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出会うタイミング

書店に行くと、読みたいと思う本、面白そうだと思う本がたくさんある。

青山ブックセンター本店が好きなので、月に一度の散髪のあとに立ち寄ることが多い。美容師さんに髪を切ってもらったあとはフレッシュな気分になるので、そのフィーリングのまま店内に入っていくのが好きだ。

入ってすぐ左手に洋書のファンション誌コーナーがあって、いつもそこで立ち止まる。男性誌の表紙を見渡し、気に入ったものがあれば手に取ってページをめくる。ファッション誌特有の重みも、指先に吸いつくような紙質も、心をワクワクさせる。初めての本や雑誌を手に取るときの喜びは、リアルの書店ならではと思う。

書店のなかをゆっくり歩く。海外文学や日本文学、気が向けば美術書や写真集のコーナーを回って、目についた本を手に取り、ページを開く。

惹かれる本はページを開いた瞬間にわかる。内容を読む前にいいなと感じる。あの直感はいったいどこからやってくるのだろう。

本だけでなく、人も、会った瞬間にわかる。本当に素敵な人は、言葉だけでわかる。人柄や、品性や教養というと大げさだけどその人のまとっているもの、これまでの人生で深めてきた想いや思想。文章を通して新しい視点にハッとさせられたり、やさしい愛情に心打たれたり、熱い想いに揺さぶられたり。そのような出会いがぼくは好きだ。

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書店のなかを巡ってあれもこれもと気になる本を抱え込み、レジへ行く。高校生の頃は文庫本ばかり読んでいたが、大人になると単行本も買えるようになり、読める本の幅はぐんと広がった。近年は新潮クレスト・ブックスをはじめ良質な海外文学がいくつも翻訳されているので、世界中で書かれた作品を読むことができる。

毎回たくさん買い込むというわけではないが、気になる本を毎月買っていると次第に本が積まれていく。ウェブやSNSで誰かがオススメしているのを見ると、忘れないうちにAmazonで買うこともあるから、気がつくと本棚が埋まっていく。

そうして積んである本のなかから気になるものを取り出して読み始めるのだが、数ページたっても心にストンと入ってこないことがある。書店で手にとったときは清新な風のように感じたその本が、家に持ち帰ると眠ったように静かになる。

そういうときは、積んである山に戻して別の一冊を手に取る。それもピンとこなかったら、他のものを読む。どれもしっくりこないときはしばらく本を読まずにいる。

本は一番ふさわしいタイミングでぼくたちの前に現れる。買って書斎に積んであるのだから現れるというのはおかしいが、やはり現れるという表現がしっくりくる。

本は読まれるのを待っている。こちらの内面がその本を読むのに十分なまで成長したとき、読み手がその本を本当に必要とするとき。そうしたタイミングがやってくるのを待ってくれているのだと思う。

そうしてある日書斎の本棚を見たとき、ふと目に留まる一冊がある。ずっと本棚にあったのに、まるで初めて見つけたような気持ちになる。ああ、ようやく読むべきタイミングが訪れたんだなと思う。自分が本に追いついたんだと感じる。

そのとき初めて、本はぼくたちの前に現れる。

本棚からその本を引き抜き、ページを開く。そうしてぼくたちは、すぐに作者の世界に引き込まれていく。

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人との出会いもそうだと思う。扉が開かれるタイミングがある。

ずっと以前から知り合っていた相手とでも、二人の本当の関係が始まるのはもっと後だったりする。二人の間の扉が開くタイミングが、本当の出会いだ。

まだ会ったことのない大切な人、ずっと心のなかにいる、遠くにいる人。そのような人とも出会いは必ず訪れる。だから未来にとらわれて今をおろそかにしてはいけないし、時が訪れないことを不安に思う必要もない。扉は開くべきときに開く。

二人にとってふさわしいタイミング、出会うべきときが、ぼくたちを待っている。そう信じて、日々をしっかり生きている。心のなかにある羅針盤の針はいつも其方を指している。


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