これまでのお話はこちら

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手軽な推理問答から一時間程度。

ぷすんぷすんと、デフォルメされたガス欠の音が聞こえそうなほど分かりやすく、少年は天を仰いだ。実際に聞こえたのは深く長い呼気の音だ。

あれからもお客さんは来ないし、空は翳ったりもしていない。客足がこうもないと油断してると、急に雨が降ってどっと来客があるようなパターンもあるんだけど……それもない。永愛に休みをやっただけに、あんまり混まれても困るんだが。

「おかわり、要りますか？」
「あぁ……どうも」
「流石におかわり自由じゃないけど、それでよければ」
「……ですよね」

アカシックスの裏稼業があるからって、喫茶店が軽んじられるわけもない。高校生をせっつくのも悪いんだけど、コーヒーが終わっててクッキーが余ってるとなれば、声をかけるほかはない。特に、今日みたいな日は。
悪いな、売り上げに貢献してもらう。

「……いただきます。Lで」
「はいよ」

空いたグラスを下げて、お釣りなく代金を受け取って、踵を返す。お代を頂いた以上は迅速、丁寧。とはいっても、そんなにすることもないんだが。
冷やしておいたコーヒーを、冷やしておいたグラスに注ぐ。本当にそのくらいだ。ホットとか言われたら今から淹れることになったんだが、まぁ、今の季節アイスの仕込みは多めにある。ついでに、俺の分も。
二杯目もアイスコーヒーとは思っていたが、正直またLとは予想外だ。随分羽振りがいいんだなぁ、最近の高校生。永愛も実はバイト代に不満を持ってたりするのかね……。してたら、もっとシフト入るように相談してくるか。

「はい、お待ち」
「ありがとうございます」
「えーと……詰まってる感じかな」
「……ハイ」

見たところ、初歩のあたりか。永愛の課題を見たこともある。まだこのくらいなら教えることは出来ないこともないが、お節介が過ぎるだろうか。
そう、少し悩んだところで、彼の方から話しかけてくる。おずおず、といった様子ではあるが、喫茶店というモノに不慣れな十五歳の緊張……というわけではなさそうだ。その目はメニューじゃなく、俺に向いている。

「あの……。本当に、アカシックスじゃない……んですよね？」
「む。それは違うって言ったでしょうが」
「はぁ……」

ミルクポーションをコーヒーに入れて、軽く回しながら気の抜けた返事。黒の表層に白が広がり、深層へ沈んでいく。色が馴染むように時間をかけて、ゆっくりと彼自身の身体も力を喪っていく。声音から緊張感が抜けていく。

「やっぱり違うのかぁ」
「……やっぱり？」

『やっぱり』。どことなく漂う失望感。もしかして、こいつ。

「いや、ちょっと噂があったんです。『特別な喫茶店』だって。それで、ちょっと興味を持ってきてみたら、あんな風に色々当てられたんで。いやぁ、てっきり店長さんがアカシックスなのかな、って」
「いやいや、マンガじゃあるまいし」
「ですよねぇ」

少年はアハハ、と軽く、ともすれば勘違いと失望を誤魔化すようにわざとらしく笑う。俺も同調してぎこちなく笑うけれど、内心は複雑だ。
たまに、ごくたまにいるんだ。どこから聞きつけたのか知らないが、俺の――喫茶があでんの裏稼業を聞きつけて、妙な期待を持ってくるようなお客。まさかこんな高校生にまで、そんな噂が流れているとは。機密の意味でも、一応は大人としても、少しばかりでなく不安だ。

不安ではあるし、その気になれば情報の出処はわかる。
だけど、だからって易々とそうはしない。もし本当に依頼人が情報漏洩していたとして、その人を「アカシックスとしての裏稼業、企業秘密をバラした！　契約違反だ！」なんて言ったところで、意味がないからだ。
そもそも民間で全知に繋いでる俺が違法である。よくて狂人扱い、順当にお縄、最悪師匠と永愛を巻き込んでの大事件。信頼は揺らぐし、金銭とかの得もないし、探るだけ無駄だ。

「……アカシックス、いいよなぁ」

無邪気なお客さんはそう言うが、知ればいいってもんじゃないのである。
俺の気も知らず、全知の実態も知らず、だけど彼の世界の真実がつらつらと述べられる。

「こんな課題だってやらなくていいし。なんでもわかるっていいッスよね」
「……そういうもんですかね？」
「そういうもん……じゃないですか？」

まさかの否定に、少年はぱちくりと目を丸くする。声色には驚きに混じって、どこか怯えが混じったように感じる。……またやっちまった。
さっきの瞬間、俺の声は、じわりと低かった。俺の目は、エージェントのときほどではなくとも、硬く、暗い目をしていたはずだ。エージェントのときは依頼人の話を引き出すため、意識的に明るく振舞ってみせるから、むしろ今の方がきつい目をしてたかも。
いかん、いかん。
瞬きを数度して、パッと明るく切り替える。

「……いやァ、仕事柄色んな話を聴くものなので！　結構、全知絡みは面倒な話を聞きますよ」
「はぁ」
「興味があるなら、ちょっとお話しましょうか？　勉強の休憩にでも」
「おっ、お願いします！」

にやりと仄めかす俺に、少年はストローから手を離して向き直る。俺の「また聞きの噂」に、少しは興味を持ったのか、話の続きを待っている。よしよし、うまくいく……かな？

俺は教師でもなければ、長屋のご意見番でもない。正直言って、噂をふらふら流したままの方が客の入りがいいのなら、別にこのままだっていい。このままの方がいい。
だけど、彼は明窓館の学生だ。永愛の通う学校の後輩だ。浅屋先生の生徒だ。そして、この街や社会を背負う若者だ。
であれば、アカシックスの当事者として、小さな誤解でも解くチャンスを放り出すわけにはいかない。ひとりの人間の、ちょっとした誤解。そこから世界が捻じ曲がることはいくらでもあると、俺は『知っている』から。

「……そもそも、お兄さん？　アカシックス、ってどういう“モノ”かご存知ですか？」

カウンターの少し高い椅子を引いて、ひょいと飛び乗って、俺は殊更、巻き込むように問いかける。少年、君がテキストを見るのが退屈そうなのは見てきた。勉強は苦手だろう。説法よりセッションで行こうか？

からり、少年のグラスの中で氷がバランスを崩した。気の早いドアの風鈴は、まだ鳴らない。

これやってる間に、お客さんは来てくれるのだろうか。

>>つづく>>

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