IFとなら

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
シュウジです。

普段Abemaやその他の議論系YouTubeを見ているのですが、そこで度々「性差別」「多様性」について考えています。

そもそも「多様性」とは、

『ダイバーシティ(diversity)』とは、日本語では「多様性」といいます。「 みんな異なる」というだけでなく、ある集団のなかで年齢、性別、人種、経験、趣味嗜好などが異なる人が存在している状態において、その個性が認められる、相対的な考え方です。

多くの人がよく「男なら、」「女なら、」という言葉が現代の社会では、セクハラ発言に当たるとされているが果たしてそれは正しいのであろうか?

「○○なら、」という言葉はある特定のグループに属していたらということであろう。
「なら」という言葉は断定の「だ」ということの仮定であるとされている
私が君だったなら、If I were you, のように私は君ではない。
しかし、君だったらどうするかという願望、仮定が含まれている。

トランスジェンダーしかり、性的マイノリティしかり、現代の社会において、より一層「なら」という言葉を用いてもいいのではないのであろうか?なぜこんなにもマイノリティに対して積極的なのであろうか?

性的マイノリティに関する考え方 画像引用元 https://www.city.mito.lg.jp/page/33604.html

「男性であるなら」というのは、身体的に男性的な見た目であったならこれは成立するであろう。一方で、心身の性別が違う人に男なら、女性ならというのは、もし「女性なら」と言われることが嫌ならば男性になれば良いと思う。

固定概念である「男は外、女は内」という昭和の考え方は間違いではない。
しかし、近年の日本の経済状況を見るとそれは間違いである。経済が人々の幸福度を半分以上占めていることは自明である。

現代の社会において、こういった性別に対して討論すること自体タブーとされているが、多様性を認めるなら、こういった考えを持っている人もいる多様性を認めてもいいのではないのであろうか?

「多様性だから」といって議論することから互いに逃げるのではなく、互いの意見を聞き、双方にとってより良いものになることを私は願っている。マイノリティはマジョリティーの幸福度を下げているのかもしれない。

言葉は生き物であり、ヒトを傷つける刃物でもある。なら、正しい意味を知って使うことが大事であると学びました。

ここまで読んで下さりありがとうございました。
こういった議論自体には収束点が無く、掘れば掘るほど出てくるが考えることに意義を見出す必要があるのでないのであろうか。



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