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アウトプットなき思考や洞察は、価値がない。

<内容>
1、思考は無。
2、思考を文字に変換するダルさ。
3、書く行為と思考を分ける。
4、無だろうと思考はいいもの。

深い洞察や思考を繰り返すことは有意義なことに見える。
しかし、それは自分にとって有意義なだけで、言葉か文字かなにかしら他人に共有できる形に変換して、実際に人目に触れるところに置かないと、他人の人にとって無に等しい。

アイディアを具体的に他人に伝えるようとする努力。
すなわち書くという行為はだいぶ思考とは性質の異なるものだ。

思考の性質は、頭のなかでいろんな方向に自由に広がり、無限の可能性を持っている。
それは想像的であり、楽しい、頭の中で思考が生まれるときは電気が流れるように一瞬のことで、それに生まれてくるアイディアは、頭のなかに留まっているかぎり常に斬新で面白い。

しかし、それを他人に伝わる形にしようと思うと、憂鬱な作業が待っている。そう。作業。思考は想像的で斬新で面白いが、書くことはつまらない。他人に共有する努力は退屈でしかない。忍耐力、それに書くのは体力が要る。

さらに書く作業をしていると、さっきまであれほど輝いて見えた自分の思考やアイディアに対してさえ不信感が芽生えてくる。
思考は、想像的で、斬新で、面白いというのも、もう信頼できなくなってくる。
文字に起こすとたちまち自分のアイデアの欠点が見えてくる。足りない部分が見えてくる。つまらない、無価値なものに見えてくる。

なぜ書くことが思考と比べて、こんなにつまらないか。それは書く内容はすでに知っていることだからだ。

書くためには、書き始める時点で内容をだいたい頭に浮かべていなければならない。
つまり前段階の思考の段階で大枠は決まっているわけである。それを文字にして書き起こすとき、時間がかかる。それは創造性のカケラもないただの作業でのである。
それにたいてい思いついたまま書いても、どこかでつまずく。スムーズには進まない。飽きる。そして、やる気が無くなる。

なので書きあげることを目標にしたとき、
思考と、書く作業を分けて考えた方がいい。
思いきって書くときは、創造性モードをオフにしてしまう。
思考の段階では、じっくり考えるが、書く段階になったら、意図的に作業モードに切り替える。

書いていて、微妙だなと思っても、足りないところを見つけてもいちいち反省しない。
なるべく書くのを止めず、足りないとこはあとで分かるように印でもしておいて、書き続ける。60点くらいの文章だなーと思っても止めず、完成させてしまうことのほうが大切だ。

その終わりまで書き上げた微妙な文章が60点だったとしてもそれでよい。
いつまでも書き上げられない完璧な文章は、妄想のなかでは100点だけども、実際はいつまでも完成しないゆえに0点だからだ。

反省しないとは、思考を意図的に停止するという事である。いちいち考えてたら書けない。どうせ文才なんてないのだから反省しない。

思考は、行動や言葉にしなければ他人と共有できる価値がない。
しかし思考が無価値かといえば、そんなはずはない。

他人と共有できるアウトプットとしての自分の行動や言葉に、深みや複雑性を与えるのは、まさしく思考のプロセスであるからだ。

思考を欠いた行動は、原始的で粗暴な生物的反応があるだけで、そこに人間的な情緒や深みの複雑な豊かさはないだろう。

どっちだけにも偏らずにいきたい。

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