシャングリラ」を読み進めている。
面白いけど、あと1ヶ月で地球が滅亡することになったらどうしようという不安が止まらない。。

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