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「100円の旅」


母親にもらった百円玉を、握りしめて駄菓子屋に行く。
子供の頃の僕らにとって、それは旅に出る前の準備を整えるような場所だった。
様々な駄菓子を手に取り、吟味したうえで、その日に買う駄菓子を決める。その選考はブラジル代表のスターティングメンバーを選ぶのと同等に難しく、二十円のスナック菓子二つを手に取り「今日、本当に食べたいのはどっちなんだ」と、自問自答するように目を閉じたりしていた。

まず、ベビースターラーメンは外せない。分かりにくい喩えをするなら、これはお菓子の中での白ご飯的存在であり、これを軸に他の駄菓子を選んでいく。
ベビースターで三十円を使い、次にうまい棒を二本買って二十円を使う。サラミか、めんたいか、やさいサラダの中から僕は選んでいた。たまに、うまい棒だけで八十円ほど使う強者も現れるが、なんだか機微に疎い人間な気がして、仲良くなるのに躊躇してしまう。

残り五十円の使い方は、人によってかなりの違いが出てくる。僕は女の子が好きな、よく分からない小っちゃいヨーグルトみたいなやつとか、爪楊枝を刺して食べるピンクの四角い変なのとかは買わないので、キャベツ太郎か、どんどん焼きか、もろこし輪太郎か、よっちゃんイカか、ビックかつの中から二つ選んでいた。
組み合わせによっては十円余る時があるので、その場合は五円チョコを二枚買ってフィニッシュする。
駄菓子屋のおばちゃんに選んだ駄菓子を全部ビニール袋へ入れてもらい、僕らはそのビニール袋を握りしめ、自転車にまたがって旅に出るのだ。

しかし、いつの時代にも必ず変化は訪れる。
小学校三年生になると消費税が導入され、今までのように百円きっかりに買うことが出来なくなってしまった。
これからは、今までより更に厳しい選定が必要になってくるのかと思いきや、僕らの駄菓子代は二百円に跳ね上がった。
母親としては、ちまちまと消費税分や、十円、五十円を渡すより、もう百円渡してしまった方が楽だったのである。
狂喜乱舞する友達の中で、僕は少し複雑な想いを抱いていた。
駄菓子を食べる喜びと同じくらい、駄菓子を選ぶという楽しさも感じていたのだ。

200円あれば、その日食べたい全ての駄菓子を買えてしまう。うまい棒の種類を二本増やし、チロルチョコやマーブルガム、すっぱいレモンにご用心に、甘いか太郎まで買えてしまう。
なんだったら、よく分からない小っちゃいヨーグルトみたいなのまで買ってしまい、そうなると緊張感が欠けて、今までのように棚に並んだ駄菓子がキラキラして見えなくなってしまうのだ。
食べたい駄菓子を好きなだけ買って公園に遊びに行くのではなく、知恵を絞ってアイテムを揃え、僕は旅に出たかったのだ。
今までうまい棒しか買ってなかったくせに、急に玉葱さん太郎や泡玉を買って色気づく輩なんて仲間に出来ない。お前は二百円あっても十九本のうまい棒を誇らしげに持ってないと駄目だろう。

僕は自分の信念を貫くのだと、母親から二百円を貰うことを拒み続けた。
どんなに友達が手当たり次第に駄菓子を買おうと、僕だけ先に駄菓子を食べ終わろうと、駄菓子への想いを全うしたのだ。
母親から貰う金額は百五十円と決め、五十円がないと言われた時は、必ず五十円のお釣りを母親に持って帰った。

いや、ちゃんと五十円はアップしてもらってるんかい。


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