平等な現実と不平等な現実
2019年7月1日
この日は私にとって、忘れられない日になるだろう
よく聞く"虫の知らせ"なんてものは微塵も感じられず、
ただその事実を突然突きつけられたものだから、
私は酷く取り乱し、涙を流した。
別れってものはいつも突然で、身近に感じていたものほど、私たちは無意識下で失うことはない、"永遠"のものであると錯覚してしまう。
そして、失った時初めて存在の大きさを否が応でも噛み締めさせられるのだ。
人はいつか死ぬ。産まれた順番なんかじゃない。
この言葉が、再度私の心に、身体に重くのしかかった。
そして、彼女との思い出が早送り再生の如くニューロンを駆け巡る、朝5時32分。
あんなことがあっても、朝は来る。
その事実と、彼女の23年というあまりにも短過ぎる時間の流れに、私は酷い嫌悪感を覚えた。
彼女のあまりにも短過ぎる時間配分に、突きつけられる現実。
それでいて、誰にでも平等に流れる時間、差し込む陽光。
寄りにもよって、清々しい程の晴天。
神様なんて居ないんだ、と思い知らされた。
晴れが嫌いだ。
私が昔、唯一の親友を失った時も雲ひとつない青空が、次の日には広がっていた。
何も隠してくれない、かき消してくれない、洗い流してくれない。
そんな晴れが、私は嫌いだ。
そして、そんな考えを巡らせている間にも平等に流れる時間はもっと嫌いだ。
そろそろ仕事場に向かわねば。
家を出る前に見た天気予報
雨はまだ、降らないらしい
彼女に、ありがとう
2019年7月3日
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