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恐怖・我慢・義務・脅し

エホバの証人の子供として育てられるとは、どういうことなのか。
集会と奉仕の出席は絶対。毎週3日はそれで潰れる。集会での手挙げはしないといけない空気感。子供同士でもなんとなく競わされてるように感じていました。
伝道者となり(よく見る家にいきなり来て聖書のことを話すのは、誰でもできる訳じゃなくて、ボスからのチェックがある)ゆくゆくはバプテスマを受けて模範となる兄弟姉妹になるのが最低目標で、きっと母もそれをかなり期待していたと思う。

学校の友達と遊ぶよりも(むしろ遊ばせてもらえない)親との行動の方がはるかに多いんです。
口の聞き方 大人の中で空気を読める子こそ褒められて「霊的」と周りからみられます。結局小さい頃の記憶は「我慢」「怖い」「脅し」
「なんで親がこれが正しいと言っているのにあなたは反抗するの。サタンがそうさせているのに。」
「反抗期」とはまた違う、もっと自分の生活を楽しみたい欲。今思えば、そんな欲は人間として当然の権利です。あのときは、それすら悪だと思わされていました。
「信仰心が足りない」
信じられないけれど20年近くそのような母親と、子供に興味のない父に育てられると本当に悪だと思い。それを思ってしまう自分がダメなんだと思うよになり 母親の機嫌が悪くなることに極度に怯えて暮らす。そんなことを普通にこなして生きていました。

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