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「君はちゃんとエアコンを切って来ている」



 人はいくつになっても成長を感じられる生き物である。若い頃は吸収する速度が速いので成長を実感できる機会が多いが、年齢を重ねればその経験から、悟りの境地のごとく成長を遂げられることがある。
 ほんの数日前に僕は、齢四十を超えてある境地に辿り着いた。信じられないかもしれないが、「エアコンの電源切ったかどうか気になって落ち着かない問題」に、僕は終止符を打ったのである。

 父と母のおかげで、中学への入学と同時に一人部屋と日立のエアコンを与えられていた僕は、それから長い間ずっと呪縛のような不安に悩ませれることになった。それは通学路の途中や、体操着に着替えている最中のふとした瞬間にやって来る。

「あれ…?今日…家出る時エアコンちゃんと切ったけなぁ…」

 サッカーの地区予選で残り5分の逆転ゴールを決め歓喜している時も、大好きなあの子と公園のベンチで3時間ぐらい喋っている夢のようなひと時でも、夜中に仲間といわくつきのトンネルへ肝試しに行っている恐怖の最中でさえ、「エアコンちゃんと切って来たかなぁ…」と考えたが最後、全ての感情が吹き飛んでもうそのことしか考えられなくなっていた。
 それでも実家で生活する10代の頃は母親が気づいて消してくれる可能性もあるし、そもそも自分が電気代を払うわけではないので、つけっぱなしだったらしょうがないと心のどこかで思っていた。

 しかしこれが一人暮らしを始めた途端に大問題へと発展する。夢を追って生活を切り詰め、エアコンも限界まで我慢してから2時間だけつけるような生活の中で、6時間も7時間もエアコンをつけっぱなしにするなどあってはならない事態だった。バイトで最寄りの駅まで行ってもエアコンの電源が気になると、バイトに30分遅れようが確認する為に部屋に戻っていた。
 その電気代より失う時給の方がデカいのは分かっていたが、もはやそんな問題ではなかった。これを許したら今まで頑張って生活して来た全てが水泡に帰す、あれだけ暑いとか寒いとか喚いてた日々をエアコンに馬鹿にされてたまるか!そんな怒りに満ちた使命感、プライドで引き返していたのである。

 そんな日々もようやく終わりを迎える時が来た。それはとてもあっけなく、何か特別なきっかけがあった訳ではない。
 その日は荷物が多く、待ち合わせに遅れそうな僕は急いで家を飛び出した。家から50メートルほど進んだ時に、あの忌まわしい不安が首をもたげた。

「エアコン…切ったけな…」

 ピタッと立ち止まり踵を返そうとした刹那、「いやもうええやろ」という考えがストンと降りて来た。エアコンを与えられてから30年、そうやって帰って実際エアコンつけっぱなしやったことあるか?そんな声が聞こえた。エアコンを与えられてから何度確認する為に戻ったか分からないが、一度だって消し忘れていたことなんてない。逆に全く気にせず帰って来た際につけっぱなしになっていることはあった。
 じゃあもう消し忘れてることはないよ。30年間一度もなかったのに今日に限ってついてることなんてない。確率論として極めて可能性は低い。逆にデートの時ヘアアイロン消したか不安がってる女で、一度でも本当に消し忘れてる奴を見たことがあるかい?もっと俯瞰で見てみろよ、こんなイージーな二択はないぜ。30年間積み重ねた自身の経験がそう僕に語りかけた。
 そこから駅に向かって踏み出した一歩をとても清々しく感じた。久しぶりに成長の一歩を踏み出すことができたような気がして嬉しかった。もうなんの不安もなく一日を過ごすことができた。

 夜中に家に帰り、玄関でリュックから鍵を取り出す時は少し緊張した。ゆっくりとドアを開けると、冷気が内側から外に流れている気がした。靴を脱ぎ、フローリングに足を着けると、いつもよりひんやり冷たい気がする。急いでリビングに駆け込み、電気をつけるよりも先にエアコンの確認をすると、運転中の赤いランプはちゃんと消されていた。
 勝った。僕はこの歳にして、ついに呪縛を乗り越え成長できたのだ。僕はそのままソファーに腰掛け、こんな簡単なことに今まで気付けなかった自身を可笑しく思った。少し体が軽くなったような感覚があり、エアコンの切れた無風の部屋の中でさえ、そよ風が頬を撫でるように気持ちよかった。

 いや、これは実際にそよ風が僕の頬を撫でている。ゆっくりとソファーの左下に視線を落とすと、エアコンとの併用で回していたサーキュレーターが、暗闇の中で音も立てず静かに動き続けていた。

 

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