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自主ゼミ「原発事故と葛尾村史」

2022年2~3月に「原発事故と葛尾村史」と題して、全4回に渡る自主ゼミを開催しました。本来はこの期間に葛尾村に滞在して映画を撮影する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響により断念せざるをえない状況に。もどかしい日々が続く中でやけくそになって考案した企画です。ただ、非常に意義のある自主ゼミとなりました。松本家計画のメンバーに留まらず、葛尾村のインターンシップに参加している学生や各々の知り合いなど様々な参加者によってつくられた自主ゼミの場は学びや新発見の連続でした。今回は各回の担当者に自主ゼミを終えての感想をお聞きしました(堀田滉樹)

※本記事は「自主ゼミ報告会2022夏」の実施にあたり、松本家計画内で発行されている月刊松本家通信2022年4月号を再編集したものです

①福島第一原子力発電所事故(成玲娜)

第1回では、福島第一原子力発電所事故を背景として、原子力発電及び放射能にまつわる基本知識を扱いました。

概要(一部スライド抜粋)


感想

第1回の自主ゼミは、福島第一原子力発電所の事故について扱った。自分が高校生の時に探究していた分野だったため、久しぶりに資料を見返したり、過去の活動を振り返ったりして、興味深い時間だった。そもそも、松本家計画のコンセプトは「記録する、物語る。」というものであるが、私たちがこれから松本家や葛尾村を語るうえで避けて通れないのが、福島で大規模な原子力発電所の事故が起こった事実と向き合うことだと私は考えている。3.11の原発事故の発生とそれに伴う全村避難の経験が、葛尾村の土地や人々に影響を与えたのは言うまでもない。それは、私たちが松本家を中心として集まって話す・遊ぶ場があるということの大きなきっかけになっているというひとつの視点も含めてである。参加者にとってこの回が、3.11の原発事故に関する知識を吸収するいい機会となり、個人の中に沸き起こる松本家や葛尾村に対する考え・想いの中の、何かのヒントとなってくれていたら、なお幸いである。

②葛尾村震災前史(余田大輝)

第2回では、震災以前の葛尾村の歴史について、主に近現代の産業変遷と人口動態から見ていきました。

概要(一部スライド抜粋)

感想

歴史には「事実」と「視点」の2側面がある。それが自主ゼミ②「葛尾村震災前史」の軸となるアイデアだった。歴史学的事実であるという意味での客観性は、私たちの歴史であるという意味での主観性とは異なる次元に位置している。例えば、葛尾村全体の肉牛出荷頭数の推移と、知っているあの人が昔は牛を育てていたという話はやはり異なるように感じられる。日本全体の肉牛出荷頭数の推移となると、また別のものになるだろう。一口に歴史と言っても、このような「事実」と「視点」の違いが存在する。私たちが1人の人間として村に関わるにあたって重要になるのは、科学的「事実」ではないかもしれないが、私たちの「視点」から見える歴史だろう。ただ何もこのような歴史が客観性から切り離されて存在しているわけではない。先の例で言えば、葛尾村全体の肉牛出荷頭数の推移を知っていると、知っているあの人が昔は牛を育てていたという話の聞こえ方も変わっていくように思われる。したがって、「事実」と「視点」それぞれの主観と客観を往復することが村の歴史を考えるということなのだろう。準備や報告の過程で、そのような歴史に対する態度を考えさせられた担当回であった。

③葛尾村避難史(筏千丸)

第3回では「葛尾村東日本大震災記録誌」をもとに、避難の過程と展開を見ていきました。

概要(一部スライド抜粋)


感想

2011年3月11日14時46分、地震発生。葛尾村、最大震度5強。原発事故の報を聞き、3月14 日21 時15分、松本村長(当時)が自主避難を決断。「葛尾村東日本大震災記録誌」には震災直後の村内外の状況が分刻みで記録されている。役場職員の証言は当時の混乱を如実に物語る。翌4月22日には葛尾村全域が避難区域に指定され、名実ともに6年間に渡る避難生活が始まった。「記録誌」は帰還に向けた取り組みや日常を取り戻そうとした村民たちの生活も記録する。家畜の殺処分、一時立ち入り、仮設住宅商店街、除染事業。6年分の記述かからはただ元の生活に戻りたいという切実な声が聞こえてくる。震災発生から12年目を迎え、「記録誌」以降の年月が避難指示解除までの月日より長くなった。はたして元の生活は戻ってきたのだろうか。現在でも村民の2/3以上は村外に生活基盤を持ち、大きな資本の介入が露骨に顔を出す。避難以降がいつしか日常そのものになった。ある論文は「『ディアスポラ』の理論の方が参考になる」とこの状況を分析する。葛尾村が流浪の民たちの拠り所として存在するのなら、「記録誌」のなかで人々が待望した村の姿が遠くに霞んでいくことに思いを馳せずにはいられない。

④葛尾村復興計画

第4回では「かつらお再生戦略プラン」の成立過程とその内容を見ていきました。

概要(一部スライド抜粋)


感想

計画、それはあくまでも計画。不確実性の高い現代においてはそれに頼りすぎない、柔軟な対応が求められる。しかし、決められた予算の中で動く行政においてはそうも言ってられない。事前の計画がものをいう。震災の影響で、元々の振興計画が力を失った葛尾村。そこからの再起を図る復興計画には行政職員のみならず、住民も含めたそこにいる「人」の息吹が宿る。各種計画を読み込んでいくにつれて、当時の人々の悩みや葛藤が浮かんでくる。葛尾村の復興計画は、2021年度をもってその期間が終了している。(ただ諸事情により、もう1年延長されるとのこと。)震災から11年。復興計画のもと、復興が進められてきた。ここ11年で人々の暮らしはどう変わったのか、これからどう変わっていくのだろうか。復興計画に変わる新たな振興計画には何が盛り込まれるのだろうか。この村の行く末を見守ること、見守るだけでなく何らかの形で関わり、未来を共につくっていくことは一種の義務のような気すらしてくるのだった。

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