ホタルイカ

ホタルイカを初めて食べたのは去年の五月。意外と最近。生まれて21年目でやっと口にした食材。それがとにかく美味かったので、以来「ホタルイカ」の文字を見つけると目が留まり口が止まり、ついには体が店に吸い寄せられるようになった。先日も某回転寿司チェーン店で「漬けほたるいか100円」なんて言われてしまったもんだから、もうその日の夕に食べに行った。
ここまで異様なホタルイカブームが継続しているのは、その味もさることながら、あの1年前の夜が思い起こされるからであろう。

友人と大阪へ出向いた。昼から飲める店を予約しておいて、やっすいシャンパンで乾杯をした。ほろ酔い気分でスイーツの店へ行き、抹茶ティラミスを頬張り、まあこんなもんかと平らげた。そもそもこの友人とは(当時)3年以上の付き合いであったが、会うのは本当に久方ぶりだった。私がナンヤカンヤで地元へ帰ってしまい、「飲み誘おうと思ったらおらんとかどういうこと?」とよくクレームの電話がかかってきた。そこで、じゃあご足労をお掛けいたしますが友人様さえ宜しければ是非お会いして夜通し酒を飲んで二人で飲んだくれのべろっべろになりとうございますと伝えたところ、快諾してくれたのだ。わざわざ九州からキャリーケースを転がして、はるばるヤンキーの街・大阪に来てくれたのである。友人には感謝の限りだ。
そんなこんなで夜は更け、気持ちの良かった酔いからも醒めてしまった中身オッサン女子大生二人組はとあるバーへ向かった。何しろ私はバーという空間が好きで、美味い酒とマスターとのおしゃべりを目当てに徘徊するのが趣味だった。友人も酒は好きで、そんな私のわがままに付き合ってくれたのである。裏路地の暗い階段を上がり、重々しい木調のドアーを開けると、店内には品の良いジャズが流れていた。白シャツに黒のネクタイを締めたマスターが「いらっしゃいませ」と微笑を浮かべる。「これはもうとてつもない店に来た」と思った。カウンターに座り、テーブルを覗くと「今日のおすすめ」がラミネート加工されて置かれていた。シックな内装にも関わらず、なかなか親切な対応で少し驚きつつも、こちらの好みを伝えてカクテルを一杯頼んだ。もちろんすこぶるに美味かった。爽やかなオレンジの味と香りが広がったが、その後ろで確かなアルコール度数が私をじっと狙っている。これに屈することなくどこまで飲めるかが、また面白い。
さて、この日は平成31年4月30日、平成最後の日であった。やい令和になったら何を始める、平成のうちにやりたいことは、思い残したことはないか、元号が新たになった世で生きる覚悟がお前にはあるのかと野次を飛ばす人々に私はなんだかうんざりしていて、早く令和になってほしい、過ぎればその口も閉じるだろうと考えていた。マスターが「今日は平成最後の日なので」と切り出した際にはどきりとしたが、おちょこが二つ、私たちの目の前に置かれた。腕に抱いた日本酒瓶のラベルをこちらに見せて、にこりとまた笑う。「ありがとう平成」。墨がたっぷり含まれた筆文字で書かれていた。途端、この言葉は抵抗もなく、ストンと私のなかに入った。嗚呼そうだ、平成は良い時代だったじゃないか。私が生まれ、悩み、傷つき、苦しみ、成長し、たくさんの大切なものを得た時代だった。隣で友人が幸せそうに笑う。積み上げてきた全てを捨ててそそくさと逃げた私を気にかけ、踏み込まず、寄り添ってくれた友人。関わりが切れてもいいはずの人間に定期的に電話をかけ、最近あったことや悩みを聞きながら口ずさむ相槌に、どれほどの優しさが詰め込まれていただろうか。確かに私には数々の矢が放たれ、手も足も射抜かれて動けなくなったこともあった。けれど、私が「たすけて」と言えば駆け寄ってくれる人がいて、刺さった矢を抜いてくれて、止血してくれる人がいて、背中を押してくれる人がいる。そんな人たちに出会えたのも平成だ。足元にくっついた影ばかり見ていては、頭上の光に気づくことができない。ありがとう平成。令和になっても、私はこの世界で生きてゆける。

「そうだ、この日本酒に合うものは何かありませんか」と訊ねて、マスターはごぞごぞと探し出した。じゃあ今日入ったものなのでと出されたものこそ、ホタルイカの刺身だった。とろける甘さがちゅるんと口の中に入り、ツンとした醤油の塩っぽさと見事に合う。日本酒も美味い。辛口とは言うが、味は甘い。まろやかで飲みやすく、私たちは再びへべれけ集団と化した。(いや、これは盛った。正気も記憶も保っている。安心してほしい。)
その後行ったバーでは「映え」にしか興味のないただ「混ぜた」だけの酒が出され、二人とも眉が下がったまま令和1日目を迎えた。あのままさっきのバーにいれば良かったと友人は嘆いたが、私はちっとも怖くなかった。記念すべきはじまりの日が最悪でも、平成最後に飲んだ日本酒とホタルイカの思い出があれば、きっと何とかやっていける。そんな確信があった。
茶髪のお兄さんが「お姉さん出身どこなん?」と特徴的なしゃべり方で話しかけてきた。友人と顔を見合わせ、私たちはげらげらと笑った。

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