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チャイと年越しと無職一家の謎

2023年の大晦日、ネパール南部のルンビニから深夜バスで移動した私は早朝のカトマンズのバスターミナルにいた。知り合いの親戚の家でホームステイをするため、カトマンズ郊外の町・ムルパニへ向かった。

カトマンズ中心地でにぎやかに年越しも考えたけど、やっぱり年末は家族で過ごしたい……もともとネパールの新年は4月だと聞いていたけど、何かしら年末年始っぽいことはするだろうと思っていた。

チャイを飲んでたら2023年が終わった

滞在先の家族はふくよかなママ、顔の濃い舘ひろしのようなパパ、ピアスじゃらじゃらのおばあちゃん、日本に留学していた20代の息子という4人で暮らしていた。後述するが、この家の人は誰も仕事に就いてないのに比較的豊かな生活を送っていた。

到着してすぐ、彼に「今日は大晦日だけど、どうやって過ごすの?」と聞くと、「別に何もしないよ」と言われた。

彼の「別に何もしない」は、本当だった。

11:00頃に昼ごはんを食べてから、太陽の下でぼーっとする家族。あんまり私が暇そうにしているので、息子がバイクで近所のお寺に連れて行ってくれた。それもすぐ終わってしまい、またもぼーっとしていると、パパが「チャイを飲みに行こう」と誘ってくれた。暇を持て余していたのでもちろん!とバイクにまたがったが、これが2時間コースとは思いもしなかった。

まず立ち寄ったのは、家から5分ほどの場所にあるお店。パパの妹のお店らしい。パパはそこで妹や母親と30分くらい雑談をして(私はその様子をぼーっと眺めて)、次は2軒目。はとこのお店だった。そこでもパパは延々とおしゃべりしている。

一軒目のチャイ屋にて。ネパール人はよくタバコを吸う

日が暮れ始め、段々寒くなってきた。「トイレに行きたいから、もう帰りたいなぁ」というと、もう1軒寄ったら帰るという。バイクにまたがり、最後の1軒に向かいながら、「なんか見たことある道だな〜デジャヴかな?」と思ったら、最初に寄ったチャイ屋だった。デジャヴでも何でもなかった。

ようやく帰宅するとママがチャイを出してくれた。トドメの4杯目。もはや利きチャイができるようになった私は「家庭のチャイはお茶が少ないから夕方にぴったり」などと思いながらすする。

こうしてチャイをすすり、ダルバートを食べ、2023年は終わった。大晦日なのに何もなさすぎて、逆に印象に残るものとなった。

初日の出は住宅街から見た。電線だらけ……

みんな働なくても食べていける理由

私がお世話になったホームステイ先では、息子、両親、おばあちゃん、誰も仕事に就いてない。いわば一家全員が無職だった。

一方で農業をしてる訳でもなく、食料や日用品は購入していた。家はしっかりとしたコンクリート造りで、息子とパパはそれぞれスクーターを所有している。正直、どこからそんなお金が出てくるのか不思議でたまらなかった。

この謎が解けたのは2日目の早朝。パパと朝の散歩という名のチャイ巡りで、3杯目のチャイを飲んだときのことだった。

ホームステイ先はネパールではかなり閑静な住宅街

雑談ついでに「何の仕事をしてるの?」と聞くと、「今は休養期間で1年くらい休んでいる」という。

曰く「もともと、政府系の機関で働いていたから貯金と退職金があるし、息子が日本で稼いだからしばらくは大丈夫なんだ」とタバコをふかしながら平然と話す。ちなみに息子はファミマの夜勤バイトで稼いでいた。  

ネパールの平均月収は約20,000円ほどだと言われており、パパの前職(月収11万)と息子のファミマバイト(月収8万)を合わせると、平均月収の10倍は稼いでいたことになる。

このお金を貯めていれば、一定期間は働いてその後に休むということが余裕なのだ。

とても綺麗なキッチンからも余裕がうかがえた

ネパールを旅していると、至るところで農業や建設作業に従事する人を見る。彼らのように毎日働かないと食べて行けない人がいる一方で、何もしなくてもしばらく蓄えで生きていける人もいる。このような格差は日本でも存在するけれど、あまり体感することはない。ネパールは貧富の差が鮮明にわかる国なのかもしれない。

貧富の差について考えつつも、「とはいえ、何もせずしばらく食べていける生活っていいなぁ……」と呑気に考えていると、パパが「そういう訳で、ここの支払いは頼んだ」と言い、自分のチャイとタバコ代の合計70円を支払わせようとしてきた。どうやら貯金はあっても節約意識はあるようだった。

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