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アメリカ ルート66を巡る旅 08 オクラホマ州 西部

オクラホマ州の東部を走り、セントルイス以来の大都市、オクラホマ・シティに向かいます。オクラホマ州は、真っ平らな平原(グレートプレーンズ)の中心に位置します。平原ということは竜巻が起こりやすいということ。南のメキシコ湾からの熱風とカナダからの冷たい風がぶつかることで竜巻が起こります。ここ数年は温暖化の影響で強いトルネードの発生回数が増えていますので、春から秋にルート66を旅する方は、竜巻警報に注意してください。

今回はOklahoma Cityからオクラホマ州とテキサス州の州境の町Texolaまでの242kmを紹介します。車で止まらずに走ると2時間15分の旅です。

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<Oklahoma City>オクラホマ州の州都、オクラホマ・シティに到着です。しばらくは田舎の景色を見ながらのドライブだったので、高層ビルが懐かしくホッとします。そして街に近づくと車の数も増え、ダウンタウン周辺には歩道を歩く人たちがいます。あー都会に来た、という安堵の気持ちになります。この都市にはいくつも見所があります。まずはダウンタウンを歩いてみましょう。テンガロンハットやブーツなどウェスタン衣装に身を包んだ人々が歩いていて、なんだか別の国に来たように感じます。牧畜が盛んで世界最大の牛市場があるのが頷けます。近隣の牧場のカウボーイや牧畜業に関わる方々がウェスタンの衣装を民族衣装のように着ているのです。よく見ると、実際に牧場で使っている作業用とは別にオシャレとして作られた美しいテンガロンハットやパンツを身につけている方もいます。ファッションとして発達したこれらの服はちゃんと有名ブランドも存在していて街ではいくつもブティックを見かけました。興味があれば、作業用ではないファッションとしてのウエスタン調のブーツなどを購入するのも楽しいでしょう。
本物の牛市場があるのがストックヤード・シティです。ここにいくと町中が何とも言えない家畜の匂いで満ちています。そこには、ステーキ・ハウス、カウボーイの道具屋さん、実用的なウェスタン衣装の店が軒を並べています。私は、ここのステーキがとても好きです。日本ではなかなか食べることのできないアメリカンなステーキを安く食べることができます。
街の中心には、ブリック・シティというかつての倉庫街をリノベートした観光地があります。ここにはホテルもあり、観光の拠点にするには便利です。オクラホマ・シティのルート66上には、残念ながら昔ながらの建物はなく、全て壊され作り替えられてしまっています。これは、大都市に行くとどこも同じなので仕方がありません。
博物館ですがNational Cowboy and Western Heritage MuseumとScience Museum of Oklahomaがあります。前者はここオクラホマの代名詞とも言えるカウボーイの博物館ですので必見です。

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<コラム:オクラホマから西へのルート>
オクラホマ・シティを出てカリフォルニア州のバーストゥまでは、延々と州間高速44号線と平行してルート66は走ります。途中、高速に塗りつぶされているところもありますが、オクラホマ州内は、見事に高速の脇に旧道が残っています。オクラホマシティを出発すると、いよいよルート66の中で最も寂しい場所に突入します。次になんとなくホッとする街に出会うのは、ここから急いでも丸2日先のニューメキシコ州アルバカーキという町です。そこまでは、人もあまり住んでいない小さな町を通り過ぎていきます。走っている時はちょっと不安になりますが、旅を終えると、とても印象に残る場所です。
オクラホマ州をでてしばらくはグレートプレーンズを走ります。真っ平らな大地がテキサス州が終わるあたりまで続きます。でも実は少しずつ標高が高くなっていきます。それはこの先にロッキー山脈が近づいているからなのです。

<Big 8 Motel>
オクラホマ・シティからのんびり走ること約1時間、2~3の小さな集落を越えるとEl Renoという町に入ります。ここには、ルート66では有名なビッグ・エイト・モーテルがありました。モーテルの看板や建物がノスタルジックで元々人気があったのですが、映画「レインマン」でトム・クルーズとダスティン・ホフマンが泊まった宿として一躍有名になり、ルート66ファンでなくても、このモーテルに訪れるようになったそうです。しかし数年前に経営者が変わり簡単に名前も変えてしまったため、有名なサインはなくなってしまいました。アメリカ人はドライというか無神経というか、こうして数々のルート66の観光ポイントが失われていくのです。とても残念なことです。ということで、今、エル・レノに行ってもビッグ・エイト・モーテルは、見られません。
その代わり、エル・レノには歴史保存地区とOasis Drive Inという、60年代を思わせる見所があります。

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<Lucille's Gas Station>
ルート66を走るとエル・レノより西には牧草地が広がり、小さな集落がたまに現れます。その集落もだんだん小さくなっていきます。そして間隔もだんだん広がっていきます。大都市オクラホマ・シティから離れると、住んでいる人口が減っていくのがとてもよくわかります。エル・レノからさらに1時間ほど、のんびりと旧道を走ったところに、小さな町、Hydroが出現しました。この町は小さいのですが400世帯が暮らしているそうです。街の入り口にはガソリンスタンド兼コンビニがぽつんと1軒あります。それ以外はなにもないです。こんな町にも実は教会が3個あるそうです。住人は、熱心にキリスト教を信仰していることがわかります。
私が、ハイドロの街に着いたのは夜7時です。冬の夜7時は真っ暗です。遠くから見たハイドロの街は、なんとなく明るいところで、家々には光が灯っているのでそこには住居があることはわかるのですが、住人の気配がない場所でした。町には南北に走るメインストリートがあり、入り口から一番奥まで車で走っても5分もかかりません。でも立派な教会は3つ共に威厳を持って佇んでいました。
そんなハイドロの端っこにルーシーズ・ガスステーションがあります。ルート66が賑わっていたころからここにあったそうですが、目の前に高速ができ、車は通過するようになったので客数が激減してしまったそうです。今は、ルート66協会によって歴史的遺産に認定されています。2006年、この建物は、隣町ウェザーフォードのビジネスマンリック・コッチによって買収されました。彼は、ルーシーに敬意を表し建物を補修しました。そして、ウェザーフォードにルーシー・ロードハウスを建て現在も営業しています。こちらは近代的なレストランです。
このガソリンスタンド、作りは簡素でルート66沿いの典型的なガソリンスタンドのデザインです。これ、実は通販で購入した建物なのです。シアーズという通販会社は、なんでも通販するカタログ会社です。今のAmazonは、シアーズの現代版とも言えます。シアーズは、西部開拓時代にこの辺りに住んだ人向けに衣装品やハードウェアを通信販売で売っていましたが、商品数は増え、車や家までも売るようになりました。このガソリンスタンドもシアーズで売られていたガソリンスタンド用建築資材を購入して購入者がプラモデルのように組み立てたのです。アメリカの通信販売の遺構としても面白い場所です。

<Weatherford>
ハイドロの次にあるのはウェザーフォードという町です。ここにはいくつかの宿泊施設とガソリンスタンドやレストランがあります。ウェザーフォードは、コダックの工場があって、住人はそれなりにいました。しかし現在、コダックは倒産し街は廃れてしまっています。企業城下町が衰退するのをアメリカではよく見かけます。ベストセラー「ノマドランド」の舞台も同様でした。この街はこの先ゴーストタウンになってしまうのだと思います。

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<Rt 66 Museum, Clinton>
ウェザーフォードの次はClintonという中規模の街です。ここクリントンは、いったいどんな産業があるのかわかりませんが、車は結構走っていました。この町、「水曜どうでしょう」ファンには、聞き覚えのある街だと思います。どうでしょうがアメリカ横断したとき、ここのベスト・ウェスタンに泊まっていました。
クリントンには、有名なルート66博物館があります。途中いくつものルート66博物館があるのですが、止まって見学するほどのものはそれほどありませんでした。しかしここは、必見です。比較的新しい建物の中にはルート66にちなむアンティークや看板などが保管されています。それらは、きちんと展示されていて丁寧な解説も付いています。

<Glancy Motel>
クリントンには、ルート66らしいモーテルが残っています。それがグランシー・モーテルです。この看板がとても美しかったです。立体的で矢印をモチーフにしたデザインは、明らかにルート66上にあるモーテルの記号です。このモーテル、現在も営業中です。冬にもかかわらずほぼ満室でした。
このようなもはや近代芸術といってもいいようなサインは、かつてルート66上に沢山あったそうです。今でも写真集などで見ることができます。しかし、現存し、さらに今も運営されているサインは本当に少なくなってしまったようです。これはとても残念です。このようなサインを見たくて旅をするデザイナーもかなりいるそうです。なんとか看板を残していって欲しいです。
ちなみにこの看板、できてからかなり経っているようで、GLANCYと記してあるサインの中はツバメの巣になっていました。たくさんのツバメがこの中にいて鳴いています。近づくとかなりの数のツバメが飛び出してくるのです。駆除するわけにもいかずほったらかしているのでしょうが、それもアメリカの田舎の姿なんだなあと感じました。日本だったら駆除してしまいます。

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<Rt66 Museum, Elk City>
クリントンを出ると、もう景色は360度平原です。何もありません。ただひたすら道が西に向かってのびています。そんな道をただ漠然と走るとElk Cityに着きます。街ですが、なんだか西部開拓時代の街がそのまま発展したような殺風景な感じがしました。ここは今でも宿場町として機能しているようで、州間高速44号線を走る旅人達が休むためのモーテルが並んでいます。そんな一角にルート66博物館がありました。ここはクリントンのそれとは趣が異なっており、このあたりの街の生活を紹介するための施設です。広大な土地には、開拓時代の街が再現されていて、建物の中には人形がいます(これが怖い!)。明治村みたいな感じだと思っていただけるとわかりやすいかもしれません。かなりの費用をかけて作っていますが、いまひとつインパクトがないのは、アメリカも日本も役所がつくるとこんな感じの中途半端なものになるんだなあと思いました。

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<Courthouse>
エルク・シティの次の街はSayreです。かなり寂しくなってきました。まるでゴーストタウンのような街です。西部劇が今でも撮影できるのではないかというくらいボロボロです。そんな街にも人は暮らしています。ここの見所は、街のハズレにある裁判所です。映画「怒りの葡萄」にも出てきた古い建物です。この町には、これくらいしか立派な建物はありません。きっと何十年も何も変わらない街なのでしょう。寂しいと言うより何も変わらない「保守」と街の人々の「優しさ」が同居しながら、住人はよくこんな僻地で暮らしているなあと感心してしまいました。
街はかなりくたびれているのに、この裁判所はとても立派です。近くに行ってみると色が塗り直されているのがわかりました。果たしてそんなに裁判があるのだろうかと思ってしまいましたが、きっと地元の人たちには自慢の建物なのでしょう。ちなみに犯罪はほとんどおきないそうです。

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<Texola>
セイレから先は、さらに何もありません。途中、街があったような形跡はあるのですが、建物は崩壊し、街であったのかどうかすらよくわかりません。隣に見えていた州間高速44号線とも距離が出始じめ、誰もいない旧道を走ることになります。このあたりはかなり寂しいです。この先、道路もないのではないかと思いました。何度も引き返して州間高速44号線に乗ろうと考えました。それでも寂しさを感じながら頑張って旧道を走っていくと、州境の街Texolaに着きます。この町には人が住んでいるのでしょうか?人影は見かけませんでした。20000年の国勢調査では47人が住んでいるとありますが、現在はおそらくほぼゴーストタウンになっているのだと思います。ここの町外れには、かつての無法者を閉じ込めた牢屋跡がいまでも残っています。コンクリートに草が絡まった小さな牢獄は、とても気持ちが悪かったです。廃墟となった大型モーテルが点在していますが、営業中のガソリンスタンドやコンビニはありません。
町外れに州境のサインを発見しました。ここでオクラホマ州は終わりです。

*コラム:Nothing...
ルート66を走っていると、道路だけで、それ以外は本当に何もなくなる場所があります。セントルイスとスプリングフィールド(ミズーリ)の間、オクラホマ州の西側、テキサス州アマリロからニューメキシコ州アルバカーキの間、アルバカーキから西...ただ道が1本西に向かってあるだけなのです。日本ではなかなか見ることができない風景です。でも、これら風景は全く同じではないのです。ミズーリ州のあたりは、丘陵地帯で、道のアップダウンがわかります。オクラホマ州の西は土地が平らで真っ赤な土です。ニューメキシコ州は、なだらかな隆起があり、標高が高いようで森が消滅します。アリゾナは、ただの真っ平らな土地です。
いったいいつまでこの景色が続くんだろうと飽きてくるのですが、旅を終えるとあの一本道と360度見渡せることができる地平線がとても懐かしく思うのです。
東から西に巨大なグラデーションを描きながら徐々に変わっていく景色はとても素晴らしく地球を感じることができます。そして地層や土の色から地球が出来てきた長い時間も感じることが出来るのです。
もし、ルート66を旅する機会があれば、是非行く前に簡単な地層や土に関する本を読んでみてください。きっと旅は何倍にも楽しくなるはずです。

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