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アカシック・カフェ 【1-3 ハッピー・ルーイン】

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「常川辰真。私の兄のような人で、弟のような人で……恋人です」

チリチリと目元が軽く痺れる感覚。伊万里様。に、重なるように小さな女の子。テーブルがデスク……学習机になる。並んで、もうひとつ。やんちゃそうな男の子。机の上には教科書。

「五年前の今日、私たちは待ち合わせをしていました。地元の駅の、彫刻のところ」

行ったことも見たこともない土地。ちらりと見えた、初めて読む駅名が「わかる」。この異能がなきゃ読めなかったな。思考の隙間で並列して、歪な彫刻は揺れ動く水面と魚をモチーフにしていることを「知る」。

「その日はちょうど、家族みたいな友達から、ちゃんと恋人になった記念日で」
「畏まってデートを申し込まれたから、プロポーズされるかもって期待して、いつもより気合いを入れてオシャレした」

夜。イルミネーション。雑踏。隠し部屋と駅前が重なる。強弱の幅があった目元の痺れが安定する。視覚系のアカシック能力、俺のウォッチャーが完全発動した。

当然、伊万里様も二人。厚着の方はベンチにそわそわ腰掛けている。やつれている方は、俺の言葉にぱちくり驚いている。

「もう大丈夫です。その夜に接続できました。……口に出したのは、申し訳ない」

「こちら」の伊万里様に、俺はそっと謝る。昔語りに苦しげだった表情は、ステップを進んだことで少しだけ和らいだ。が、すぐに違う硬さを帯びる。思い出したんだ。この後行うこと、その重みを。彼女の覚悟を、たとえ野暮であっても、俺は最終確認する。

「さて。本当に『貴女も視る』んですね。伊万里様」
「……はい」
「じゃ、お手を拝借……目を瞑って。深呼吸……」

指先に触れた瞬間、目元の痺れが強くなる。伊万里様の、今この瞬間の形にならない感情未満の氾濫。観測者たる俺とは全く違う生の思い出の奔流。二つの過去が指先から俺の中に流れ込んでくる。伊万里様本人という「手掛かり」を得たせいで、さっきまでとは桁違いの情報量と接続してしまう。脳が、心がグラグラする。伊万里様が三人、七人、誤認する。

だけど、その程度大したことじゃない。だいたい慣れてる。血に濡れたドスと手が見えないだけマシだ。

問題は伊万里様。アカシックスでもない人間が「これ」をするんだから。

「っ……!!ア……あた、し、私!……あの夜……!?」

五年前の夜空の黒、つい数分前のコーヒーの黒。俺が過去を絞って接続したところで、その視界と魂には膨大な情報が流れ込んでいる。それも、「これが『真実だ』という確信」を持ってしまう、持たされてしまうあの感覚つき。腹の底にずしりと落ちてくる鈍い重み。灼け付くような光を直視したような鋭い衝撃。どちらともが混じった感覚。俺でさえ、あれを初めて味わったときのことは、あまり思い出したくない。

「……続けますからね。『常川辰真』様の過去へ接続します」

伊万里様の呼吸と感情が幾らか落ち着いたところで、俺は告げる。伊万里様の過去を悟り、視たことで、常川様の輪郭はよりくっきりした。手掛かりは十分。これなら現実時間の1秒以下でその夜を視られる。
俺は伊万里様の返事を待たない。意志の固さはさっき視たのだから。それに、今もSOSは感情未満の渦に一滴も視えない。真っ直ぐ、待ったなし。

果たして、所要時間は想定通り。

「たつ…ま…!?」

伊万里様が、そして彼女の過去を経由して俺が20年以上隣に見続けた男。常川辰真は「今」俺達の目の前にいた。時間は夜。場所は待ち合わせ場所と遠くない。

で、状況は……最悪だ。シンプルな最悪。

路地を走る辰真。がビンが割れる音で振り返る。と、薄暗がりで喧嘩。辰真は、野暮用のせいで遅刻しそうだってのに、首を突っ込む。あぁ知ってるよ、辰真はそういう時仲裁するヤツだ。伊万里様も俺も知ってる。
奥歯を噛み締めて、接続を続ける。この暗く苦いどろりとした直感は、今の俺か、一瞬前の伊万里様か、五年前の辰真か。皮肉にも心が一つになる。嫌な予感ってやつ。
それを抱いても退かないバカ正直ささえ、俺達は知っている。油を注がれた火の玉ども、割れたビール瓶、骨が剥き出しの忘れ傘。一致団結、二対一、狂気に染まる四つの眼光。今際の際に焦げ付く感情はまるで、沈みゆく夕日のように大きく、熱く、強烈で――。

阿呆どもがその手のモノを振りかざした瞬間、俺は接続を強制切断した。

しばらく、俺は深く細く、伊万里様は浅く激しく呼吸をするだけだった。時計の長針がかつん、とゼロを指す音。静音性も重視したハズの換気扇。自分の心拍。全てがうるさかった。

「……水。あと、酔い止め。後からでも効くタイプです。オレンジ、ミント、味しないやつ」

俺はそれだけ並べて、自分の分の水を飲み干した。アカシック・ウォッチャーの視覚接続共有。物理的に酔う人も多い。伊万里様は幸い、自己申告通り酔いには強かったらしく、最後まで吐き気の「過去」は伝わってこなかった。よほど、肉体の不快感に苛まれて思考できなくなった方が救いがあるのに、残念ながら。

「……さて、これが真相です」

軽く汗を拭い、対話をリスタートする。ボロボロの依頼人に追い打ちめいているけれど、それがオーダーだ。

「常川辰真様は…縁も所縁もない喧嘩に巻き込まれた。持ち前の正義感ゆえに、亡くなった」

涙を拭っても拭っても溢れ、テーブルには土砂降りの道のごとく、新しい染みがぽつぽつと出来る。水はまだ飲めそうにない。

「……クソみたいな話ですけれど、人一人の犠牲で酔いが醒めた。輪をかけて酷い話なのは、覚醒した頭で考えたことは証拠隠滅」

目元の痺れは、さっきより強い。接続する記録はハッキリしている。負担は低い。それでも痺れるってことは、俺自身の気力の問題だ。

「……ジャケット。バッグ、その中の財布。身元が分かりそうな諸々全部、漁って処分して……」

伊万里様はいよいよ嗚咽を隠さなくなった。覚悟を問うたときには凛と伸びていた背は酷く丸まっている。けど、全ては過去のこと。視るだけの俺にはどうしようも……!?

「待った!待った…今の…戻れ…止まれ」

突然の声に、びくんと肩を強張らせ恐る恐る顔を上げる伊万里様に俺はどう映っているだろう。右目を手で塞ぎ、ぶつぶつ唱える狂人。そんなところだろう。それでいい、その通りだ。

当日真夜中、ここは馳人山、遊歩道から大きく外れた奥。ゴロツキが三人、一人増えてやがる。ブレインか?燃えるドラム缶。なんて古典的な。常川様のリュックが燃える。次いで財布。現金抜き取ってんじゃねぇクソが。さらにジャケット。最後にポケットを漁って……ここだ……これだ!

俺は新しい手掛かりを起点に据え直して、もう一度サーチする。目元はさらに痺れ、再び加速を始めた脈に合わせて枝葉を伸ばしていく。見開いてる左目が乾く。が、止まれない。夜明け、一週間。『それ』はクソ野郎の家の中にあった。二ヶ月、衣替え。まだ動かない。年越し。三月。ついに持ち出した。行き先は……。

「……そこか」
「……え?」
「伊万里様。少しだけ、時間をください」

ぽかんとした伊万里様の涙はすっかり止まっている。けれど、くっきり涙の跡が残っている。ひどく痛ましい。常川様といた頃の過去には、こんな表情は一欠片もなかった。俺でさえこんなにも苦しい。あんたなら、もっとだろう。

待ってろ。常川様……いや、辰真。あんたの無念は俺が晴らす

>>つづく>>

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