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本日の精神科の話は輸血の話

今日は病院の日だった。今日はエホバの証人として母が変わってしまったのか、それとも元々ある気質だったのかという話になった。
母は親から愛されてないって思いながら生きてきた。で、そんな気持ちにさせないように気をつけてわたしを育ててきたっていう台詞も何毎回も聞いている。
なので、元々の気質もあると思う。
でも、物心ついたときからドップリ宗教に入っていたので母が実際はどんな人なのか知らない。
先生は「エホバの証人は輸血問題で本当に困る」ということを言っていて、確かに母もいつも携帯してる。
輸血するぐらいなら死ぬ。っていう意思表示。
ははは。

母はいつも「誰かの命をもらってまで生きたくない」「募金までしてもらっても助けたいと思わない」それは、自分のこともそうだし、わたしのこともです。
そこまでしては助けたくないと言われたことを思い出します。
「それがその人の持ってる人生だからさ。」って
さすが復活の希望がある人は死ぬのも怖くないよね。で、子供が死ぬのも怖くないよね。
目の前で子供が死んでいくことを、「仕方ない」と思えるって怖いって思います。
でも、言われていた頃は「そんなもんかな?」って思ってたんです。それも怖いよ。

輸血が必要になったら母は潔く死ぬ。それは、もはや父も了承している。

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