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ショートショート「理解者」



その人は僕の目の前を歩いている。
大きな背中は僕を守るために存在してるようで、安心した足取りはふわふわとする。

「ちんたら歩いてたら置いてくぞ〜」

前を向いたまま、その大きな背中から響くような優しい声が藍色の空を上っていった。

「先生も僕がやったと思ってるんですか?」

うちのクラスの生徒の財布から金が無くなった。
そいつは学校の帰りにゲームを買いに行くと、親から貰った一万円をクラスメートに自慢し見せびらかしていた。ホームルームの時間に心当たりのある者はいないかと担任が呼びかけたので、学校にそんな大金を持ってくる奴が悪いと発言したら僕が疑われた。

児童養護施設から中学に通っているから金を盗んだのだと、支離滅裂な言葉を誰かが吐いた。担任の男は根拠もなく人を疑っては駄目だと怒鳴り、後で職員室に来るようにと僕に命じた。

夕日の射し込む職員室に教師はまばらで、担任は椅子に座り腕を組んで僕を待ちかまえていた。

「ラーメンでも食いに行かないか?駅前に美味いラーメン屋があるんだけどな、今日は10周年セールで半額なんだよ」

きっと尋問されるだろうと思っていた僕が予想外の台詞に戸惑っていると、担任は僕に30分だけ教室で待っててくれと大きく笑った。
ラーメンを食べてる間も「美味いか?」とたまに聞いてくる以外は何も言わず、まるで父親とラーメンを食べに来てるような、変な気持ちだった。

「先生も僕がやったと思ってるんですか?」

ラーメン屋を出て、僕の前を歩く背中にぶつけるように言い放った。このままこの人の後ろを付いて歩いていたら、僕の知らない世界に連れて行かれるようで、そこには触れたことのない感触や感覚が溢れていて、きっと僕には不釣り合いな世界に思えて、怖くて、僕は立ち止まった。

「実はなぁ、俺も子供の頃は施設で育ったんだ。だからお前の気持ちがよく分かる。周りの生徒が馬鹿でくだらなくて、みんな子供に見えるんだろう?でも心のどっかでそんな奴らのことが羨ましくて、嫉妬してる自分が一番小さな存在に見えるんだよな。

自分とその小さく卑しい存在は、だんだん別のもののように思えてきて、だから何を言われても、どんな状況に追いやられても、自分には関係ないって、どうでもよくなっちまう。でも、俺はそんなお前を分かってるから。俺とお前は同じなんだよ」

僕が何も答えられず俯いていると、「悪い、質問の答えになってなかったな」とまた担任は大きく笑った。

「いえ、それで十分です」

僕は顔を上げその大きな笑いを真似ようとしたが、ほんの少し微笑むことしかできなかった。

やはりこの男は何も分かっていない。
確かに犯人だと非難された時、この男の言うような感覚はあった。だが、僕は実際に金を盗んでいる。僕がどうでもいいと思ったのは、この世界に合わせる必要がないからだ。僕は自分の置かれた環境を呪っている。しかしこの環境での生き方を呪ってはいない。金を盗んでは駄目、物を奪っては駄目、それは恵まれた環境にいる人間が、自分達に都合良く創った勝手なルールだ。

僕は今まで盗めと教育され、奪う事で生き延びてきた。周りに人殺ししかいなかったら、人を殺すことに何の躊躇だってないだろうし、それが悪いことだとも思わない。それが世界のルールなのだ。サラリーマンが働いて給料を貰うことと、僕が金を盗むことは何一つだって変わらない。

僕は担任の男と駅で別れて施設に戻った。

薄く堅いベットに腰掛け、あの男の戯れ言を思い出しながら、僕は鞄の中敷きの下に手を差し込んだ。

だがいくら探しても、そこに挟んだはずの盗んだ一万円は見つからなかった。



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