Rosette なりふり構ってないように見えるロゼットの生きる姿は、よく見ると不覚にもうつくしかった
植物の冬越しの形の一つにロゼットがある。
地面に張り付いて冬を過ごす。たんぽぽの冬の状態である。
地面に馴染みすぎていて踏んでいることにおそらく、気付いてすらいない。
まるで枯れているようだが、ずっと、生きているという。
ロゼットの形をとる理由は色々とあるようだが、わかりやすいものだと、高く成長する分のエネルギーの節約、寒さ対策として地面からの熱を利用する、といったものがある。
暖かい春が来るまでの間を生き抜くことを何より最優先した結果なのだろう。
人間に例えるなら、できる限り家にこもり、体温を逃すまいと丸まっている状態か。働くことも控え、それゆえに食事も最低限、お風呂なんかも体力を節約するために全く入っていないくらいの、なりふり構わずぶり。
”どうしてそこまでして冬を越えたいのですか”
気持ちが弱っている時によく、こう問いかけたくなる、ロゼットに。
そんなにボロボロになってまで生き延びようとしなくても良いのに…
いっそ息絶えた方が楽になれるんじゃないか…
誰も責めないよ…
”なんでそこまでして生きるのさ”
考え事が深みに迷い込んでしまった時、ロゼットに行き場のない気持ちをぶつけてみる。
そして、そこからさらに深く迷い込む。
でも結局、答えはいつも一つのところに辿り着く。
(迷ったかいはあったといつも思う)
”子孫を残すため”
言葉にすると重くなってしまう。けれど、なんてシンプルだろう。
こんなシンプルなことに全力を注いでいられるのだとしたら、ロゼットが羨ましい。
おそらく、いま私たちには、やることも情報も多すぎて複雑過ぎる。
生きている意味がほしいなんて、人間くらいなんじゃないだろうか。
人間以外は、生きるために生きているだけではないだろうか。
命をつなぐためだけに生き抜くんではないだろうか。
”生まれて育ち、子を産み育て、死ぬ”
わたしにとって、生きている意味の究極のところ。
何かの解決になる訳ではないのだけれど、だいたいいつもここに辿り着く。
一頻り(ひとしきり)闇へ迷い込むような考え事をした後は、からっと正気に戻る。
そして漠然と、未来を生きるこどもたちを想って、はたらこうって思う。
ところでこのロゼット、よく見てみるときれいな形をしている。
地面でぶわっと大輪を咲かせている。
できるだけ太陽の光を浴びるための工夫なだけかもしれないけれど、やはり懸命に生きる姿はうつくしく感じるのだろうか。
(やっぱり羨ましい)
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