川の、流れにのる能

流れにのることができる人と流されるだけの人。

やり方次第では前者になることは可能だと思う。



よくいるじゃないですか、気がついたら今の仕事してたんですよって人。同じ土地に数十年、よくわからないけど縁があったみたいでって人。人に誘われるまま色々なところへ飛び回っていたら結婚してて子供もあっと言う間に中学生になってて…って人。

よくいる訳ではないのだろうけど、

“振り返ってみると、流れに逆らわず流れのままに生きてきたかなって人”

いると思うんですよ。


そういうのって本当に憧れるんです。

そういうのって上手くできる人とできない人がいると思うから。私は、つくづく後者だと思うので、そういうのって本当に憧れるんです。あぁ、私は元々前者のタイプじゃないから、きちんと舵をとらないと、とんでもないところに漂着してしまうんだろうな、なんて。(実際そうだったし)


でも流れにのれる方法はあるんじゃないかなと思うんです。

例えば、信濃川に身を任せていたって、なんとなく太平洋の方に行きたいなと望むことは、難しい訳で。ぼんやりとでもいいので、目指したいところがあるのであればそちらの方を向いている川に流されてみればいい。色んな川を乗り継ぐだろうけど、方向さえ間違わなければ、それが「流されるままに生きてきたらこんなところに居て、何となくでも幸せ」に繋がるのだろう。

方向がずれてきたなって感じたら、自ら川を乗り換える時。そこは気付かないフリして流されちゃいけない。中には敢えて違う方向に流されて、それすらも「流されてきちゃったけど、なんか幸せ」ってことにできちゃう人もいるだろう。でもそこは自分の責任だよね。

振り返ってみると私は流される川に無責任だった。「何か流れている川がすぐそばにあるから、折角だから楽だし(省エネだし)入ってみよう。(私に合うそれなりのところに着くよね?)(着いてよね)」なんて。流れの方向性に無責任だったから、上手く流されようもなかった。自分の責任だよね。


最近長めのお休み期間があったので色々考えていました。少し遠くに、自分の目指したい生活を見据えることができ、そちらに向かう川を探していました。漸く(ようやく)縁があったので、その川に入ってみようかなと思います。

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