勝ち組の理想社会

将来、AIが人の代わりになる時代が来る。
もしくは、現在、組織依存によるリスク分散のためのシェアリングエコノミーの思想もある。

今後、人は文化的に決められた時間的のない時代になるかもしれない。

しかし、その思想者達は勝ち組のような気がする。
リンカーンの標語をなぞるなら
「勝ち組の勝ち組による勝ち組のための社会思想」である。

勝ち組による排他的思想であると思える。

確かに目指すべき理想社会の方が美しくそして強い。
私の友人は週6の朝から晩までのオーバーワーカーである。 
技術が進歩した社会では、高効率化し結果として担える仕事の数、量が増える。結果として仕事は減らない。
会社のルールにより、週1の休みでは、シェアリングエコノミーも適用し得ない。

彼のような労働的奴隷は、新卒、若手、若年層と言った経済的に安定していない社会人初心者達に多い。

やはり、古き時代のように、個性を押し殺して労働的奴隷になる時期、時間は結果として必要になる。
理想社会のための準備期間とも言える。

勝ち組よる理想社会の良さも十分理解できる。
しかし、このジレンマを持つ負け組世代の我々の幸福の獲得は、いつ訪れるのだろうか。

社会の基準
さまざまな価値が換金できるようになった。
莫大な成長を遂げるきっかけでもあった。

世界一貧しい大統領は、2012年リオ会議でのスピーチで、「人類が消費社会にコントロールされている」と述べる。

多くの資本を獲得した人は、多くのことを行動でき、経験できる。
お金=幸せである。否定する者もいるだろう。それは、勝ち組であるが故の余裕を持つ者か素晴らしい思想を持ったものだけである。

圧倒的大多数は、決して大金持ちになりたいというわけではない。お金による不安感を持っているからお金が欲しいだけなのだ。お金による不安感を煽るのは、社会そのものがお金によって換金されているからである。

建築の学び手である筆者は
どうしてもこの議題が社会と深く関係付く建築がなし得る可能性があると考える。それと同時に、政治的、国家的、人類的な価値そのものの在り方を改変するのは、分野の領域外とも思える。

いずれにせよ、答えは出ていない。
しかし、今回提言したかったのは、現役世代、今の社会を動かしている世代の諸先輩に対して、次の世代にも排他的思想を伝統的に引き継がせたいのかというものである。

私は、学校の部活のような伝統保全意思は、すでに崩れ始めているのではないかと思えてならないのである。

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