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わずか数センチの段差が私の宇宙だった


なぜ私はここにいるんだろう。

ここ数年、よくそう思っていた



ステージが大好きだった

小学生の頃、初めて人前でステージに立ち、"ずっとここにいたい"と思った。"ここで暮らしたい"とすら思った。
今思えば、そんなふざけてて面白い考えが自分の中にあったことに驚く

きっかけは自分がステージに立った事だったけど、"ステージ"というもの自体が大好きだった
少しばかり力が抜けている誰かのリハーサルでさえも楽しく見ていた。
時に悪魔が住んでいるとされるあそこはいつもいつもどこから見たって輝いている

その華々しい数メートルの段差に魅了され、小学生や中学生の頃からグラミー賞や海外のミュージカル、バレエ団の映像を母のPCでかぶりつく様に見る少女だった
その姿を見て、母は様々な映像を録画して見せてくれたし、「グラミー賞はレッドカーペットから見るといいよ」と教えてくれたのも母だった。
年に一度、誰でも出れる発表会で大きなステージに立てる機会があって、それが1年間ずっと楽しみだった。

同級生とは全くと言っていいほど話が合わず、"洋楽かぶれ"やら"カッコつけの痛い子"やらと馬鹿にされ、大好きだったNicki Minajの写真をたくさん挟んだ下敷きは変な奴だと証明する道具としてよく奪い取られた。
確かにそれはすごく嫌で悔しかったけど
それでも幸せだったのだと思う
本当に心から音楽とダンスとステージが大好きだったから、自分の好きなものを一瞬たりとも疑わなかった
ほんの少しだけ、そんな小さな自分を誇りに思うし、母には未だに感謝を伝えている。


大人になってからは、アンダーグラウンドの世界に魅了された

カルチャーの深み、人の繋がりの大切さと有り難さ
暗く狭い空間で巻き起こる様々な会話とムーブメント
ほんの数センチの段差のステージや、たまにテープが四角く貼られていてその線に沿って立つ人の囲いでできる段差のないステージもあった。
その小さな世界は限りなく大きな宇宙のように思えた
流石に、"ここで暮らしたい"とは思わなかったけれど
DJタイムにはステージにのぼって音楽とお酒に酔う私は宇宙でいちばん楽しそうだったと思う。

ステージの存在に魅了され、ステージがある空間に生かされていた私は
ステージの裏側も経験してみたし、時にステージを作る側、つまりイベントを運営する側になってみたりもした

その過程で、スポットライトが当たらない裏にいる人の苦労や、ステージに立てなかった人のドラマを見ることができた
だから、誰かのステージを支える人やショーを作り上げるすべての人を心からリスペクトしている。私がグラミー賞をどうしたって批判できないのはその苦労を身をもって知っているからだった
前置きをすると、もちろん全ての人が裏側を知るべきだと思っている訳ではないし、多くの人にとっては知らなくていい事のひとつだとすら思う。
ただ、去年"BTSは受賞しなかったのに最後まで引っ張った"と批判されていた時は、事態そっちのけでタイムテーブルを作る人を不憫に感じていたし世界中から注目されるショーを作り上げる人たちのプレッシャーや気遣いを想像して胃が痛くなった。


思えば私は一貫して、"ステージとショーの存在"が好きで、ステージに立って輝きたいと思っていた訳ではない。
とにかく"ステージ"か、"ステージに立つ人"に関わる仕事がしたかった。
もちろんずっとステージに立つ仕事を続けていける人生は最高だとは何度も思ったけれど、そこにはもの凄い数の道があり行く先々に限りなく大きな壁があって、一歩間違えばダンスや音楽を嫌いになってしまうと怖くなった
その時は、ステージに関わって生きていけるならなんだって良いと心から思っていた。


そんな事を漠然と考えながら好きな事を好きなだけしているうちにパンデミックが巻き起こり、あっという間に私はステージを直接見ることも、もちろん立つこともできなくなってしまった。

思い出がたくさん詰まったクラブが次々潰れてしまい、大きなステージがあってたくさんの人の夢が詰まった箱でさえも経営が苦しそうだと噂になって
有名なアーティストも観客の前でステージに立つことが出来なくなって、客席が空っぽのステージや綺麗なセットで動画配信されるショーがSNS上に溢れ、少し悲しかった。


そんな状況を横目に、私は2020年に生きていくための大きな選択をして、結局家からほとんど出ることがない2年間を過ごしている。


なんで私はここにいるんだろう。


冴えない毎日を過ごして、冴えない1日だったと肩を落として
1、2年かけて死ぬ思いで手に入れた職は、誇るべきものなのに
ステージがあるあの世界が全てだった青春の日々は美しい思い出であるべきなのに
私を喪失感の渦へと導く記憶になってしまった。

不安定なものを好み、刺激を求め全国を駆け巡っていた青春が夢の様に思えるのに、昨日のことにも思える 
もしかしたら、昨日見た夢だったのかもしれない

音楽とダンスを愛し、ステージに魅了され、キラキラ輝く宇宙がすべてだった私は一体どこに行ってしまったんだろう

"私、ここで何やってんの?"と勝手に思っているその気持ちが自分を惨めにさせて、"もっと惨めになりたくないから"と誰かのステージやダンスやパフォーマンスを見たくなくて、過去にへばりついてみていた華々しいステージすらなんとなく見たくないと思っていた。


ただBTSは違った。
彼らを見ているときは、"BTS"が好きだからステージを見て
感動して、また見て、心から幸せを願って、彼らの夢を応援している"ただの私"でいられた。
彼らを見ていると、惨めになるどころかとても元気付けられて、誰かの夢を応援して見届ける事の尊さを初めて知ることができた。

ステージに関わっていても"ステージ"の存在よりも"私"が先立ってしまい、せっかく舞台裏で人のドラマを見ていたのに自分の価値観や感性に必死になり過ぎて、いつの間にか目に映る宇宙が霞んでいたのだと思い知った。

そして、昨年BTSのおかげで最初の時点に戻ることが出来た

昨年11月、AMAs(アメリカンミュージックアワード)がオフラインで開催された。私が大好きだった華々しいステージの数々がそこにあって、涙を流した。

Silk Sonicの最高のオープニングから始まり、いつもは派手でイケてる衣装をまとっているのにフォーマルなスーツで登場したMåneskin、ステージ上にできたお花畑の中でギターを弾いていた歌姫Olivia Rodrigo
そしてなんと言っても、会場のフィーリングをすべて巻き込み自分たちの世界をステージ上に作り上げ、Butterの黄色が一気に紫に染まる演出でファンに対する愛を感じた、BTSのステージ

あんなに暗い気持ちでアワードを避けようと考えていたのに、図々しくも私は、ずっとこの日を待っていたのかもしれないと思った
小さい私の様に、かぶりつく様にテレビに向かっていた。
様々なアーティストの個性がステージ上に広がり宇宙になる
そして観客がいる。これが重要だ
しばらく感じていなかった興奮が、大きな波の様に押し寄せた

そして、先日のグラミー賞
あの日はいつまでも私の記憶に残るであろう、大切な日になった。

映画を見ているのかと思うくらい人生と愛を感じたLady Gagaのステージ、帽子を後ろに被りラフな格好でピアノから始まったJustinのステージは、バンドへのリスペクトを感じて感動した
そして、グラミーの現場で初めて自分たちの曲を披露したBTSは、『こんなの見たことない』と世界中の人が思うのではないかと感じて胸がいっぱいになった。

水を得た魚のように、録画した映像を何度も何度も見て、ふと思った

昔は純粋に見る事が大好きだった華々しいステージ
いつしか直接ステージに関わる様になって、"私"と"ステージ"の関係性は曖昧なものになっていたのかもしれない。

そこにいてもいなくても、私はショーが好きでステージが好きだったのに、いつからこんなに欲張りになったんだ?そもそも、欲張りと言う表現すら違うんじゃないか?
好きなものとの関わり方は1つでは無い。
観客がいる事が重要だと思いながら、ステージに関わる事をやめた私が観客として泣いたって、私の人生にとって恥ずかしい事では無いはずだ

ぼんやりとこう思った

「たとえそこに私がいなくても、映像だったとしても、誰かの人生を乗せたステージを見ることができるなら、私は幸せに生きていけるかもしれない」



もしかすると、BTSが出演しなかったら昔から見ていたグラミー賞やAMAsを「見たくない!」と避けて見なかったかもしれない
そんな自分を想像すると、とても滑稽で昔の自分に申し訳なくなる。

だから、私はBTSに一生感謝しなければいけない
ステージやパフォーマンスの存在は、私にとってかけがえのないものだったという事実を、危うく忘れるところだったのだから。


すごく大袈裟に聞こえるけど
その数メートルの段差が私の癒しで、何よりも私を興奮させ、何よりも泣かせる宇宙だったのだと改めて気付かされた。



ステージは、ショーは
立っている側の人生を変えるけれど、見ている誰かの人生をも変える力がある

小さな私が夢中になった数メートルの段差も
若々しい私が生かされていた数センチの段差や段差がないステージも
誰かの夢で誰かの希望で誰かの癒しなんだ
「エンタメが無くても人は生きていける」なんて、絶対に有り得ない

少なくとも私は、ステージが無くても死なないけど
世界のどこかにステージがあるから生きていける


ステージに立つアーティストとダンサーや、ステージの裏でステージを作り上げる全ての人が、窮屈な制限がなく楽しめる最高のショーを作って屈託のない笑顔で輝ける日が待ち遠しい。


そしていつか私も、またステージに関わりたい

小さな私と同じように、大人になった私も再びステージに夢を見ている。




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