ギーヤギーヤ

著・足皮すすむ (2001年)


〜まえがき〜
鬱陶しいくらい晴れ渡った真っ青な空の下、オーシャンビューを贅沢に感じながら海沿いの道路をセグウェイで走行している私に、後ろからクラクションを鳴らす輩がいた。
なんのつもりか知らないが、私は後続車に迷惑にならぬようしっかりと60km/hで走っていた。
だのに後ろの輩ときたら私にクラクションを鳴らしたのだ。
これは…レースだ。きっと相手は私にレースを申し込んでいるに違いない。
私はさらに前傾姿勢になりスピードを上げた。
着いて来れるモンなら着いて来やがれ。
そう思って後ろを振り返ると、後ろには立派なランルボギーニが。
ほほう…そいつで私のセグウェイ・足皮号に勝とうと思っているのか。面白い。
私はさらにさらに前傾姿勢になり、ほぼ道路と水平になるくらいの姿勢となった。
鼻先はもう地面に触れるか触れないかという幅しかなく、時速は210km/hを超えていた。
勝てる。これなら勝てる!そう確信した時、後ろからこうきこえた。
「もっとスピード落としなさあい!」
母だった。私の母だった。最初のクラクションは母が、スピードを出しすぎるなという警告をしてくれていたのだ。なんて息子思いの母親だ。
母の温かみは夏の気候よりあたたかかった。
  2001年 足皮すすむっぺ


第一章「ニカラグア」
インコを750万羽体にとまらせている老婆の夢から覚め、私は大きなあくびをかました。
朝ごはんにわっぱ飯を5号ほど平らげ、満腹すぎて睡魔が訪れたので再び寝て、次に起きた時は昼過ぎだった。
はて、奇妙な夢を見るほど熟睡していたにも関わらず、飯をかっくらっただけで訪れるこの睡魔とは一体なんなのだろう。
そう思った私は、睡眠について研究する事にした。
頭狂大学たんぽぽ部を首席卒業した私は、これまであらゆる研究をしてきており、そのほとんどで快挙ともいえる結果を残し続けてきた。
そんな私が次にテーマにしたのが、睡眠。
人間なら誰もが、毎日行うことである一方、未だ研究が隅々までなされておらず、未知の領域だ。
この議題に立ち向かうため、私はまず海へと赴いた。
海に向かって叫ぶことで邪念を取り払い、研究に全てを没頭させられる。
そう感じた私は、左ハンドルの真っ赤なオープンカーに乗り、スカーフをなびかせながら海沿いの道でスピードを出して走行していた。その時だ。
「前の車、止まりなさい。路肩に止めて。」
この声は警察だ。警察の、原澤ワイファイじゅんぺぇに違いない。

原澤ワイファイじゅんぺぇ。彼は2人の子供を持つ警察官。警察官という職がありながら、裏で暴走族の結構偉い地位にいて、多くの人に迷惑をかけているというのはあまりにも有名な話である。

原澤氏が生まれたのは1982年。
北海道蛇沼郡の山あいにある人口1人の小さな集落で、原澤家の次男として生を受けた。
幼い頃は活発で勇敢で優柔不断で温厚篤実で虚心坦懐で優しい目をしてヤラシイ唇をしていた。
そんな彼も、小学校に上がる頃には小学校に通おうとしていた。
買ってもらったばかりのランドセルに筆箱と教科書とノート、それからマッチとセロリと電卓と単四電池2本と道端の草とガソリンと風とシャワーヘッドとフライドチキンの骨と味のなくなったガムと蹄鉄とユンボとガッデムを入れて登校した。
可哀想なことに、彼の席は教卓の真ん前。つまり、居眠りやお絵描きやシャーペンの分解、はたまた浣腸や飲み会やロボットダンス、それにパレードや炊き出しやゲーム開発もできない状況に追い込まれていた。
授業だけを一日中、ただ延々と繰り返さなくてはならない環境にいたのだ。
そんな彼は我慢に我慢を重ね小学校を6年間通い、ついに中学校へと進学した。
しかしこれまた運の悪い事に彼の中学の担任は非常に厳しい先生で、地元でも有名なスパルタ兵だと言われていた。
「こら原澤!ディスイズスパルター!」そう言いながら原澤の腹を蹴って深めの穴に落としたりする教師だった。
穴に落ちた原澤は全身を強打し、身動きが取れない状態となっていた。何本かの骨も折れたらしく体温がどんどんと下がっていく。このままでは確実に死ぬ。それは嫌だ。
嫌だ嫌だ、腹も減ったしこのまま死ぬのか…?そんなの絶対に嫌だ…!と思っていると原澤の背中が何やらうごめいた。
「こ、これはなんだ!マジで!」
左右の肩甲骨あたりがうごめき、膨らみ、やがて皮膚が裂け、中から白く光る大きな何かが姿を現した!
そう、それは魚肉ソーセージだった。神からの贈り物だ。神は原澤に、「誰かしら助けが来るまでこれを食べてなんとか凌ぎなさい」と魚肉ソーセージをくださったのだ。
しかし食べ盛りの原澤には魚肉ソーセージだけでは腹の足しにもならず、もっと食べたいと欲が出てしまった。
しかし神はそんな原澤を見捨てなかった。原澤の背中からありとあらゆる食べ物を出してくれたのだ。
魚肉ソーセージをはじめ、パエリア、ゴマ和え、ナムル、寿司、ういろう、魚の煮付け、エビフライ、カモのソテー、茶碗蒸し、和紅茶、ババロアなどなど、腹一杯になるくらいの食べ物を出してくれた。加えてなんと健康サプリメントまで出してくれた。お手拭きタオルまでもだ。
原澤はこれらの飯を食べ、助けが来るのを待った。
しかし待てど暮らせど一向に助けは来なかった。
いくら声をあげて助けを求めても誰も来ず、しかし背中から出てくる飯の数々で空腹だけは満たされ続けている。
助けを求めて穴を這い上がっては落ち、大声をあげては喉が枯れ、その疲れから空腹になると背中から出てくるありとあらゆる食べ物を食べる…。
こうして原澤は何日もその穴にいた。
しかし原澤はさらに欲深くなった。食べて飲んで叫んでばかりの生活に飽き、音楽や演技などのエンタメが欲しいと感じ始めたのだ。
すると神はまたもや快諾してくれ、原澤の背中から楽器を出した。
ギロ、シンセサイザー、カスタネット、オーボエ、ティンパニー、マイク、ツーバスのドラムセット、フライングV、アンプやエフェクターまで出し、穴の中はちょっとしたセッション部屋のようになった。
それから演技というニーズも叶えた。なんと背中から俳優そのものを出し、画面越しではなく実際に目の前で芝居やミュージカルをさせた。
それから原澤は飯、音楽、演技ときて、さらに要求した。仕事だ。
人間仕事をしなくては腐っちまうと思った原澤。実はこの時すでに20代後半に差し掛かっていたのもあり、他の同級生が次々就職していた時期も過去となり、焦り始めていた。
そして神はやはり、原澤に救いの手を差し伸べた。原澤の背中から一台のパソコンを出した。
サラリーマンだ。原澤はこのパソコンの出現でサラリーマンになる事を決めた。あとはオフィスさえあれば…。
それすら神は叶えた。なんと穴の広さを倍にし、その一端にオフィススペースをつくった。このスペースでパソコンをカタカタいじって…
あとは自分を評価してくれる存在つまり上司と、自分が叱咤激励し育て上げていく部下も欲しい。原澤の背中から数人の人間が出現した。
給与の為に会計士と、あと銀行も必要だ。原澤の背中からまたもや複数の人間と、銀行のATMが出現した。
それに妻も欲しい。金を稼ぐ目的が必要だ。原澤の背中はもちろん彼の妻を出した。
結婚式を挙げたい。もちろんその通り、教会と牧師が出てきた。
…こうして原澤ワイファイじゅんぺぇはあらゆる欲を全て背中の中から具現化していき、数億年後。
80歳くらいの時に永遠の寿命を願った原澤はもちろんそれを手に入れ、数億年経った今現在も生きている。
そして穴の広さはすでに地球を覆うほどの広さとなっており、数千万年前に出現させた大陸や海がそこらに広がり、その中にあらゆる国が存在していた。一方では大都会があったり、一方では緑豊かな大地が広がっていたりと、まさに第二の地球がそこにはあった。
それら国々にはほどよい人口の人々が暮らしており、衣食住何一つ不自由ない生活を営んでいた。
原澤は今、人々の願いを叶える永遠の象徴神として祭壇に祀られており、資源や富が誰1人漏れなく平等に与えられる、戦争や争い事のない世界を創造しつづけている。
原澤ワイファイじゅんぺぇ。彼は、新世界の創造主となったのだ。
「次はそうだな…。世界中の人の、心からの笑顔が欲しいな!」


第2章「寒波と季節変化の相関性」
無限機関を作る事は、実は誰にでもできる。
今これを読んでいるあなたも、まさに今それが可能だ。
何を使うかというと、ベロだ。ベロを2つに折りたたんでみてほしい。
すると不思議な事に今あなたが感じている味は、ベロを味わっているベロを味わっているベロを味わっているベロを味わっているベロを味わっている…
このように無限機関に陥るのだ。
こういった無限機関は、実は今のように、捉え方次第ではあらゆる所に落ちている。要は我々人間が馬鹿馬鹿しいと思って拾わないか興味を持って拾うかの違いなのだ。
無限機関を利用するとどんな利点があるか。例えば、エネルギーを無限に使うことができるだろう。その価値が下がると電気や水道ガス代がかからない世の中を作り出せたり、無限に食べ物を生成すれば誰1人空腹感に悩まされる事のない世の中になる。無限機関とはつまり救世主なのだ。
無限機関の開発・発展だけで世界をより良くできるのであれば、私は残りの人生をこれにかけてもいいと思った。
無限機関を見つける事。これたったひとつが私の人生の目標となった。
そしてその第一歩として私はとある場所に来た。
それは近所のネットカフェだ。大学時代によく講義をサボって遊びにきていた。
このネカフェで出るコーヒーは格別だ。素材にとことんこだわっている。
バチカン産の新品種ケッペツォン。これをタバコ(わかば)の火で1粒1粒に丁寧に熱を与え焦がし、ミル機にかける。
それだけでなく熱湯にもひと工夫を凝らしているらしく、店舗の前に滴り溜まった雨水を溜めて沸騰させ、雑味を取り除いた後に水道水とブレンドされるのだ。
この雨水を使う事には大きな意味がある。ネットカフェを出入りする人間は、少なくともその体にWi-Fiの電波を浴びている。Wi-Fi帯電した体で外に出た瞬間足裏からWi-Fi電波が地面へと移る。その地面に溜まりに溜まったWi-Fi電波が、貯まった雨水と混ざり合っているというのだ。
そんな雨水を沸騰させると雑味が濾されて純度100%のWi-Fiが水中に残る。
そして水道水。これにも意味がある。先も述べたWi-Fi電波は、その名の通り波だ。
その波が水道管を震わせ、そんな水道管を通った水が出てくる。
つまり、水道水そのものがWi-Fiの恩恵を受けているのだ。
こうしてこだわり抜かれた豆・湯で抽出されたコーヒーは、コクがあるのに雑味がなくて美味しい。
この1杯のコーヒーに関して世界中の専門家が、以下のように評価をしている。
「世界中のバリスタが、そのあまりの出来栄えに膝から崩れ落ちる。」
「この色を見てみろ。黄金色いやオーロラ、いや虹、いやジュエリーいや、晴れ渡った空、いや大自然のありがたみ、いや、コメルツ、いやそのどれでもない。言い表しようの無い色だ。」
「国中で頑固だと話題の私が、金輪際コーヒーを飲まないと決めた直後にこのコーヒーを目の前に出してみろ。あんたが瞬きした直後、それはもう飲み干されているだろう。」
私はこの至福の一杯を注文し、待った。
しかしあいにく今日は晴天。コーヒーの抽出には雨水が必要だ。
私はネットをしながら待った。とにかく待った。
何分待っただろう、空は雲ひとつない晴天。もはや雨など降る様子もなかった。
いつしか私は喉の渇きに耐えかね、他の飲み物を注文した。麦茶、ジュース、コーラ、一番出汁…。
れにそ空腹だ。ナポリタン、サンドウィッティ、ラーメン、素麺、お造り、高野豆腐、イチボ…。
しかしメインはコーヒーだ。これを飲まなくては無駄足無駄金。私は飲み食いしてはネットをし、時間を潰していた。
ネットで天気予報を見てみると、今週いっぱいは間違いなく、天気予報士の命と全財産を賭けて、晴天が続くとの事だ。
それなら居座るしかない。私は至福のコーヒーを飲みに来たのに、他のものを飲食だけして帰っては無駄金だ。
そう心に決めた、その時だった。

ポツリンヌ…

何やらみずみずしい音がきこえてきた。
最初は一つの音だったが、それは集結するかのように二つ三つと増え、やがてそれはザーーという大きな音となった!
これは、雨…ではなく館内放送スピーカーのノイズだった。
「ただいま館内放送スピーカーのメンテナンス中です。ノイズが走ったせいで雨が降ったと大喜びしたお客様もおられるでしょうが、残念でした。スピーカーです。」
私は落胆しながらも、さらに飲み食べた。
食べれば食べるほど太っていき、だんだんと腰が重くなってきた。立ち上がるのもやっとだ。
それでも雨は降らず、私の空腹喉渇はコーヒーとは別の物で満たされていく…。
もう手持ちの金も底をつきそうだ…そうだ、クレジット支払いをしよう。
手持ちがほとんど残っていない今、運ばれてくる料理や飲み物はクレジット支払いする事にした。
そしてそのまま数日、数週間、数ヶ月と過ぎた頃。
「どうしたという事だ…ここ数ヶ月雨が全く降らない。この店でもう100万くらい飯に使っているというのに、目的のコーヒーにはまだありつけていない…。」
そのとき、私のケータイに電話があった。
「もしもし足皮様。足皮様がご利用の弊社クレジットカードが、口座の残高不足で引き落としができません。至急ご用意いただけますでしょうか。」
私は無一文となっていた。1杯のコーヒーを嗜む為に、銀行口座から金を使い果たしてしまったのだ。
しかしその程度で諦める私ではない。飲み食いしてはネットの生活を何ヶ月もしている。今となっては100kgを超える巨漢になったので、それまでは着られたがサイズが入らなくなっちまった服を売り、少額ながらも金を手に入れた。これを口座に入れれば、再びクレジットが使える。
こうしてパンイチのデブになった私は再びネットカフェに入り浸り、天気予報を見ては外を眺め、いつかきっと来るであろう雨に思いを馳せる生活を続けた。
そしてついにその時がきた。

ピチョポツリンヌ…

「あ、これは!」
私は感嘆の声をあげた。
雨だ。雨が降ってきた!
ついに降ってきたのだ!私がこのネットカフェに入ってから、実に13年と9ヶ月の月日が経過していたが、ようやく雨が降った。
「わーいわーい!雨だ!」
喜び飛び跳ねたその時だ。
私の尻汗を吸い込み朽ち始めていたフローリングに400kgを超える巨漢が着地した瞬間、轟音をあげてそれは大穴を作り出した。
下の階は厨房。運悪く、コーヒーの素材の仕込みをしていたところに私の体が落下した。
「ああ!豆とかお湯とかが!」
シェフの嘆きの声があがり、私は全てを悟った。コーヒーの素材を粉砕してしまったのだ。
「お客様、もうおかえりください。14年近くここに住んでおられるのである程度は譲歩してきました。しかしこればかりは許せません。14年ぶりの弊社のコーヒーという事で、多くの方がお待ちだというのに、こんなことをされてしまっては。」
「いや待て、私だってそのコーヒーを飲む為に14年ほどここに住んできた。なんとかしてくれないか。」
「いえ駄目です。ダメダメダ〜メ、ダメダ〜メ」
「そこをなんとか」
「ダメダ〜メ」
私は嘆き悲しみ、これまで住んできた時間と支払った金額を思い出し絶望した。
人生の貴重な14年間と2500万円を超える出費。それは自らを肥やし、結果無駄にしてしまったのだ。

私はネットカフェを追い出され、途方に暮れながら帰路についた。
確かこの辺が家…いや、違う。いや違くない…なんなんだこれは!?
なんと私の家の一階がカフェスペースになっていた。
「おかえりなさい、アナタ」
妻のじゅんこがエプロンをして出迎えてくれた。
ああ、なんという事だろう。私が留守の間妻はカフェをオープンしてくれていたのだ。
「ああじゅんこ、お前ってやつは…。」
「今コーヒーを淹れますからね。」
「ああ、ああ。」
私は、止まらぬ涙って崩壊したダムみたいだなと思いながら涙を流し、迎え入れられた我が家で、愛する妻が淹れた1杯のコーヒーを嗜んだ。
これだ。私は、これが飲みたかったのだ。
世界中から称賛されるコーヒーでなくたっていい、愛する人が自分の為に淹れてくれたコーヒーであればそれは自分にとって最高の1杯じゃないか。
これこそが私の求めていた究極のコーヒーだったのだ。
「うふふ、あなたったら久しぶりに見たら随分太ったわね。砂糖は少なめにしますからね。」
「ああ、それでいいんだ。」
この味は、積み上げた14年と2500万円があったからこそ今味わえているのだ。
「あなた、14年間家にお金を入れてなかったんだから、しっかり働いてもらいますからね。」

こうして私は妻の経営するカフェ「ゴッサムべとべと」の従業員として迎え入れられたのだ。

ありがとうじゅんこ。ありじゅん。



〜あとがき〜
本の執筆をしているとよくこう言われる。
あなたの頭の中を見てみたい、と。
しかしどんな人類も頭の中は頭蓋骨と脳みそがあるだけで、個別で特段左右されるようなものはない。人によって色形が違うわけでもない。
だから私はそういう時いつも、頭の中ではなく思考の中と言いなさいと指摘する。
思考。これは実に面白いもので、「考える事」というのは脳内で何が起こっている事を指すのかいまだに解明されていない。
想像した、その映像というのは電気信号なのか。映像なんて表現をしたが視覚的物質でもない。
しかしながら我々は想像つまり思考することができるのだ。
本を書く上でこの思考は大変貴重な"源"となる。
景色を思い浮かべ、文字に起こす。これは脳以外には出来ない事なのだ。
そうして脳で書かれた文を、読者もまた脳を使ってイメージする。
つまり結論、文庫とは脳同士を繋げるコネクタなのだ。
という事はこうも言えるのではないだろうか。世界中の人間が誰1人漏れなく、同じ本を同じ時間に同じスピードで読んでいたとしたら、その瞬間世界はひとつになる、と。
私はそうなり得る本を書きたい。世界中の人に読まれ、世界中がひとつになり、あまつさえ私を神のように慕う、そんなキッカケとなる本を。
本書ギーヤギーヤは人間の弱さと意地が、実は表裏一体である事をテーマに書いたものだ。
昨今テレビによく出ているレッチョムまさこ司法長官や、コンビニ常連で一躍有名になったポピュリズムえりさんにも読んでもらったが、お二方とも首を傾げていた。くそめ!
足皮すすむ (2001年)

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