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親の障害受容

東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターが主催するインクルーシブ教育定例研究会。

https://www.p.u-tokyo.ac.jp/cbfe/

月に1回、オンラインで開催されていて、毎月参加しています。

1月の研究会のテーマは「子どもの「障害」を受容するとはどういうことなのか-保護者・教育者との対話を通して」。

金沢市で「ひまわり教室」という障害児通園施設を運営してきた徳田さんのお話を伺いました。

ひまわり教室は、今年の6月で50周年を迎えるとのこと。
障害の重い子どもは、養護学校にも入ることができなかった時代から、子どもの育ちの援助と共に親への援助をしてきたそうです。

その営みは単なる援助というより「共に生きる」というニュアンスの強いものであったように思います。

徳田さんのお話から

徳田さんのお子さんがダウン症と診断された時のことから、ご自身のゆがんだ価値観・差別意識に気づいたこと、ひまわり教室の立ち上げから現在にいたるまで、徳田さんの経験にとても率直な気持ちを添えてお話してくださいました。

徳田さんは親の障害受容は3つのレベルに分けられているとおっしゃっていました。
これがとても興味深かったので、簡単にではありますが紹介します。
(徳田さんは、これまでお母さんと関わることが多かったことから、お母さんの障害受容という目線でお話されていました。)

障害受容レベル1
・子どもとの心のつながりを感じる
・子どもの笑顔に救われるなど、情緒的側面が強い
・1対1の関係の中での心の動き
・主に家庭内での話であり、外の世界とは隔たりがある

我が子に障害があると知らされてから、激しい絶望感や恐怖・不安・自責の念・悲しみ・怒りなど、さまざまな感情があふれ出ていたお母さん。
「世間に対して恥ずかしい」という感情も湧いてきます。
「私の将来に幸せなことなど何一つない」と思ってしまう人も多くいるようです。

ですが、レベル1では、障害のあるわが子へのお母さんの感じ方や思い方に変化が見られるということです。

子どもの笑顔を見て愛おしく思えたり、救われたような気持になったりすることが、多くのお母さんたちにみられます。
また、「お母さんが安心して心を開くことができ、信頼できる人」に出会うことで、自分と子どものことを見つめ直すことがあるようです。

障害受容レベル2
・世間の中へ入っていく(お母さんとしては、戻っていく)
・世間は常識と慣わしの世界、人権や差別といった問題には無頓着
・親も人権などの問題に目を向けるまでは到らない

障害児の親となった人は、自分たちが世間から落ちこぼれてしまったと感じることが多いとおっしゃっていました。
友人との連絡を断つ、職場にわが子のことを言わない、町内会の行事に出ないなど、さまざまな形で、自分の方から世間との間に壁を作ってしまいます。
世間との壁を乗り越え、親子で世間の中に入っていく。
これが障害受容レベル2です。

徳田さんの主観ではありますが、という前置きがありましたが、レベル1からレベル2への移行に影響を与える要因は、以下のようにいくつかあるとのことです。

①国の障害者政策(特に福祉・教育)と世間の障害児・者に対する常識や慣わし
②夫をはじめとした家族の人たちの姿勢
③お母さんが安心して自分を見つめることができる環境
④受容的雰囲気の中で見せるわが子の生き生きした姿
⑤レベル1やレベル3で生きている人たちとの出会いと関わり
⑥お母さん自身の個性・特性
⑦子どもの特性(障害の種類や性格傾向など)

様々な要因が絡み合って、お母さんの心の変容に影響を与えるとのことです。

障害受容レベル3
・社会全体は、国や自治体の制度や施策を基本として動いていく
・親は障害のあるわが子を一人の個人として大切にし、その子と共に生きる
・差別や人権の問題にも目を向けながら生きる
・「変える人」「創る人」として生きる

私はこのレベル3の話を聞いて、ハッとしました。
まさに、私のことだと思ったのです。

私は次男のことを障害児とは思ったことがありません。
障害児と思いたくないとかそういうことではなく、上手くは言語化できませんが、次男は、よりよく過ごしていくうえで必要なサポートをその都度受けながら生きているといった感じです。

ですので、そもそも「親の障害受容」については、障害を受容するとはどういう感覚だろう…?と思っていた部分もありました。

でも、知らず知らずのうちに次男と向き合い、自分を見つめ直し、障害受容をしていたんだと思います。

障害のある子を権利の主体として尊重し、その子と共に地域の中で生きる。こうなると障害のあるわが子は、新しい社会を創っていくうえで相棒のような存在となっていきます。ここまで来ると、わが子の障害を知らされた時の絶望的な思いやみじめな思い・不安などは影を潜め、望ましい社会を創りたいという積極的な姿勢が前面に出てくるようになります。たとえ世間の常識とされていることであっても間違っていることは間違っていると言えるようになります。その動きが世間の常識や慣わしを変えていく場合もあります。レベル3に達した人が地域(世間)に入っていき、地域を変えていく。そんなことが起こります。

徳田さんのお話から

私は、次男と共に生きているんだと改めて実感しました。

過去の記事にも書きましたが、私は子どもを育てるというよりも、子どもたちと一緒にこれから生きる未来をよりよくしたい、楽しみたいと思っているし、思いたいです。

研究会の最後に徳田さんは、「社会を「変える人」より「利用する人」「消費する人」として生きる人が多くなったように思います。」とおっしゃっていました。

私は、消費する人ではなく変える人でありたい。

最後に、徳田さんのお話で印象に残った2つの言葉を紹介します。

「僕はダウン症の息子をひまわり教室には入れなかった。地域で生きてほしかったから。」

「ひまわり教室を続けて50年、障害児だけを集めて過ごさせていることにずっと矛盾を抱きながら生きている。作業所もつくっている。本当はよくないと分かっている。誰もが通える保育所などを作れたらよかったが、僕の力量ではできなかった。だから、ひまわり教室で過ごした後に、必ず地域(地域の学校)に戻すということを意識して取り組んでいる。」

これだけ長い間、障害児が地域で生きることについて考えてきた方でも、共生社会を実現することが難しいのだと思い知らされました。

ただ、この50年間で障害者に関わる国の法律も変わってきています。
世間の常識や慣わしも変わってきていると信じたい。
もし変わっていないのなら、私が伝えていくことで変わることはあるのだろうか?

そんなことを考える日々です。


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