アワイマ ハザマ/間間 間

豊かな社会を目指して 建築の論考のみ

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最近の記事

建築のパーツ力(仮)

急遽、空いた時間ができ、建築の情報量を語る方がいたので、推察途中の自論でささやかに返答しようと思う、 現代の街中が没場所的な所以は「パーツ力」の低さにある。 「パーツ力」とは、仮の呼称であり、一つの建築を作り上げるための異種の素材間における関係数である。 例えば、一般的な住宅において、構造体に下地材を貼り、壁紙を貼る。外壁には、防水加工を行い、外壁を貼る。窓枠には冊子があり、あるところには、面格子や庇が設けられる。現代の住宅は、これらが規格化された部材であり、一つの建築の構

    • 建築の芸術性

      建築は、日常に根付くものだ。 建築は、社会のためのものだ。 建築家の思うように作ることを非とする考えがある。 ポストモダン期に作家性と揶揄されたことで 設計者はいい面並べて自分の作品を正当化しているようにも感じる。 確かに、意味のわからない「モノ」は好めない。 しかし、建築空間の体験の中で、心躍らされることも多分にあるはずである。 建築が芸術であるべきとは言わない。 しかし、合理性利便性経済性を念頭に置いてしまったらあんなに大きな「モノ」が街に蔓延るようになる。 街中

      • 勝ち組の理想社会

        将来、AIが人の代わりになる時代が来る。 もしくは、現在、組織依存によるリスク分散のためのシェアリングエコノミーの思想もある。 今後、人は文化的に決められた時間的のない時代になるかもしれない。 しかし、その思想者達は勝ち組のような気がする。 リンカーンの標語をなぞるなら 「勝ち組の勝ち組による勝ち組のための社会思想」である。 勝ち組による排他的思想であると思える。 確かに目指すべき理想社会の方が美しくそして強い。 私の友人は週6の朝から晩までのオーバーワーカーである。

        • ある仮定と没場所性とある発見の提示

          まっすぐな道で下校中の子供たちが真っ直ぐとは言えない歩きをしてることを目にした。 ある仮定として、 子供が認知している世界は、狭いとする。 子供の歩くスピードとある仮定の関係は、認知できる世界の狭いため、興味の対象がミクロな場所に存在する。 つつじのような植栽、そこにいる虫、落ち葉、道端の石ころと言ったミクロな環境因子で遊ぶことができるのである。 ベンゼルとグレーテルが白い小石やパンの屑を落として目印にいているのもある仮定を説明づけている。 ある仮定の続きとして、

          学問としての建築

          建築学とは何か。 様々な学問を越境して思考される。 工学。芸術。人文学。文化人類学。哲学。生態学… 最後は、かたちを提示する。 かたちによる様々なはたらきを期待する。 学問としての建築とは何か今一度考える。 一つの問いにあたる。 建築学において、解決すべき最大の難問とは。 数学には、いまだに解けぬ問題がある。 物理学には、未観測の事象の中に問題がある。 生物学には、生命の起源を探る問題がある。 理系的な学問には、主題とも言える最大の問題を解くための小さな進歩が日々繰