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音の記憶|ショートショート


親族と訪れた和食のチェーン店。
平日の昼時だからか、はたまた少しお高めの設定だからか店内はさほど混んではいない。

案内された席に一番最後に座ると、すぐに空調の音が気になり始めた。

人数が多いのもあるが何もこんな席に案内するなんて。横の通路はすぐトイレへと続く入口だし、斜め後ろのは厨房と繋がっていてパタパタと従業員がせわしなく出入りしている。

さらに絶え間なくカタカタ、カタ…と頭上から空調の音が降り注ぐのだ。

それでなくとも気の進まない会食なのになぁ、と、もう仕方なく食事に集中することにした。どうせ端の席だから会話に参加しなくても誰も気にはしないだろう。そもそも人の動きとカタカタ音で話なんか半分しか聞こえてこないことだし。

カタカタ、カタ…カタカタカタカタ…

トイレから出てくる人と目が合う。
ピンポーンと厨房から電子音が鳴るのは食事が出来上がった合図だろうか?
そのたびに出入りする従業員、ときおり沸き起こる親類の笑い声。

ああ、うるさい。

カタカタ、カタ…カタカタカタカタ…

どうなっているんだ、この店は。こんな苦痛な会食が今までにあっただろうか?
そんなことを考えて苛立ちながらも、ふとこの音に懐かしさを感じた。

いつか聞いた音。ずいぶんと昔に、長いこと聴いていたような気がする。目をつむって記憶を手繰り寄せていると頭の中で暑い夏の日の光景が広がり始めた。


あの夏、私はいつも狭い和室の肘掛け窓から外を眺めていた。

六畳の部屋に一間の押し入れと、並んだ戸襖の奥には板張りの台所。キッチンと呼ぶにはあまりに狭かった。形ばかりの風呂と、トイレ。トイレは青と白のモザイクタイルでもはや便所と呼ぶべきか。そんな古い賃貸に住んでいた。

当時大学生。中学生で音楽に目覚め、高校生の頃には「必ず住む」と決めていた街だった。親からの仕送りとアルバイト。当然、学費もかかるわけだから贅沢なんて言っていられない。物件のすぐ下は飲食店だった。そんなこともありかなりありがたい家賃だったのを覚えている。とにかく雑多な街だった。

何も予定のない夏の真昼。扇風機さえ無い部屋はどうにもならないほど暑く、肘掛け窓を開け放ち、もたれかかるように過ごすことが多かった。

カタカタ、カタカタ、カタカタ…

真下の飲食店の換気扇の音が聞こえる。頻繁に手入れもしていないのだろう。たまにひっかかるように音が不規則になるのも癇に障る。最初はうるさくて腹が立ったものだが、いつしか慣れて「夢に繋がるスタートラインに立った音」などと感じ始めていた。

若かった。

カタカタ、カタカタ、カタカタ…

ああ、私はここからスタートするのだ。


大学4年間は有意義だった。
学び、飲み、遊び、働き、ギターを弾いた。狭いライブハウスには友人たちも来てくれて、少数ながらもチケットを買ってくれるファンもついた。

それが4回生ともなると、周りはだんだんと卒論と就職活動に追われ始め、バンド仲間もライブの話に乗ってくることが無くなってきた。
「お前もさ、いいかげん将来を考えろよ」
「フリーターにでもなるつもりか?」
「音楽は学生の間だけだよ、趣味だろう」
そう言って私から離れていった。

将来?音楽じゃないのか?
音楽で生きていくつもりになっていた私は自分の才能を疑ってはいなかった。だから、ある夜、自分一人でライブを開催したのだ。一人の参加は初めてだが、仲間がいなくてもいい、いつも駆けつけてくれる何十人かが聴いてくれればそれでいい。チケットを配った。本当のスタートを見てほしい、その一心で代金は取らなかった。

その夜、そこで初めて、現実と向き合うこととなる。

私の前にはバンドが二組。なかなかに盛り上がっている。気分は上々だ。
用意した曲は三曲。二曲は洋楽のコピーだが、オリジナルを一曲。この日のために書き上げた自信作だ。きっと歓声が上がるだろう、想像するだけで鳥肌が立つ。他バンド目当ての人たちも自分を知ってくれるいい機会だ。

そして…

ステージに立った私が見たものは、次々と立ち上がる観客たちだった。


そのライブハウスは融通が利いていて、チケットさえあれば出入り自由だった。
「俺の曲も聴いていって!」
マイクで出口に向かう人たちの背に声をかけるも、笑って相手にもされなかった。想定外の事態だがそれでもやるしかない。

そうか、あれだけチケットを配っても、タダでも来てくれなかったのか。ファンだと思っていた子たちも、自分のファンだったわけじゃなかったのか。そんな気持ちが渦巻いてしまう。

もう、なにをどう演奏したのか覚えていない。ただ、視界が歪んで見えた。
その場に残っていた三人組の女の子からは
「しっかりしてよー」
「聴いてあげるからさぁ」
と声援のようなヤジが飛んだ。

例え少数でも聴いてくれればそれでいい、なんてカッコつける余裕もなかった。ベタっと座った三人を前に、ただ、みじめだった。

よほどみっともなかったのだろう、途中でスピーカーを切られた私は、ライブハウスのマスターにステージを降ろされた。音楽を愛する気持ちがあったらまたおいでよ、なんて慰められたのもどうしようもなく心臓をえぐった。

待機スペースに戻ると、
「お兄さん、やるなら練習しておきなよ」
「ちょっと無謀だったかもね?」
大声で他バンドメンバーに笑われた。
「泣いてるじゃん、かわいそうだからやめなよ」
女性ボーカルらしき子の声がそれを制止する。

みじめで恥ずかしくて消え去りたくて、逃げるようにして帰り支度をしていると、四組目のバンドの演奏が始まった。そして、声援が聴こえてきた…


カタカタ、カタ…カタカタカタカタ…

ああ、なんてことを思い出させるんだ。せっかく奥深くに埋めこんだ苦い思い出なのに。その出来事のせいで、私は大学時代の友人とは縁を切ることにしたのだ。皆が私をバカにしているはずだから。
食後のコーヒーを啜りながらため息をついた。

カタカタ、カタ…カタカタカタカタ…

けれど、ふと考える。
あれは本当に消し去りたい思い出なのだろうか?もしかしたら、素晴らしく充実した夢のような生活だったのではないか、と。




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