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伝統的工芸品と、時代の間に思うこと

めずらしく、自分の中でもやもやと考え続けていることがある。
いわゆる、「持続可能性」ということばを反すうしているこの頃。

私は京都の地場産業のひとつでもある、西陣織に携わって数年経つ。
2016年から父の下でこの仕事をはじめたので、今年で8年目くらい経つのかしら。

西陣織ははっきり言って斜陽産業となりつつあって、その拠点である京都の西陣エリアでもその機音が少しづつ聞こえなくなっている。

産業として十分に機能していた時代に、大きく分業化がすすんだこともあって、たくさんの業種のプロフェッショナルの技が凝縮しているのが、西陣織の世界。

多分、これはどの伝統的工芸品の業界でも同じなのかもしれないけれど、みんなそれぞれの持ち場がある。

デザインする(設計する)人、紋図を描く人、紋を掘る人、糸を染める人、糸を作る人、機を動かす人、機に掛ける糸を継ぐ人(経糸を繋ぎなおす人)、経糸を成経する人、機を作る人、機の調整をする人、緯糸をとばす杼(シャットル)を作るひと、お絹の傷をなおす人、引き箔を切るひと

などなど、たくさんいらっしゃる。

それぞれのプロの仕事が結集して各工程を通り作り上げられた布地を総称して、西陣織とよばれている。

ちなみに私の主な仕事は、一番最初に書いた、デザインする(設計する)人であり、最近ではプロダクト制作から販売までてがけている。

では、西陣織の業界はどうしてこんなにも分業化が進んだのかといえば、産業として大きくなった時に、各工程ごとに同じことをやり続ける方が、技術は上がるし効率が良いから。

けれど、この分業化が今私たちの”持続可能性”に揺らぎを与えているともいえる。

というのも、
ものを作り続けるなかでしか継承できない職種や、道具や、機材などがあって、それらが欠ければ作れない素材があり、表現できない技術があるから。

「以前はできたけれど、もうそれと同じものは作れません」

そういうセリフをよく聞くし、いよいよ、私たちの口からも、そういうセリフを言わざるを得ない状況が出て来始めている。

話は少し飛ぶけれど、着物や帯の生地はすごい技が集結しているだけでなく、和裁の直線断ちという縫製のやり方だから、糸を解いてもたいらな布となるスタイル。

なので着物の業界では、リユースやアップサイクルやリサイクルが盛んで、一枚の布地が何度も生まれ変わり活かされていく。

そのこと自体は素晴らしいことには違いない。

けれど、そのように古い布地を使えるのだって、ほんの数十年間。

お絹は自然素材なので、経年劣化も当たり前にする。
そして、生地はどんどん風化して脆くなっていくもの。

私が危惧しているのは、その数十年先にはきっと、それらを生産するための技術すら無くなっているかもね、っていうこと。



新しいものの中にはかなりお安いものもあるけれど、それらはほとんど、海外で作られている(海外に技術が流れている)ものや、一番の川上に位置する職人さんの工賃を削って作られているもの。

最近では、若い職人さんがほとんど育っていない(賃金が安い上に仕事が厳しい)から、それらの素材を生み出してきた技術そのものが潰えてしまいそうな段階。

今の若い人たちの既成概念の中に、着物は高いものという認識を植え付けたり、消費者が本当に「着たい」と思う意欲を削いでしまったのは、その業態にも責任の一端があるように思えてならない。

そして、「着物はあんなに高いのに、どうして職人さんの生活は苦しいの?」
という素朴な疑問がここに出てくるように思う。

なぜそんなことになるかというと、これまでの業界の業態が、川上(製造)から川下(小売り)までの間にいくつもの仲介業者さん(問屋さんなど)が入り、川下にいくごとに値段が釣り上がっていくから。

不透明な値つけをして、”値引き”を前提で販売するものだから、ついている値札がいまいち信用できない販売方法になっている。

だから、衰退するのは仕方ない、身から出たサビね、って思う一方で、
職人さんたちの素晴らしい技術が潰えていくのを指を咥えて見てるのが、私はどうにも忍びない。


だから、新しい売り方や新しいお客様を開拓していくことで機を動かし、職人さんの技術を明日へ、そしてその先へと繋いでいくことができるように、新しい動きを作っていく。

そんなことが、西陣織もしくは京都の伝統的工芸品の世界に身を置いて、私が”やりたいこと”や"やっている"ことの根幹にある。

そう思いながら行動した結果、実を結んでいることもたくさんあるけれど、もうどうにもならないところまで来てしまったこともヒシヒシと感じている。

父自身も、後一年ほどは機を持って動かしていくつもりみたいだけど、私には到底、父と同じことができるようには思えない。

たぶん、今のままでは私が機を受け継ぐことは難しい。

終わりを見据える形でしか、本当に見えてこないことってあるんだ。

西陣織の持続可能性を考えた上で、残された時間に、私ができることってなんなんだろうって、考え続けている最近。

伝統的工芸品を持続可能にするあり方‥。

競争があって切磋琢磨している時が過ぎた後、職人が弟子を取ることができなくなった今の時代には、
「その技術を公にしていくこと、そのやり方をシェアしていくことしかない」
先日、同業者とお話をしていて、ほんとそれしかないねっていう結論に至った。

いつでも誰でもがその技術に触れられる形にして、残しておくことが、いつか技術継承につながる一筋の希望の光となるかもしれない。

だから、後に続く人へ、何かの希望となるコンテンツを作って見たいと思う。

こちらのノートでも、これまでは遠慮して書かなかったことも多かったけれど、この先は、私が知っていることを躊躇なく全部書いていくつもり。

いつか、後に続く人へと届くことを願いながら。

フランスからスペインに抜けて進む、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼旅へいつか出たいと思っています。いただいたサポートは旅の足しにさせていただきます。何か響くものがありましたらサポートお願いします♪