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「中学英語激闘編」第4話 英検チャレンジ5級編

2学期の始まりとともに1学期の学習内容が銀河の彼方に消えたカイ。
暗記はできても応用ができない、のではなく、暗記したことすら忘れてしまうのだ。
試験範囲の反復練習だけでは展望がない。学校のテスト対策とは別次元の目標を持たないと。というわけで、目指せ英検5級!

4-1 zeru からの再出発

2学期の英語の授業は小テストの告知とともに始まった。
範囲は、夏休みの宿題のワークブック。すなわち、1学期の復習である。

できるはずだな?
あれだけ手取り足取り、すべてのページ、すべての問題をやって、空欄1つ残さず答えを書いて提出したんだからわかってるはずだな??

しかし、念のため教科書の基本文を書かせてみると、Are you ~ ?   Yes, I am. No, I’m not. という疑問文と答え方すら覚えていない。

なぜだ……。

丸暗記したことをテストで再現するのが精一杯。意味を考えるとか、法則をつかみ応用するという能力がまったく育っていない。それがカイの困ったところであり、今後の課題だと思っていた。
だがそれは少なくとも暗記した基本文を覚えていることが前提だ。
まさか夏休み終了とともにまるっと初期化され「ふりだしにもどる」になろうとは。

いざ小テストの本番では、さすがにそこまでひどい結果にはならなかった。
それどころか、「40点満点で39点だった!」と、意気揚々と帰ってきた。
そうか! よくやった。一時はどうなることかと思ったよ。涙にくもる目をこすり、さっそく答案を見せてもらった私は、そのままストップモーションのように固まった。

× のついているところが 6 ヵ 所 ある。
何でこれで40点中39点??? 6問で1点なのかこのテストは。

先生、お疲れじゃないですか……と思わず心配になる、ダイナミックな採点ミス。
が、本当のツッコミどころはそこじゃない。6つも × のついた答案を返されて、なぜカイが40点中39点であることを疑いもしなかったかということだ。

見なかったんだろうねぇ。返された答案を、点数のところしか。
20点も30点も引かれていたならともかく、たった1点だ。痛恨の失点はどの箇所であったか、さっそく見てみたくなるのが人情ではないだろうか。そうすれば、× が1つならず6つあったことにもすぐ気づいたはず。正直に申告するかどうかは別問題としてもだ。
何でカイは見ないのか。試験範囲(1学期の学習内容)が全然身についてないのに、ワークブックの記憶だけで解答欄を埋めたからだと思う。記憶で書いた答えは、合っているか・間違っているかじゃない。当たるか・外れるかだ。当たり外れは偶然にすぎないので、どこが外れたかも気にならない。そんな感じじゃないだろうか。

ちょうどその頃、学校では、英検の団体受験の申し込みを受け付けていた。
これだ。試験範囲の「記憶」ではたちうちできない、「理解」が問われる技能検定。
こういうものを目指して勉強することがカイには必要なのではないか。

4-2 英検5級の心意気

私の頃は、英検は1級から4級までしかなかったと思うが、今は5級まであるらしい。
1987年に準1級が新設された時、一緒にできたそうだ。準1級ができた時のことはよく覚えているが、5級の存在は知らなかった。
日本英語検定協会のサイトによれば、レベルは「中学初級程度」。英語を習い始めた人の最初の目標であり、基礎固めに最適、とある。まさしく今のカイにちょうどいい目標だ。

ちなみに私は英検1級を持っている。
ウン十年前の話なので、今はもう実質的に無効も同然だけど。
当時勤めていた職場が、英語はできて当たり前、第二外国語を使いこなせて初めて一目置かれるような環境だったため、皆々、語学学習にはとても熱心だった。
そんな職場で、ある時、みんなで英検1級を受けに行こうという話になった。
高校時代に取っちゃったもんね、なんていう強者もいたが、10人くらいは集まっただろうか。自分だけ落ちたら恥ずかしいので、他の人は知らないが、私はけっこう勉強した。

仲間の1人にナッちゃん(仮名)という帰国子女がいた。生まれてから高校卒業までのほとんどをアメリカですごしたという筋金入りのバイリンガル。英検とはそういう人が受けるためのものではないと思うが、「皇居の新年一般参賀に行ってみたい」というほど目のつけどころがシャープなナッちゃんにとっては、英検もぜひ親しみたい日本文化だったのかもしれない。
試験後のナッちゃんによる英検1級分析は、「5音節くらいの単語をなるべくたくさん知っていれば受かるのでは」ということだった。正確には、「5音節」のところを five syllables と言った。英検についてそういう分析をする人は、あとにも先にもナッちゃん以外見たことがない。ネイティブスピーカーは違ったものだ。

もう1人、ネイティブ同様の英語を話すセツ子さん(仮名)という人がいた。県立外語短大付属高校から上智短大という、当時の神奈川県で考えうる限り最強の英語教育を受けてきた人で、国連英検A級だったか、特A級だったかを持っていた。
特A級なら英検1級より上である。しかし、その頃まだ歴史の浅かった国連英検はあまり知られておらず、値打ちをわかってもらえないので、英検1級「も」取っておくという話だった。取れて当然の英検1級! できる人は違ったものだ。

1次の筆記に合格し、最終的に1級取得に至ったのは、そのセツ子さんと、もちろんナッちゃんと、そして私の3人だった。

それからまもなくである。準1級、などというものができたのは。
「2級+」とでもいうならまだいい。何なの、「準1級」って。ちゃっかり1級の仲間のような顔をされては1級の値打ちが下がるではないか。せっかくセツ子さんやナッちゃんと一緒に合格して自慢していたのに。

思えばその時、同時にできていたのが5級だったわけである。
5級は「準4級」などと変な見栄を張らず、正々堂々と5級を名乗っているところが偉いと思う。カイにはぜひ、5級、4級、3級とステップアップし、将来的には準1級なんてすっとばして1級にチャレンジしてもらいたいものだ。

ところが、受付最終日にすべり込みでカイに申込書を持たせたら、そのまますごすご持ち帰ってきてしまった。学校の団体受験は4級以上で、5級は対象外だという。
そんな規定があるのだろうか。どうも釈然としない。単にカイが提出し忘れていた可能性も1パーセントくらいはありそうな気がする。
何にせよ、もう個人申し込みも間に合わない。仕方なく、次回に備えて英検の公式サイトを見てみたら、時代は変わっていた。昔からおなじみの書店受付は終わっているが、インターネットではまだ受付中だったのだ。検定料の支払いもクレジットカードでいいそうで、真夜中にパジャマ姿でパソコンをカタカタやるだけであっという間に完了してしまった。

申し込み方法としては、ほかにコンビニ受付というのもあって、店舗の端末機を操作して手続きを行い、レジで検定料を支払う仕組みだそうだ。カイが生まれて以来、へぇ~今はこんなふうになってるんだと驚くことはずいぶんあったけれど、英検申し込みの進化はかなりびっくりしたことの1つだった。
それやこれやの曲折を経て、激闘・英検5級編は始まった。

4-3 「何時ですか」と「何時に~しますか」

「中学初級程度」といっても5級の要求レベルは思ったより高い。
I-my-me-mine, you-your-you-yours などの変化。
what, when, where, which, who, whose, そして how の疑問文と答え方。
日付や曜日のたずね方、答え方。
さらに look at ~, look for ~, a lot of ~, get up, by bus などの基本的イディオム。
2週間前くらいから過去問で準備を開始したものの、カイが解答する(というか解答できない)様子を見ていると、「それは習っただろ~~~」と歯がゆく思う部分もある反面、まだ全然習っていない問題もたくさんある。
そこを1問1問、きちんと理解したうえで進めていくとなると、予想をはるかに上回る勉強量が必要となり、2週間ではとてもとてもという感じ。

英検のすぐあとに、2学期中間テストが控えているため、時間はますます限られた。
言いにくいことであるが、英語以外ならカイが問題なくやっているかというとそうでもなく、理数課目は夫が死にもの狂いで教えている。実技系課目も油断できない。音楽の筆記テストで、「バッハは後世の人に何と呼ばれているか」との問いに「バッハ」と書いて帰ってきた武勇伝もある。間違いではないかもしれないが、「音楽の父」くらいは覚えておいてほしい。

さらに、カイの学校はキリスト教系であるため、毎週礼拝があり、聖書の授業もある。
夫も私も無宗教な我が家にあって、キリスト教にはカイがいちばん詳しくなっていなければおかしいと思うが、試みに「君の学校はカトリックかね、プロテスタントかね」とたずねてみたら「カトリック」と言い切った(プロテスタントです)。
そんな聖書にも筆記テストがある。不安に思い、授業のノートを見せてもらうと、「教会の三大祝日」として「降談日」「復活日」の2つが書かれている。三大というからにはもう1つなければおかしいと思わないのであろうか。というかその前に「降日」って何。

ことほどさようにどの課目も穴だらけで、気がかりは絶えないのだが、不幸中の幸いとしては、英語は中間テストの勉強がそのまま英検の勉強になる。教科書ではちょうど「時刻の表し方」をやっているところで、これなどズバリ、5級のキモの1つだ。

ところが、カイは、

「今、何時ですか」→ It’s + 時刻.
と、
「何時に~しますか」→ ~ at +時刻.

の区別がつかないという。

区別って! つくでしょ普通。日本語でも普通に訊いたり答えたりするではないか。
けど、英語だと、質問はどちらも What time ~ ? なのに、答えには at がいる時といらない時があるって確かにピンと来ないかも。
「× 時に」の「に」が at か。じゃあ何で At what time ~ ? とはいわないのか。むずかしいな。なるほどむずかしいよ英語は。と、こっちが無限の自問自答にはまってしまう。

そうこうするうち試験日は目前に迫った。
家で過去問を3回分、本番さながらに時間制限を設けてやってみたところ、どの回もほぼ均等に7割は取れていた。
5級の合格ラインは6割といわれる。本番でもこれくらいできれば合格の目もないことはない。しかし、1学期に習ったはずの曜日のたずね方と答え方も、実はまだ怪しい。

何もかも怪しいまま試験当日は来た。

4-4 5級・その結果と考察

英検の最大の敵は会場だと思う。

ネットやコンビニで申し込みできるようになっても、会場がどこになるか受験票が届くまでわからないのは相変わらず昭和のまま。直線距離は遠くないけどおっそろしく交通の便が悪く、大人でもたどり着ける気がしないなんていうのもありがちなことだ。
カイが振り分けられたのもそんな会場で、1人ではとても行かせられない。そもそも学校で団体受験できると思ったから始めたことなのに、夫と私と2人がかりで連れて行くという中学受験並みの大仕事になってしまった。

最近は英語の早期教育に熱心なご家庭が増え、日本語の読み書きもおぼつかないくらいの小さいお子さんが、パパママに付き添われて英検を受けに来る例も多いと聞くが、付き添いに関しては中1も大して変わらない。

結局、当日に至るまで、カイは時刻のたずね方と答え方がよくわからなかったようだ。
これ、受からなかったらどうするんだろう。またこうやって連れて来るのか。直前2週間のにわか勉強で受けさせようとしたのが間違いだったんじゃ。これではやっぱり「理解」によらず、答えが当たるか・外れるかだけに終わるんじゃありませんかね……?

ぐるぐるしながら待っていると、試験を終えて出てきたカイは、意外にも、
「わりと簡単だった。合格だと思う」
と、余裕しゃくしゃく。

えぇぇ?!! ホントに??

真偽のほどは、思ったより早くわかった。昭和脳の私は、合否は郵便で通知されるものと思い込んでいたが、今は試験後2週間くらいで、ネットで確認できるのだ。
50点満点中、合格点30点、全体平均38点、合格者平均41点のところ、カイは46点で合格していた。
5級は1次のみで、2次試験はないので、これで確定である。

いや、偶然で9割は当たらない。立派な合格だ。
もう、めちゃくちゃにほめてやり、合格祝いに約束したお笑いのDVDもプレゼントした。
早期教育のちびっこたちも、合格の暁にはうんとほめられ、ごほうびをもらったり、願いごとを叶えてもらったりしたに違いないが、中1も大して変わらない。

ふと、カイにきいてみた。
「試験会場に小さい子はいた?」

「いた」
やはり、小学校に上がるか上がらないくらいの子がいたそうである。

その一方、「すごいおじいさんもいた」とのことであった。

当時13歳のカイから見た「すごいおじいさん」が、実際にはいくつくらいの方だったかはわからない。

けど、そうか。君はそんな年長の方とも机を並べて英検を受けたのか。

きっと、その方が君くらいの頃にはまだ英検はなかっただろう。
何なら英語の授業もなかっただろう。
誰もが当たり前に進学できる時代でもなかっただろう。
勉強すればほめてもらえて、ごほうびももらえるなんて、すごく恵まれたことだったろう。

どんな志で英検を目指したのだろう。中学生やちびっこと机を並べて。

そんなことは、カイは考えなかったかもしれない。
しかしいつの日か、この日のことを思い出して、考える時が来るかもしれない。

学校での団体受験より、外部の会場のほうがよかったことが1つあるとすれば、そういうことだったかもしれない。

第5話 いつも鞄に教科書を につづく)


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