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対等に話せなくなる思いやりのフィルター*ガラスのハート

例えば何かの失敗をしたとして、誰かにそれを指摘された時に、
自分も充分に分かっていて、弁明のしようがなければ、
黙って相手の怒り(大抵は)が静まるまで、その言葉を受け入れるしかない。

その場合は、相手がただ感情を発散させたいだけなんだと知る必要がある。

「感情」というものは大抵は、相手があってこそ引き起こされる。

お互いが、お互いを探り合う必要が出てくる時もあるし、
それと知らずお互いを傷つけあうことに気が付かないこともある。

以前、スーパーボランティアの尾畠春夫さんが話していた、
「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉は心に残った。

懸情流水けんじょうりゅうすい 受恩刻石じゅおんこくせきと、
ブッダが提唱した考えと言われている。

尾畑さんの自分の生きた人生と、その経験からの教訓でもあり、
災害の被災者と話す時も、日常も、そういった態度なんだろうと思う。

不思議だけれど、
みな辛い思いをして心に傷がついているはずと想像される。

災害時特有の高揚感のあとに、心を病んでいるはずと想像される。

それらの想像から掛けられる言葉や、立ち居振る舞いは、
時に、まるで見えない棘のようにじんわりと効いてくる。

自分には理解できないし、分かってあげられないだろうと思って、
ひたすら相手の立場になるように、機嫌をそこねないように、
傾聴の立場をとる。

「そうなんですね」というように、相手の話す言葉に同意し、
「そうですものね」と反対意見を述べずにただ話を繰り返すことで、
「あなたの気持ちは分かってあげたいんです」という気持ちが伝わり、
その気持ちは「腫れ物にさわるように扱う」態度になる。

災害のあとなら、肉体的にやらなければいけないことがたくさんあり、
それは精神疲労にもつながる。

災害時は非日常が多くて、慣れることに神経を使う。

自分よりも家族や仕事や人のことを留意し、かといって、
社会的儀礼も欠かしたくないし、より多く考える時間と行動が必要になる。

ただただ忙しいから、静かに考えさせてほしいと思う。

だけども、それはただの日常の延長だ。

災害に合わなくても、想像の付かない忙しさや、
他人には想像の出来ない非日常に放り出される人は多いと思う。

どこにいても、どんな暮らしをしていても、それは同じことだ。

災害にあっても仕事が増えて喜ぶ人もいるし、
支援のイベントに出かけて楽しい人もいるし、
状況が違うだけで、同じように日常が続いているだけだ。

「辛いだろう、苦しいだろう」の思いやりが続いてしまうと、
消したくても消されない思い出は、さらに語れなくなる。

災害の被災者が何年経っても、
口が重くなるのはそういうことだと思う。

そのような優しい思いやりを受けつづけると、人間の力が無くなる。

人間本当に辛い時は話もしたくないので、ほっておいて欲しいと思うはず。

余計なことを考えたくないのだ。

だけれども、人は何かをした時に感謝を期待する人もいるし、
その思いを、自分自身の想像の中で、組み立ててしまう人もいる。

「いつまで、こんな乞食生活が続くのか」

仮設住宅住まいの時に、高齢者が吐き出した思いだ。

惨めな立場を感じさせられる。

感謝を常に述べなければいけない。

「故郷」をみんなで歌わされる。

それらを嬉々として喜ぶ人もいるし、
サービス精神旺盛な人もいるが、ほとんどの人は早く自分で立ちたいのだ。

日にちが経って、炊き出しボランティアにやってきた人の中に、
食べ物を恵んでもらいに並ぶ人たちに向かって、
珍しい外国のメニューを説明しながら、
「俺たちは来たくて来てるんだからね。
自分たちがやりたくて来てるんだから気にしないで」と、
ぶっきらぼうに話す大きな声の男性がいた。

どんな味の、どんな料理かは覚えていないけれど、
髭もじゃの顔と、クルンクルンパーマの、
白いTシャツを着たその佇まいと明るいお喋りは覚えている。

並ぶ高齢者たちは身構えず、顔がほころんで、
もしかしたら「面白い人」と、ただ記憶に残っただけかも知れない。

災害があると物流が滞り、それも仕方ないと諦める。

直後も走っていた郵便局の赤いバイクの、その色は希望の色だった。

思いがけず出逢った、ヤマト便の担当ドライバーさんに告げられた。

「引き受けないルールになってるけど、発送先で断られても、
『大丈夫と言われた』と押し通して、欲しいもの送ってもらって。
この辺の荷物は、今は全部〇〇のセンター止めになるんだ。
そこから先は、俺らが、避難所でも親戚のうちでも責任もって届けるから。
どんどん荷物送ってもらって。知ってる人みんなに伝えていいよ」

良かれという思いやりの想像は、時として的外れに誰かの心を弱くする。

どんな人も、ガラスのような壊れやすいハートを持っているけれど、
出逢う人の、その元気や笑顔の行動に照らし合わせて、
いつのまにか自分自身を探していくものではないだろうか。

人は、いつも誰かの行動する姿に力を貰い、
自分の持つ力で後につなげようとしていくのが、自然なあるべき姿と思う。






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